この日は暖かかった-上野の国立西洋美術館
今回の訪問先のひとつとして、ここを選んだ理由は特に書かないけれど、上野の国立西洋美術館に行った。
<キュビスム展―美の革命>が開催中なのを目にし、常設展だけでいいや、とおもいながら券売所の列をすすんで自分の番になったところでつい「企画展を1枚」と言ってしまった。キュビスムってよくわからないからやめとこうとおもったくせに、よくわからないから観てみようという気になってしまったのである。
会場の中は、キュビスムとはなんたるかを語りだしそうな人でいっぱいであった。撮影可能な作品すべてをスマートフォンで撮影するおじさんなんかもいた(シャッター音が耳ざわりだ)。
そんななか、キュビスムがよくわかっていない私は肩身をせまくして出口まで進んだ。
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次に常設展示エリアに入った。こっちのほうが観ていて落ち着くものが多いものの、修学旅行生がうっとおしくてあまりゆっくり観なかった。修学旅行でこの美術館にこられるなんて、羨ましいなあとおもった。
あ、親指のマリアだ。と、おもったら悲しみの聖母だった。
1708年に屋久島に上陸したシドッティ神父(Giovanni Battista Sidotti)の携行品だった聖母像(通称「親指のマリア」)と見間違えたのだ。あれは東京国立博物館の所蔵である。
知らなかったけれど(知らないことが多い)どちらもカルロ・ドルチの作品なんですね。個人的には「親指のマリア」のほうが好き。
ミュージアムショップで、いくつかカードやマグネットを購入した。(悲しみのマリアのも買った)
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すっきり晴れて空が青いし、イチョウは黄色いし、敷地を歩いているのだけでも気もちがよかった。
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今日は冬至ですね。
クリスマスっぽいこととかを書きたかったのだけれど、上野の写真を載せたらスペースがいっぱいになってしまった。
「悲しみの聖母」の絵のとこで触れたイタリア人・シドッティ神父は、1708年に屋久島に上陸後、村人の家に身を寄せたもののやがて捕えられ、薩摩藩により長崎に送られている。長崎で取り調べを受け、翌年の1709年に江戸に護送された。江戸での尋問は新井白石が担当した。
尋問のあと、新井白石は3つの意見上申をおこない、その中から幽閉の案が採用され、シドッティ神父は1714年に亡くなるまで、東京都小日向の切支丹屋敷で過ごした。
いま、旅を終えてこういうことを書いていると、そのような場所(この場合切支丹屋敷跡付近とか)を訪ねてみるのもいいかもしれない、などとおもうけれど、ちょっとした旅ではなかなかそういうところまでカバーできないよね。
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今日の「寒波」:きのうから気温が下がって降雪もみられた今朝、薄暗い道のすみっこに鳩が座り込んでいるのを見ました。鳩も寒そうだった。
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