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アーノルド・ローベルのしごと

 アーノルド・ローベルの企画展示が長崎県美術館で観られるというので行ってきた。電車の吊り広告か何かで目にしたのだっけ。

 『かえるくんとがまくん』のシリーズがよく知られる絵本作家で、子どものころに読んだ、ときどきふと思い出す好きな作家のひとりだ。いくつか絵本を所有してもいたけれど、何度も引越すうちにある時点で書籍類を大幅に減らした。そのときにこのひとの絵本も手放してしまっていた。

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 代表作のいくつかの他にも、たくさんの作品を手掛けた彼の展示は見ごたえがあった。絵本には親しんでいたものの(といっても知らない作品も多かった)、作家の背景はほとんどと言っていいほど知らなかったから、そのあたりにも触れることができて、ちょっと胸をうたれた。幼いころに両親が離婚し、身体が弱かったことなどから学校にもなかなかうまく馴染めずに、ちょっとした寂しさが作品のところどころにエッセンスを加えていたふうなのを知ることができた。

 教科書にも載ったという「おてがみ」は、一度も手紙をもらったことがなく、かなし気に手紙を待つがまくんに、かえるくんがこっそり手紙を出すというお話だ(でも結局届く前に教えちゃうんだけど)。
 私はわりに紙に書いて届けるというのは今でも好きなんだけれど、今の子どもたちはメールやビデオ通話みたいなのが当たり前になっていて、こんなふうに「手紙を待つ」という心境をどんなふうに受け取るんだろうな、などと考える。教科書には今も載っているんだろうか。

 作品について、アイデアスケッチなどの段階から、制作課程なども詳しく展示してあるブースもあって、そういったあたりも興味深くてたのしめた。担当編集者とのやりとりが細かく書かれたメモなんかもあった。
 それから、絵本というものは読み聞かせるものでもあるから、何度も声に出して読んで修正して・・・とか。私が知らなかっただけで、出版の世界では当たり前のことばかりなのかもしれないけれど、そういうのって妙に心にひびいてしまう。
 考えてみると、自分ひとりで本を読む行為の中でだって、どこかしら声の存在を感じている部分がある。どういうことかというと、絵本なり誰かの書いたものを読むというとき、その文章から声が感じられるということだ。
 人が実際話す声と同じように、文章から感じる声にも心地よさを感じればするすると読めるし、自分にとって居心地がよくなければ、それがどんなに優れた作品であっても読む進めるのが困難だったりする。まったく声が聞こえてこない文章もある。相性みたいなことだろうか。
 私にも、声が聞こえるような文章が書けたとしたら、そういうのもいいかもしれないとおもった。

 展示は、初期の試作からだんだんと世間に知られる作品を出すという流れで構成されていて、代表作の『がまくんとかえるくん』の展示は後半に大きくスペースを割いてあった。アニメーション作家の加藤久仁生という人がつくったという、映像作品が流れるモニターのあるコーナーからは、「Tea for Two二人でお茶を」が流れていた。とてもぴったりな曲だとおもった。

 平日の昼間だったけれど、観覧者はおもっていたよりも多かった。いいことだ。

 写真撮影ができる展示だったから、いくつか撮ってきたんだけれど、自分が映りこんでしまうのはもう仕方がなかった。そこらあたりは気にしないようにして、少しだけれど原画の雰囲気をたのしんでください。

色をつくりだす魔法使いのお話
ケツァルコアトルという、翼竜(カカオをもたらした農耕神でもある)
版画の過程
インクとペンで夜の景色を表現してある
3原色を使った版画

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 アーノルド・ローベルさんがニューヨーカーだったなんてぜんぜん知らなかった(ブルックリンだけど)。けっこう若くして亡くなったのも、同性愛者だったのも、なんにも知らなかった。
 観に行ってよかった。

マグネットを買ってきた


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