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私は私の人生を歩むので、みんなもどこかで息していてね

令和4年3月31日

4年間務めた、地元の町役場を退職した。本日にて公務員生活終了。

どうして、あんなに努力してまで公務員になったのに、たった4年で辞める決意をしたのか。今後何年たっても忘れないように、文字で残しておくことにしよう。

退職日当日、朝からワンワン泣いた。朝礼で所属部署から花束をいただき、あまりの泣きじゃくり具合に、まるで夕方5時でそろそろお別れの時刻ですみたいな雰囲気を作りあげてしまった。この時点で時刻は朝8時半。お別れの時間とは程遠い。

所属課からいただいたアレンジメント


異動の内示が2週間ほど前に発表され、そのタイミングで私の退職も公に発表されたわけだが、そのタイミングから、職場の先輩後輩問わず、本庁舎から離れた私の部署まで挨拶しに来てくれた。この時点で弱小涙腺を持った私はうるうる。やめてくれ…たった4年間しか働かないで、迷惑ばかりかけたお荷物な私に、どうして律儀に挨拶しに来てくれるんだ…年度末で忙しいんだから、みなさん自分の仕事を片付けてくださいよ。しかも退職祝い!なんていってたくさんのプレゼントもいただいた。ほんとにやめてくれ…こんなしょうもない人間にお金と時間、体力を使うな。なんか、もはや退職しちゃってごめんなさい(?)

私の大好きなお花屋さん、BalloonFlowerさんのアレンジメント


なんて思っていたのだが、そもそもうちの職場の人たちは情が厚く、面倒見がいい。なおかつ調和を大事にされる方が多いと思う。まして、私みたいな精神ブレブレのメンヘラ女と仲良くしてくれる人は、慈愛に満ちる女神さまのような方々。恐らく私の退職に対するアクションは、気遣いでも義務感でもなく、自然と出てくるものなのだろう。あー-、人間力が高すぎる。まぶしい。

名入れのDiorの香水には腰を抜かした
おかげさまで、私の部屋に小さなお花屋さんが開かれた


公務員を辞めるのは、もったいないことか


うーん。まあ、そう言っちゃあそうかもしんない。
公務員も普通の人間なのだか、どういうわけか、社会的信用はやっぱりある。『職業は公務員』と言うと、99%『すごいですね!』というお言葉をいただくし、ローンや何かしらの契約(アパート借りるとか)で困ったことがない。何でですかね。やはり基本的にクビという概念がないし、毎月一定の収入は得られる。

まあ、大人の事情みたいなところから入ってしまったが、そもそも誰でもなれるわけではないから。マーク式の筆記試験してー、面接してー(しかも2,3回)おまけに公務員採用試験は倍率すごい。一応の私も、公務員養成の専門学校で2年勉強(ほぼバイトとバンド)したわけですよ。面接対策も鬼ほどやったわけなんです。私が採用されたのも奇跡ですね。矢巾町が好きという熱意だけで採用されたと今でも思っている。

あ、今だから言えるのだが、勉強一本の生活をしなくてよかったと断言できる。バイトが基本的に禁止の専門学校であったが、2か所掛け持ちしたし(何なら公務員3次試験当日の深夜までコンビニバイトした)、バンド活動が楽しすぎて、地元のライブハウスに通い続け、常にベースをさわさわしっていた。家で勉強した記憶はなく、参考書の1割も読んでないと思う。
ただ、専門学生時代に出会った幅広い層の人たちが私の世界を広げ、人生で初めて、時間を忘れるほど熱中した趣味を持ったこと、これらが私の血や肉になったし、精神的にも大きな支えになってくれたと思う。

地方公務員になることを最終目的にしてしまった


じゃあ、どうして公務員辞めるんだよっていう話。

とりあえず、一言でまとめると『公務員になることをゴールにしてしまった』という答えが出た。

いや、役場職員になってやりたいことあったんですよ。私、町の広報誌書きたかったんです。幼いころから、全戸配布されていた広報誌を欠かさず読んでいた。今となっては紙媒体の情報なんて、主流になっていないと思うのだが、紙だからこその一覧性や、ネットにはない信頼性など魅力がありまくり。町の基本的な情報はもちろん、住民の郷土愛を深めるためにも普段生活するだけでは手に届かない、ほ~!と興味を引くような情報を取材して届けたかった。

まあ、そんな希望も当然ながら叶わず。地方公務員で入庁1年目から希望の部署なんて、まー聞いたことがない。入庁してから4年間ずっと健康や保険分野の部署にいた。ただ、いずれは広報系やれればいいかなぐらいな気持ちであったため、不満があるとかそういうことではなかった。役場の仲間になれただけで、とりあえずは満足だった。
でも、何だかぼんやりした役場生活を送ってしまった。私は大好きな町で、こんなにムスッとした顔で働きたかったわけではない。仕事の仕方を工夫できれば、仕事に面白みを感じることができたのかもしれないが、私の気力と努力不足でそこまで取り組むことができなかった。

そんなこんなで、『あれ、地域貢献って、まちづくりって、何も公務員でなくてもできるのでは?』ということに気づいてしまった。確かに、公務員でなければ、町の基礎作りができないし(住民の異動を整えるとか、税金を課して徴収するとか、ライフラインを守るとか、町のお金を管理するとか…)、最終的な決定権は持てないが、私は別にその点はこだわっていない。そもそも、まちづくりは役所の人だけがやるものではない。そうか、私は私なりのアプローチの仕方でいいのか!となったわけである。4年間で自分の人生を見直した結果出た答え。私は死ぬまでにやりたいこと全部やって死にたいんです。

私、入庁した当時は、定年までやりきるって意気込んでたのにな。
本当に人生って分からないものです。

公務員は今でも、定年での退職が主流なところはある。うちの職場もそう。勤続30、40年で退職。何かを続けるって本当に体力を使うし、計り知れないほどの苦労があっただろう。私の何十倍の知識量と経験値がある上司に頭が上がらない。何か都合が悪いこと(行ってしまえば仕事上のミス)があった時には、全責任を取っていただいた。
ただ、その常識はだいぶ変わりつつあると思う。私の退職が誰かに影響すれば!なんて偉そうなことは言えないが、同世代の職員さんから『サヤカさんの退職が、私も人生を見直すきっかけを作ってくれた』と言われたときには、私の退職は職場的にも意味があったことなのかなと、少しばかり勘違いした。ただ、私の退職が公になってからは、自分の夢だとか、人生設計だとかを話しに来てくれる人が多かった。みんな、人間味を見せてくれ、熱い考えを持っていたことに嬉しくなった。

ここまで4年間、知識や経験ゼロの私をここまで育てていただいたにも関わらず、完全な自己都合での退職になってしまったことは、申し訳ない気持ちでいっぱいである。
ただ、人生は一度きりなので、私は私の人生を歩むことにしてみた。だから、みんなもご飯を食べて、ちゃんと寝てください。息してるだけでエライ。がんばれなんて言わないので、どうか自分らしく生きてくださいね。


ありがとうございました。


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