私の「おかあさん」たち
幼なじみのYSのおかあちゃんは、私のことも自分チの子どもみたいに何かと面倒をみてくれる。うちは商売をしていたこともあって、私は生後3か月で保育園に入った。8か月先に生まれたYSも同じ保育園にいて、つまり幼なじみである。保育園でも私生活でも、けっこう付き合いが深かった。
YSは大学の頃からずっと関東に住んでいて、家庭もあっちで持ってしまったけど、おかあちゃんの思い入れが強いのは次男より何と言っても長男で、そのおかげか私のこともいまだに気遣ってくれる。
私は引越しが多いので、県外でも県内でもあっちこっちと引越しを続けているけれど、今の住まいはおかあちゃんチのすぐそばで、それもあって最近また交流が頻繁になってきた。母の住まいより距離が近い。
おかあちゃんは、酒も飲むしたばこも飲む。私が愚かにも反抗心からたばこに手を出したとき、うちの母より先におかあちゃんが気づいた。
——あんたたばこ吸ってるでしょ? 洋モクは臭うから日本たばこにしな!
と言ってマイルドセブンを勧められた。おかあちゃんは「たばこはやめな」とは言わなかった。びっくりしていたら息子(YS)が吸っているのに気づいたときも「うちで吸うのはいいけど外(学校)ではやめな」と言ったらしい。ちなみにおかあちゃんは新宿の生まれで、東京弁というのか、そのへんの言葉を使う。
おかあちゃんのおから
酒飲みだから、味付けも母とは違う(母も下戸です)。パンチのある味付けが多いし、生まれが東京だから、こっちみたいになんでも甘いということもない。
おからの煮たのは、よそは知らないけれどこっちのものはときどきどうしようもなく甘い。父方の伯母(80代)のなんか、お菓子みたいに甘い。
私は子どもの頃から甘い玉子焼きなんかも食べられないほうで、おからも自分で炊くときは砂糖は入れない。おかあちゃんのおからも、だしの味がしっかりして甘くなく、おいしい。
*
五島列島、下五島に奈留島という島がある。ここの出身のSEさんは今の仕事をはじめてから知り合った。うちの母よりは少し年が上で、カトリックの家庭に育っている。定年を迎えるまで看護師として奉仕し、私が知り合ったときは帰郷と退職をしたあとで、ほそぼそと花の仕事をしておられた。
まだ元気があるからと、教会への奉仕も篤く、そのことでたくさんお世話になった。島を訪ねると、ご主人が港まで迎えにきてくれて、教会まで送ってもらう。私は愛知に2年ほど住んだことがあり、愛知出身のご主人の話し方に懐かしさと親しみを感じていた。
色んな事情があって、SEさんとご主人は3年前に島を離れ、現在はご夫婦とも愛知でまた医療関係に従事しておられる。おととし、東海地方に行くことがあって、会いに行ってきた。
その日は日曜日だったのに、前晩のごミサに振り替えて、喫茶店でのモーニングをご馳走してくれた。その後は、娘のYKさんも呼んで、とっておきのランチに連れて行ってくれた。
エスカルゴのパイ仕立て
1日2組限定だったかの、特別なレストランでのランチ。初めてお会いする娘のYKさん、とても明るくて優しかった。よそから来た、初対面の私のためにこの後の空港への送迎までしてくれた。貴重な日曜日に。
私は、こんなふうに他人にやさしくできるだろうかなどと考えていたら、情けなくなるやら、ありがたさや嬉しさで感動するやら、大変だった(感情が)。
このランチのあと、娘が2人いるみたいだったと言ってくれた。私も「おかあさん」が増えたと感じていた。
SEさん家族がいなくなってから奈留島を訪ねたら、さみしさがこみ上げてきた。それから奈留島には行っていない。
*
こんなふうに、私には「おかあさん」がいっぱいいて、自分のお母さんにも、周りの「おかあさん」にも、たくさんかわいがられて育ってきたのは幸福というしかない。
愚かなことをいっぱいしてきたけれど(愚かなことしかしてないともいえる)、道を外れずに生きていられるのはきっとこの人たちのおかげである。
ありがとうございます(ほんとに)。
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