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だいたい朝はこんなふう

 5月ともなると明るくなるのも早い。

 誰もいない事務所が好きで、始業時間より早く行く。まわりが静かだと集中して仕事を片付けられるし、電話も鳴らないし、来訪者の対応なんかもしなくていい。

 事務所に着いたらまずお湯を沸かしながらコーヒー豆を挽く。自宅では電動ミルを使ってガーッとやってるんだけど、平日の朝は1杯だけにしているから(休日は3杯ほど)、手挽きでちょうどいい。お湯を沸かしながらごりごりとゆっくり豆を挽いて、コーヒーを淹れる。

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 以前の勤め先でも他の人より早く出勤していた。といってもそこでは局長や事務長たち男性職員が私よりも早く来て仕事をしていた。他には外科のYさんが同じくらいの時間に来ていて、普段はあまり話す機会もないセクションの人だし、群れないタイプが似ているように感じられるところから、着替えをするあいだ、更衣室でYさんと会話するのもわりと好きだった。
 日中の事務所は有線のポップミュージック・チャンネルを流しているし、電話もよく鳴る、わりと大所帯で騒がしい職場だった。だけどその朝の1時間ほどは、とても穏やかに集中して仕事ができる。有線のチャンネルも、昼間みたいに浮かれたBGMじゃなくて、局長の好みの古い洋楽なんかだった。
 私はただ、そういう静かな環境でいくつかの仕事がを片付けたいために、そして自宅から近かったこともあって、勝手に早朝出勤をしていただけなのだけど、人と違うことをすると目立つらしい。異質な行動は好まれないみたいで、いつの間にか「あいつは男性職員目当てで早く来ている」というふうな勝手な言いがかりをつけられていた。つまらないことを考える人がいるものだな、とおもった。

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 いまの事務所は人数も少ないし、そんなことを言うような人はいない。というかその朝の約1時間はかんぺきに私ひとりだけ。
 海(港だけど)のそばだから、よほど天気が荒れてなければ景色もいいし、わりといい環境だと言える。

 以前の私は、つまらないことでも他人から心外なことを言われたり中傷を受けるとそれなりに気分を害したし、それなりに傷ついたりもしていた。上に書いた職場でも、いろんなことが重なって結局は退職するというふうになった。
 いまは歳を重ねたこともあってずうずうしくなったのか、人とのあいだで傷つくことはずいぶんと減った。これはすごく楽である。ただ、その代わりとでもいうのか、他者との関わりの中から、これまで自分では見えなかった自分の姿が浮びあがってきたとき、たまに自分と自分とのあいだ(って変だけど)で傷つくようなことはある。若いころには気づかなかった自分とでも言ったらいいだろうか。

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 まあ、とにかく。
 今日は雨が降っていたけれど気候としてはわりと穏やかだったし、気分も落ち着いていていい朝だった。コーヒーはこの間の喫茶店で購入した深煎りのおいしいやつだし、決算なんかで忙しくもあるけれどトラブルのようなこともない。来週は出張といってもひとり旅みたいな仕事も控えていて、そういうたのしみもある。

 こういうのって平凡だけれど、ありがたい日常だよなあなどとおもいながらコーヒーをずずずと飲み干した。

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