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長崎奉行 松平図書頭康平と英軍艦

 きのう10月9日に何年振りかのくんちが終った今朝の港周辺は、とても穏やかな秋の空気に満たされていた。ただひとつ、御旅所の設けられるこのあたりにはテキヤが立ち並ぶことから、食べ物やごみの混じったにおいに満ちてもいた。

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 長崎の氏神とされている諏訪神社の秋季大祭くんちまわりのことでは、キリシタン史との関わりがある、というのでそのへんのことでも書こうかな、とおもった。
 ちょっと前、キリシタン史に関連する文章を書くため、資料を手当たり次第に漁っていたときに、気になる資料を見つけた。
 でも、そのときはくんちや諏訪のことを書く必要もなかったし、興味はあったものの飛ばして(後から読もう)と印をつけておいた。つもりだった。

 さてあれはどこにやったっけ、と探してみたんだけれど見つからない。実に残念であるけれど、代わりにというか出合い頭的に別の拾いものがあった。

 諏訪神社には諏訪方大明神、森崎大権現、住吉大明神の三座がお祀りしてあり、しかし各社が勧請されたあたりの詳しいことはあまりわかっていないらしい。
 上述の資料を探すのに、『長崎事典 歴史編』をめくっていたら、諏訪神社の項に「フェートン号」の文字が見えた。
 覚えがあるとおもったら、つい先日読ませてもらった吉村昭氏の短編集『磔』のうち「三色旗」という作品に出てきたのであった。

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 1808年、まだ日本が鎖国体制にあったころ、長崎港にイギリス軍艦Fhaetonフェートン号が侵入するという事件が起こった。「三色旗」はそのフェートン号事件を取り上げた作品で、よく調べてあり、とてもおもしろかった。

 1641年以降、日本との通商を許されているのはオランダのみで、出島に商館が設置され、商人たちの生活は出島にあった。
 ところが、18世紀末のヨーロッパでフランス革命が勃発し、オランダはフランスに占領されてしまい、そのため世界各地のオランダの植民地はフランスの影響下におかれた。
 出島の商館に暮らしていたオランダ人商館長カピタンたちは、祖国がそのような状況にあることを、長崎に寄港したアメリカの船員などから聞かされ、青くなりながらも通商の独占権を他国に奪われないためにも、日本人には知られまいと苦心していた。
 そのような状況のなか、しかし長崎にオランダからの商船が来るはずがない。常であれば入港するはずの時期になってもオランダ船が現れないことを長崎奉行は訝しみつつ海上見張りに徹した。

 1808年10月、オランダの国旗を掲げた船が長崎港に入港するのが見えた。
 異国船入港の知らせを受けた出島の商館員たちは、オランダ国旗を掲げた船と知り出迎えの船を出したところ、その船からおろされた艇によりオランダ商館員ら(簿記役のGozemanホゼマンと助手のSchinmelスヒンメル)が拉致され、連行されてしまった。
 これは実はイギリスの軍艦で、長崎の港に別のオランダ船が碇泊していると考えそれを捕獲しにやってきたらしいが、蘭船がいなかったため商館員2人を捕え、それと引き換えに水や食料を要求してきたのだった。

 フェートン号は当時の出島商館長(Doeffドゥーフ)を間にはさみ、人質をとったまま交渉文を出した。そして長崎奉行に対し、要求に応じないならば砲撃すると脅した。
 ドゥーフは本国の状態を日本に知られることを恐れながらも、商館員が無事解放されるよう計らい、長崎奉行は英軍艦の侮辱に憤慨しながらもドゥーフの言い分を聞き、さらに幕府への対面のことで冷や汗をかいた。緊張状態は3日間続いた。
 長崎奉行は狼藉をはたらいた英国艦を焼き払いたいほど憤ったものの、兵力不足とドゥーフの取りなしにより実行には移せず、フェートン号は水と食料を手に入れさっさと港を出て行ってしまった。

 この事件のころの長崎奉行は第81代松平図書頭康平(康英)という人であった。
 松平図書頭による長崎奉行としての政治は大いに行き届いており、市民からも尊敬と好感をあつめた人だったらしい。フェートン号の事件では大きな被害もなく人質も無事解放されたけれど、松平図書頭は事件の翌日に国威を失墜させた責任をとって自害してしまった。

 と、いうところで諏訪神社が出てくる。
 フェートン号事件のあった翌年、この諏訪神社の三座のうち住吉大明神(旧は小島大王)拝殿の隅に、松平康平を別称康平社として祀ってあるという。私が見つけたのはそのことであった。

 長崎に住んでいるといったって、知らないことが山ほどあるなあ、と恥じつつこれらのことをちょっと調べてみると、わりと情報が出てきたのでさらに恥入った。

 この事件のことはWikipediaにも載っているし、上に書いたように色んなソースで知ることができるけれど、この作品を読むほうがずっとおもしろいので、興味があればぜひ読んでほしい。
 当時の出島ではこのような緊張があったことなど考えたこともなかったけれど、この島国のささやかな港に異国から船が来る、というのは(たとえ時代ごとに国交のある国の居留地があったにせよ)穏やかなことではなかったのだ。

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今日の「キョンシー」:10月10日といえば『幽幻道士』のヒロイン、テンテンの誕生日ですね。こういうわりとどうでもいいことを記憶し続けている自分に、ときどき呆れます。

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