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しかしまあ、いろんな宿がありますね

 ある仕事のプロジェクトでいくつかの土地をまわり、いくつもの場所で撮影をする旅をしたことをここ数回の記事で話題にしている。
 旅には宿泊が伴う場合が多い。今日はこの一連の旅において利用した宿について、回想をしながら書いてみようとおもいたった。

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 下五島では2泊した。当初のスケジュールでは、週を隔てて上五島エリアを目的とした日程が先にくるはずだったのだけど、天候などの関係で下五島エリアと入れ替えたことから、そんな調整がいくつか必要になった。
 入れ替えた日程での宿探しは、日にちがあまりなくてちょっとだけ苦労して、やっと探しあてたのは素泊りのみの小さい宿泊施設だった。いくつかのウェブサイトからの情報によると、改装済みで小綺麗そうである。
 渡航する船がドック期間中にあたり到着は深夜帯。港から宿までは1.5kmほどある。予約の際に送迎があるか訊いてみたところ、その宿屋はひとり体制だから受付けていないと言われた。それならタクシーを手配しておきたく、いくつかタクシー会社に問合せたけれど、時間帯が遅いことや、予約しなくても港のそばに何台か待機している(はず)みたいな適当な答えばかりで結局予約できなかった。
 下船してみると真っ暗な港にタクシーなど見当たらず、フェリーの2等客室でカチカチになった身体をひきずり、とぼとぼと宿まで歩いて移動した。改装はしていても古くて小さめという宿にエレベーターなどあるはずもなく、重い荷物(機材入り)を2階まで担ぎあげ無事にチェックインとなった。
 平日の仕事終りで乗船して、空腹しのぎに軽く食べてはいたものの、ちょっとおなかがさみしかった。翌朝は2次離島に向け早朝移動の予定だったため、やはり空腹しのぎのアイテムと飲み物を確保しておく必要があった。荷物を置いて、おそるおそる近所のコンビニエンスストアに向かった。おそれたのは、島のコンビニって深夜は閉店している可能性がゼロではないからである。
 コンビニエンスストアの明かりが見えたときの安堵は大きかった。
 夜食にはカップ麺が採用された。宿に戻って風呂やカップ麺用のお湯を仕度しようと部屋を見回すと、保温ポットはあって湯沸かしポットはない。深夜で気が引けつつもフロントを鳴らして訊くと、保温ポットに沸かしたお湯が入っていると告げられた。保温された湯の温度がどれくらいかわかりかねるが、ぬるいカップ麵になるとしょげるから、気兼ねしつつ沸かしてほしいと強く主張。これで熱湯が手に入った。
 改装から1年ほどというこの宿は、風呂やトイレはキレイだし、部屋の広さやだいたいの設備は可もなく不可もなしだったけれど、どうせなら電気ケトルを置いてほしい。そう感じた宿だった。素泊りでひとり4,500円が妥当かどうかよくわからない。

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 下五島をクリアして数日後、次の目的地は野崎島だった。ここはほぼ無人島で宿泊施設はひとつしかないので特定できてしまうけれど書く。
 かつての校舎を宿泊施設として有料提供していて、食事は共用台所での自炊のみ。宿泊室には布団があって、シャンプーなどは用意があるが、寝間着や歯ブラシは準備するように、施設の概要ページにはそう書いてあった。
 翌日から時化が予想されるなか、管理者などの心配をはねのけ予定通り敢行するつもりで佐世保から小値賀を経て野崎島に渡った。ほぼ無人島の野崎島への入島前に食材を準備しておかなければならない。当日余計なこと(というのは撮影が最優先であるから)に煩わされないよう食材はパッキングしてきた。
 小値賀で船を待つ間に、非常食を物色しようと当地のスーパーマーケットにも寄ってみたところ、午後であったためかパンやおにぎりといった手軽な食料の棚はスカスカ、少ない選択肢から何とか選んで購入した。
 野崎島の港に到着後は、まっすぐ撮影地に向かう。港から目的地まで1.2kmほどある舗装されていない自然道は緩やかな上りで、ここでも機材運搬で疲労を得た。
 そのまま撮影に没頭し、終了したのはたぶん19時を過ぎていたとおもう。潮風と汗と埃や砂塵で汚れ、疲れていたから、そんなのを流して食事の準備などをしようと考えていた。とりあえずお米があればなんとかなるというので炊飯をするつもりだった。
 施設に入り部屋への案内と説明を受けていたら、管理者に「共用台所の使用は21時まで」と告げられた。えっ、そんなの初耳である。炊飯するつもりだと言うと、管理者に「段取りが悪い」と予期しない小言をぶつけられながら、こっちの目的は撮影で、食事や風呂などの段取りなんか後回しなんだが、と内心ふつふつしつつ余計な摩擦はなるべく避けて荷ほどきや機材の整理、おかずの準備を進めた。慌てて台所に行くと、見かねた(?)管理者が炊飯スイッチまでの行程を終えたところだった。文句を言いながら世話を焼いてくれるオカアチャンみたいだった。
 宿泊室には布団があった。言い方をかえると、布団しかなかった。つまりふつうあるはずのデスク的なもの、充分な電源設備、そういったものに加えてちり紙などといったものは一切見当たらない。畳敷きに布団、それでおしまい。
 埃っぽい身体とあらゆる種類のいらだちに加え、このような想定外のことに煩わされて疲弊が増す。機材の充電や撮影したデータの整理を優先したいのにそれも満足にできないし、施設の無線LANは壊滅的で使いものにならなかった。
 いろんなことに血管を浮かせつつ奥歯をかみしめてものごとをやりこなし、その日を終えた。ちなみにいま一度ウェブサイトを確認したけれど共用の設備(台所や浴用部分)の使用時間に制限があるとはどこにも書いていない。
 ここは素泊り(それ以外に選択肢はないが)で3,500円、共用台所の鍋やフライパンといった調理器具は年代物、ハエトリガミがぶら下がる調理実習室にある食器はすべてメラミン製。変色したアルミホイルやいつからあるのかわからない調味料がふんだんにあった。共用シャワー室はキャンプ場や海の家なみのおぞましい設備で、ポンプの騒々しいシャワーはまともな水流ではなかった。

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 各宿泊施設に焦点をあて、さらっと全行程分書くつもりが、回想に熱がこもってここですでに2,000字を超えてしまった。分けたほうがいいのはわかっているけれど、この野崎島から中通島への移動までがひとつの行程だからそこまで続けて終りにしよう。

 翌日は、野崎島から中通島に移動したかった。定期船では用が足りないからチャーター便を手配。先に時化が予想されていたことを書いておいたけれど、島の定期船は1便を除いて欠航という天候のなか、早朝から少しだけ撮影をして、午前のうちに野崎島から中通島に移ることができた。野崎島を出られ、よろこびからか安堵感からか不明だが心がちょっとだけゆるむ。
 中通島に着いてからは、島の中心部まで35kmほどの長い距離を陸路で移動しなくてはならず、手段が限られていた。が、うまいこと事が運び(詳しく書くとちょっと問題がある)軽い島内観光をしながらレンタカーの事業所まで移動。レンタカー手続きの間、そばにある港から放送が流れた。海上時化のため翌朝のフェリー(我々が利用するのと別の航路)は欠航という不吉な情報だったけれどまあ気にしたってしょうがない。車を借りて、チェックインの時刻までぶらぶらと、今後のスケジュール確認と調整、休憩や腹ごなしと気分転換の観光を挟みつつ過ごした。
 その日の宿はビジネスホテルだった。野崎島の某宿泊施設からすると天国のようにも感じられたけれど、ごくふつうのビジネスホテル。浴槽にお湯をため、よごれを落とし、デスクで仕事の整理もできたし電気ケトルを使ってコーヒーを飲むこともできた。
 ここでは朝食をつけていて、合計で8,000円ほど。高いね。

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 行程3日目は朝から撮影に入ってその日の夕方のフェリーで戻るはずだったけれど、前日レンタカー手続き中に聞こえた別のフェリー同様、我々が乗船予定のフェリーも欠航と相成った。別の航路を探ったけれど、かなり無理がある。あきらめてもう1泊することになった。そういうわけで、急いでレンタカーの延長や宿探しをしなくてはならなかったものの、まずはなんといっても撮影である。時化の元となっている強風とたたかいながら、撮影者のふんばりで無事に撮影ができた。すごいものをみた。
 撮影が終ってレンタカーも延長でき、だけれども宿探しはちょっと難航した。海の便の欠航でキャンセルが出るだろうとおもったけれど、我々のようなパターン(島から出られない)のほうが上回ったのだろうか。やっととれたのは、民宿的な宿だった。急な予約だから食事はできないと言われたけれどそんなことはどうでもいい。寝る場所が確保できてほっとした。
 最近改装したと見られるかわいらしい外観をした戸建ての玄関を入ると、その建物に似合わない(失礼)じいちゃんがチェックイン手続きをしてくれた。鍵を渡され、部屋は2階と告げられた。また機材もって階段かあ。
 車から荷物や機材一式を下ろしていたら、別の客が来た。それで2分くらいしたらじいちゃんが車のそばにきて「渡すカギを間違えた(あはは)」と別のカギをくれた。たぶん最初にくれたのはその別の客が入る予定の部屋のカギだったんだろう。おいおい、とおもったけれど、正式の部屋は1階だったので助かった。
 ひと通りものごとを整理し、息をついてから夕飯をとりに外に出た。前日の夜、その日の宿のそばでみつけた寿司屋ではおいしい寿司とアラの赤だしを食べた(ごちそうになった)。その店の近所に何かあるだろうと目星をつけて車で移動し、ひとつの食堂に入った。島民が利用していそうな、ごく一般的な大衆食堂と思われたその店は、しかしなかなかのものだった。
 我々の他には2組の島民っぽい客が座っていて、切り盛りするのは夫婦だった(確かめたわけじゃないけど)。注文して座って待つのだがいつまでたっても出てくる気配がない。厨房は稼働していたけれど、我々の直前に入った隣の席のもまだ出てきていない。
 そこにあった新聞やらをなんとなく眺めて待つ。ときたま会話をしたり、周りの様子を観察したりしながら待つ。同行者がたばこを吸いに出ている間もじっと座って待つ。しばらくして隣のが運ばれてきたから、まあ我々のもじきであろうなどと考えつつ待つ。
 それで我々の目の前に注文のものが運ばれてきたのは、入店から30分以上は経過してもう空腹の火がぶすぶすとくすぶり尽くしたあとだった。隣の客はそろそろ食べ終えてしまいそうである。おかみからの「お待たせしました」はなかった。
 顔を見合わせつつイタダキマスと箸をとって味噌汁をひとくち啜るとぬるいというかほとんどかんぺきに冷めていたのには驚きのあまり言葉もなかった。そういえば自分が何を注文したのか思い出せないんだけれど、それはこの味噌汁の温度のせいかもしれない(同行者が煮かつだったのはおぼえている)。付け合わせ(?)の目玉焼きも冷たかったんだけれど、なんで?
 長い夕食を終え(食べている時間は15分もなかろうか)店をあとにして宿に戻った。外の風は強かったもののわりと静かでぐっすりと眠ることができたこの宿は、たしか素泊り4,500円ほどだった。頼んでおいた領収書もすぐ書いてくれたし、清潔感があってとくに文句はない。

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 そういうわけで、なんの役にもたたないだらだらとした宿案内(?)でした。五島列島編はここまで。
 私は水回りが不潔だと背筋がゾワついてしまうから、宿探しではけっこう念を入れることが多い。ひとりのときは値段よりもそこらへんに重点をおく傾向があるかもしれない。
 今回のように同行者があって手配を任されたときには、それがそれなりの相手だと優先順位や採用基準が違うから緊張するところもあった。それでも、その過程というかあれこれ調べたりするのはそう苦にはならず、何かしら学ぶところのあるものである。現地に行ってみてわかることもある。
 特に、自分ひとりではないとき、何かにドヒャーとなってもそれを共有してあとあと面白がることができる場合もある。そういうのも旅のひとつの側面として、記憶に残るポイントになりえるものだ。

 また色んなバリエーションの旅ができたらいいな。

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今日の「あ」:最近朗読の録音をとっていないなあ。そろそろやりたいんだけれど声が出るだろうか(知らんがな)。


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