見出し画像

喫茶店百景-郷くんち-

 秋の大祭「長崎くんち」はわりと有名なのでご存じの方もおられるかもしれない。諏訪神社の祭礼である。長崎のひとがふつう一般に口にする「くんち」は10月7日から9日にかけておこなわれる祭りを指す。

 それとは別にさとくんちというものがあって、っていうのは知らなかったけれど私が子どもの頃に店があった町にもくんちがあった。郷くんちは、市内のいくつかの町でそれぞれおこなわれている。
 私の町では、本家(でいいのかな)のくんちが終ったあとの10日と11日にS神社でおこなわれていた。私が通っていた保育園でも神社の境内で何か手伝いをしたような記憶が薄っすらとある。お諏訪さんのくんちとは違う、規模の小さいものだったけれど、神社と商店街が協力して開かれていたくんちを、それなりにたのしみにしていた。

 我が町のくんちでも演し物(奉納)をというのがいつ頃からおこなわれたのか憶えていない。父の親友のMおじさんが本場樺島町の太鼓山(コッコデショ)をみんなに教えて、たぶん山車なんかは商店街などで協力してつくったのだろうとおもう。

 Mおじさん。
 父とはとくに仲が良かったこの人は、魚屋さんだった。私を可愛がるあまり(?)小さいころはよく顔を舐められるなどして、悲鳴をあげていた。魚をシメるのに使うのだったか、いつも親指の爪がすごく長かった。活きたままの伊勢えびやうなぎを持ってきてくれたこともある。うちに集まって夜通し麻雀をするなど、父とはほんとに仲が良かった。悲鳴をあげながらもおじさんが好きだった。Tおじさんと、このおじさんと、我が家とそれから幼なじみの家族で毎年海辺でバーベキューにも出かけていた。小学校の運動会では、このメンバーで酒盛り状態だった。

 父ととくに仲の良かったこのTとMのふたりのおじさんが、私も大好きだったけれど、ふたりとも20年ほども前に病を得て、死んでしまった。

 今日は久しぶりに喫茶店時代の話題を書こうとおもって、郷くんちを話題に選んだのだけれど、YouTubeでコッコデショの動画を観たり、おじさんたちのことを思い出していたらとてもさみしくなってしまった。いっぱい可愛がってくれたこのふたりのおじさんに、私はなんの恩返しもできなかったのだ。それに、父だってツートップといえる親友を立て続けになくしていて、その悲しみは想像もつかない。そんな父のことをおもうと(本人はその悲しみを表に出さないけれど)こみ上げてくるものがある。

 せめて夢のなかで会いたいなとずっとおもっているけれど、ふたりとも一度も出てきてはくれていない。

 動画をお借りした。見どころは山車を投げて片手で受け止めるところ(1:58あたり)。実は(っていうのも変だけど)ある時点で神社と商店街の意見が食いちがいでもしたのか、今はSくんちではなくSまつりとなった。場所は神社の境内と参道だったのが、今は以前消防署があったところに変わっている。この動画ではうちの店があった建物も見える。

 動画から町名もバレバレだけど、しつこく「S」と書いた。

この記事が参加している募集

#振り返りnote

85,445件

サポートを頂戴しましたら、チョコレートか機材か旅の資金にさせていただきます。