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喫茶店百景-店と客との距離感-

 数回行ったことのあるK市の喫茶店があって、そこで最近あったらしいある物事のことを、ちょちょっと聞いた。それで思い出したことを今日は書く。

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 同級生が夫婦で小さなビストロをやっている。開店から7、8年というあたりだとおもう。開店したてのころ、それからその後も何度か食事に行った。家族でも行ったし、近くの友人や、県外からの友人なんかも連れて行ったことがあり、連れて行ったほとんど全員が店の味を気に入ったし、常連になった友人もいた。父や父の友人も気に入り、その店をたびたび気にかけている様子で、オープン後しばらく経ってからや、感染症騒ぎの最中など、客の入りや開店状況みたいなのの報告を受けたこともある。
 何年か前には父たちの古希祝を計画したことがあって、メンバーの中にその店を気に入ってくれた、父の友人風間さん(仮名)がいたんだけれど、古希会では私は別の店を提案した。風間さんは同級生夫婦のビストロを希望したけれど、私は行きたくなくて、別の店で通した。

 その、行きたくなくなった理由を、今回の話題で思い出した。

 ひんぱんにではないけれど、数回店に行ったなかで、一度同僚というのか仕事上の知人である男の子(私よりも年齢が下なので男の子という語を用いる)の木下さん(仮名)を連れて行ったことがあった。どういう話からだったかあまり憶えていないけれど、神父様を食事に連れていくことの多い木下さんに、おいしいビストロを同級生がやっているんだと話し、それで彼が興味を示したからとかそういう感じだったとおもう(神父といえばワイン、ワインというとフランスの料理である)。その店を知る人が増えればいいくらいにおもって、連れて行った。
 木下さんも他の友人知人と同じく店の料理を気に入ったし、店主たちとの会話もたのしそうにしていたし、また別の機会に人を誘って店に行きたいなどと言っていたので、まあよかった、と、そうおもった。

 後日、店主夫婦と会ったときに、そのときの話題になった。この間は来てくれてありがとうとそこまではよかったけれど、すぐに話題が木下さんにうつった。夫婦は木下さんのことを、「気もちが悪かった」と言った。一瞬耳を疑ったけれど、しっかりそう言った。
 夫婦が言うのには、木下さんはどうやら私を気に入っていて、来店時にその様子が見えてそれが気もち悪かった、と言った。そういうことは私は全くどうでもいいし、気もちもないので脇に置いて、いちおう客である立場として、不快になった。
 人の感情は裁けないので、どうおもったっていい。夫婦が感じたそれは私には関係がなく、だから私は知る必要もない。それをわざわざ伝えられたことで夫婦の人となりを知るに至って、結果的に不快を得た。
 とくに私は、両親が店をやっていたこともあって、店側と客という関係性においてそれなりの距離や、それぞれの立場や、それから基本的な人としての在り方みたいなものをいくらかは身に着けているつもりでいる。このときのこの出来事については、ただひたすらに残念におもった。もういい店だとはおもえないし、誰かを連れて行きたいとも、もちろん一人で行きたいとも、おもわなくなった。
 私が何か、木下さんについて彼らに意見を求めたりしたのなら、印象を話すくらいは普通かもしれない。でもそれもしてないし、彼らは同級生ノリくらいのつもりだったのかもしれないけれど、それとこれとは別ではないだろうか。一人の客として行ったのだし、親しいからといってなんでも言っていいわけではないとおもう。

 それから私の足はその店に向かなくなり、誰かからその店の話題を出されてもつくり笑いくらいしかできなくなった。この頃はその店について思い出すこともあまりなかったけれど、ひょんなことから思い出すものである。

 このように店が客を不快にさせる場合もあるし、逆もある。店が客を選んでいいし、客だって店を選んでいい。
 まあとにかく、店と客という場合であっても結局は人と人とのすることなんだから、ごく一般的な常識や思いやりなどといった、基本的なところを抜きにしてはいけないのである。

 いつもの喫茶店マガジンとはちょっと違うものになったけれど、きっかけがとある喫茶店だったので、百景に入れることにする。

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今日の「その後のこと」:木下さんはあれからあの店に行ったのか? 知りません。木下さんは、主に仕事でいろいろなことが積もって、私からは見えないところに引っ込んでしまいました。つまり店とも木下さんともかかわりはなくなったということ。

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