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喫茶店百景-万華鏡-

 タムラさん(仮名)はある日を境に店にやってくるようになった、常連のひとりだ。父の友人の後輩にあたり、店の近所にある花屋の息子だった。家業はお兄さんが引き継いでいたから、タムラさんはもうずっと関東の方で家庭を持ってやっていたのを、結局家の都合で帰ってくることになったと聞いた。季節の植物を使って生けるのを得意としていて、毎週月曜日に取引先である繁華街の飲み屋に出入りしていた。

 50代を少し入ったところのタムラさんは、酒を飲むのが好きで、ちょっと都会的な雰囲気をもち、わりと陽気な人だった。父を好いてくれていて、父が淹れるコーヒーをおいしいと言ってくれた。花の仕事のないときなんかは、I市にある山小屋に暮らすなどしているようで、だから彼が店にくるのは、この界隈で仕事をする月曜日が多かった。ひと仕事終えて、脚付きのグラスで、グリーンのボトルのハートランドビールを飲む姿を何度も見た。

 ときどきは仕事先のママを連れて店に来た。一度ママを連れていたタムラさんと店で顔を合わせたときに、ママが私に「うちの店に欲しかねえ」などと言ったことがあったんだけど、タムラさんはすかさず「緑紗ちゃんはやらんよ!」と言ってておかしかった。私にはよく、「マスターのあとを継いでよ」と言っていた。

 父の店は階段の下に建つビルの2階にあった。
 階段を上がった向こうの、さらに道を挟んだところには父より後輩のHさんのカフェがあった。タムラさんはそこにもよく出入りしていて、Hさんの店のモヒートが好きなんだと言っていた。自家製のミントが隠し味(隠してないかな)らしい。Hさんの店で好きなモヒートを飲んでから父の店に来るときは、父の店の窓から見えるその階段を下りてくる。こちらに気づくと階段から手を振ってくれる、その姿を見るのも好きだった。

 店を閉める4年ほど前に、彼はこの世からいなくなってしまった。

 こんなふうに、店で知り合って、もう会えない人というのは少なくない。なんだかこういうのって、万華鏡みたいだな。ふとそんなことをおもった。

 子どもの頃に、どこで手に入れたんだか万華鏡を持っていた。誰かがくれたのだろうか。筒の片方の窓に目をあてて回転させると、中に入っている色とりどりのうすいビーズが動いて幻想的な模様をつくる。回転するたびに、しゃらしゃらという音とともになかの模様がくるくると変化し、これは同じ模様が出ないんだと誰かから聞いた。子どもだから、そんなことはお構いなしに、次の模様を見たくて回し続けていた。

 生きていてもおんなじで、「あのころ」というのはもうやってこない。それをおもうと、いまこの瞬間をもっとたいせつにしたいなどとおもうのだった。

八重の山吹

 いまでもあの階段を見ると、タムラさんがにこにこしながら下りてくるんじゃないかとおもってしまう。
 階段の下には山吹が自生していて、「ほら、八重の山吹が狂い咲きしてるよ」と教えてくれる彼の声がするようだ。

*

 この記事を下書きにしばらく入れたままにしておいたんだけれど、今日父のところを訪ねたら、少し元気がなかった。私も知っている父の後輩が亡くなったということだった。HTさんという。
 彼はたしかうちの母のひとつふたつ年下で、もう40年近くも前にうちの店でアルバイトをしていた頃からの付き合いだ。すぐそばの保育園に通う私を、両親の代わりに迎えに来てくれていたうちのひとりでもあったと聞いている。
 最初の奥さんとは離婚していて、父がひとりになってからのM町の店によく来てくれていた。明るい気さくな人で、いつもにこにこしていた。
 M町の店では私もよく店に立っていて、その頃HTさんの職場が近かったこともあって、会う回数も多かった。仕事中にはランチを食べに、仕事終りにはビールを1杯飲むなどしてくれていた。その頃(10年ちょっと前だ)HTさんは彼女ができたといってうれしそうにしていたのを覚えている。
 HTさんはちょっと特徴的な声を持っていた。季節でいえば秋の入り口、時間帯でいえば宵の口、色でいうと焦げ茶色、質感でいうとざらりと乾いた感じの声だった。

 父よりもいくらか若いし、ちょっとした病を得たことは聞いていたけれど、あまりにも急だったからびっくりした。父もちょっとぼうっとしていた。

 こうやって、もう会えないひとが増えていく。
 今日は、とくに「瞬間」について考えていたところだったから、なんだかつながっているようでますます考え込んでしまう。
 現代というのは色んなものを記録したり保存するというのが生活のなかで当たり前のようになっているわけだけれど、ほんとうの意味で「瞬間」を保存することなんてできなくて、万華鏡みたいで、だからやっぱり、いまこの瞬間をしっかり生きたい、なんてことをおもう。

 ただ、こうやって会えなくなる人が増えていくのはとてもかなしくて、とてもさみしい一方で、ひとつおもうことがある。
 幼いころから、可愛がってくれた人たちがいて、そのうち何人かの人を失ってきたわけだけれども、いま私がこのように考えられるようになっているということは、彼らが私のなかで生き続けているとも言えるのではないか。ある一瞬をとても大切におもえるその背後には彼らの存在があって、それというのはとても尊い。

 もう会えないけれど、出会えてよかったとおもう。しあわせだとおもう。

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