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喫茶店百景-一杯のおいしいコーヒーのためには-

 さあこれからコーヒーを淹れて飲もうというときの手順としては、ポットに水を入れ、お湯を沸かす間にコーヒー豆をがりがりと挽いて、ペーパードリップで抽出する。カップやサーバーを温めておくことも忘れない。
 コーヒーの淹れ方については、父に教わった。やり方はいろいろあるだろうけれど、父の方式でいくとドリップの際にコーヒー豆を蒸らす時間を設けることを、あまりしない。
 カップの上にドリッパーを置きペーパーフィルターをセットして、そこに挽いたばかりの豆を入れる。それから沸いたお湯を注ぐわけだけど、このときに、だいたい豆の内径1cmくらいにそっと円を中心に向かって描くように湯を落とす。コーヒー液がカップに滴るかどうか、というくらいの量を目安にする。そうすると、(豆の鮮度がいい具合であると)ぷくっとした泡がいくつか立つ。その泡を確認したら、もうドリップにかかっていい、というのが父のやり方で、それを教わった。だから私はずっと、パブロフの犬的にそうしてきた。

 ドリップするときに、コーヒー豆を蒸らす理由としては、コーヒーの香りを引きだすことにあるのだとおもうんだけど、方法はいくつかあるとおもう。例えば父は最初の湯を注いでから、20秒とか30秒とか待つことはしないけれど、ドリッパーを上げ下げする回数は少ない。それから常に豆の膨らみに気を配っていた。勝手な想像だけれど、このむくむくと豆が膨らんでいるときというのがすなわち蒸されている状態ということなのではなかろうか。
 昔使っていた陶器のドリッパー(抽出液が見えない)では、上げても1回程度、ハリオV60のAS樹脂製を使うようになってからは、それがクリアであることから1度も上げずにドリップすることが容易になった。これはカップに落ちたコーヒー液の香りが逃げないためだと聞いた。焼いた豆やブレンドの具合を確かめるため、ドリッパーを外すやいなや鼻を近づけ、手で扇ぐしぐさを何度も見た。
 と、いうわけで、私も基本的にはこの方式を採用している。

 こういうのは好みの問題であるから、好きなようにやればいいとおもう。おもうんだけど、やっぱりずっとこれでやってきたものだから、他人のやり方に仰天することがたまにある。
 具体例をあげてみると、まずポットからしずくのようにぽとぽとと、湯を注ぐ方法をとっているところ、あるいは注ぎ口からの湯のボリュームがごく小さい(細い)ところ。
 それから、宙に浮いたドリッパーをたまに見かけるけれど、あれなんかはまず見た目がちょっと恥ずかしいというか、自分でもなぜだかわからないけれど下半身があらわになった姿がイメージされてしまって、落ち着かない。注ぐ湯の量がちょっとずつなのと、この宙に浮いたドリッパーを使うメリットは温度調整なのかもしれないが、特に下半身裸のほうは香りが逃げてしまうのではとおもっている。

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 父をはじめ、カウンターに立つことに年季の入った人たちは、その所作が見ていて気もちがいいところがある。コーヒーを淹れたりドリンクをつくったりするのはパフォーマンス的な一面もあるから、エンターテインメントといえなくもない。
 昔、店ではたくさんのオーダーをさばくのに、一人用のドリッパーをセットしたコーヒーカップを横一列に並べ、順にお湯を落としていく作業がよく見られた。父も母もやっていたけれど、リズムがあって、それぞれ(というのは父と母のしぐさ)の雰囲気があって、好きだった。
 ペーパードリップの他、サイフォンもよく披露された。フラスコに炎をかざして、コーヒー豆やコーヒー液が上下するのはいかにも楽しい。ただし味わいに関しては、私はサイフォン式のはあまり好まない。抽出のときの温度が高すぎて、ちょっと味が鋭くなる。
 サイフォンには、ネルドリップに使用するネルを巻いたフィルターをセットしなくちゃいけなくて、これには器具に引っ掛けるための金具がついているんだけど、そういったものを操るしぐさを見るのも好きである。
 ネルドリップのネルを絞って水けを切る手つきとか、掌でたたいて乾かしたり、そういう映像的なイメージや、音や、においといったものが、私の中にはたくさんある。

 顔見知りの喫茶店でも、そういったものを見るたのしみがある。
 K市のむたさんの店は変わった形のポットを使用していて、それは注ぎ口がすごく細くて長くて、さらにふつう一般のに比べると角度がすごくなだらかで独特だった。距離感に慣れるまで時間がかかりそうなそれを、マスターもママもうまく操って次々にドリップをしていた。
 K町のツジさんのところは、いまも陶器のドリッパーを使っている。ツジさんは、だから手順のなかにドリッパーを温めておくというものが入る。ドリップしたあとの、豆のかすを1か所にまとめ、ある程度溜まると別の場所に移動するなどする。
 E町の平井さんもまた、所作がなんというか颯爽としている。何にしろ、こういうのは積み重ねがモノをいうのだろうとおもう。食堂であっても、バーであっても、なんでも。そうそう、神父や僧侶、神主などといった、聖職にある人の儀式的な所作もいい。

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 コーヒーのドリップについて、ふと浮かんだことを書いてみた。そういえばこんな話もずいぶん父としていないし、こんど改めて訊いてみようかなどとおもった。

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