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護衛艦進水式に立ち会った日のこと

 吉村昭氏が著した『戦艦武蔵』という本を読んだ。話を聞いて読んでみたいとおもったからだった。
 「武蔵」は三菱重工業株式会社長崎造船所で建造された戦艦で、当初は「第二号艦」と呼ばれていた。第一号艦は「大和」で、第一号艦が建造されたのは広島県の呉海軍工廠であった。
 「武蔵(第二号艦)」は昭和13(1938)年に起工され、無事に進水したのは昭和15(1940)年。その年の11月1日の満潮時が選ばれた。

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 平成29(2017)年に、護衛艦の進水式を見に行ったことがあった。特に強い興味を持っていたわけではないけれど、姉の友人から入場券をもらえるというので、姉と父と行くことにしたのだった。

防衛省御注文 第2330番船 護衛艦(1614)
平成29年10月12日(水)10時27分開式 立神 第1・2船台

 入場券にはそう書いてあった。防衛省御注文・・・。あまり何も考えず、10月とはいえとても晴れて気温が高かったその日、私は赤いチェックのボタンダウンに短パンという、ふざけた格好をしてきたことを少しだけ後悔した。
 この船は平成26年11月に防衛省から注文され、この日に進水し、海上試験などをおこなったあと、平成31年3月に防衛省・海上自衛隊へ引き渡される船であったそうだ。
 一般見学者用の入場券を見せてぞろぞろと造船所内に入り、列をつくって所員(でいいのかな)の方々に引き連れられ、護衛艦の近くまで行った。暑かった。セレモニーが行われた場所は遠かったし、その様子をあまり覚えていないけれど、ステージのほうではエライ人のあいさつや、音楽隊の演奏などが催されていた。
 進水はいつだろう、そればかり気になってそわそわした。
 いよいよかとおもっても、なんだか周囲がざわざわするばかりで一向に進水に至る気配がしない。笛の合図などで、エリアごとに作業員の方々が配置し、盤木を外す作業をして、それからまた少し時間が過ぎた。
 まだかなあ。そんなことを思いめぐらしているうち、気が付いたら船が動いていた。支綱がいつの間に切られたのか、っていうかもっとそれらしい(というのは船が船台の上を滑る際に)音がするのだろうと勝手に思い込んでいたんだけれど、そうではなかったらしい。カラフルな万国旗やくす玉を身につけた護衛艦は、音もなく水上に向かって滑り出し、あっという間にその速度を増した。慌ててカメラを持ち、シャッターを切った。

 船が完全に海上に浮かんだあと(だったとおもう)、くす玉が割られ、それから左舷に「しらぬい」の文字がおどりでた。この護衛艦は「しらぬい」と命名されたらしかった。
 強い日差しにさらされ、汗をかきながらあんなに待ったのに、ぼんやりしていた自分をビンタしたい。とにかく進水は完了した。

 この、長い待ち時間の間、そういえば父が「武蔵」の話をした。「武蔵の進水ん時は対岸に海の水の溢れたとばい(方言)」と、まるで見てきたみたいな言い方をしたから、いっしゅん時間軸が混乱し、思考がフリーズしたが、武蔵が進水(建造)した当時、父は生まれていない。父はこのように、聞いた話を自分のエピソードのように語る性質がある。
 対岸で海水が溢れるほどの巨大な船、そんなのぜんぜん想像がつかなかった。

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 『戦艦武蔵』を読むと、対岸で海水が溢れたのはほんとうのことだとわかった。しかも、いま知ったのだけど私が「しらぬい」の進水に立ち会ったこの第2船台は、武蔵が建造された船台だった。そんな場所に立ち、数年経って武蔵のことが書かれた本を読み終えたものの、やっぱりうまく想像はできない。もっとしっかりと見て記憶しておくんだったな。

 少し前にはDisney+で真珠湾攻撃のドキュメンタリーを観た。『戦艦武蔵』の最後のほうでは、敵軍に執拗な集中攻撃を受ける武蔵と乗組員たちの様子が、こまかく描写されている。
 戦争について、いろいろとおもった。

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今日の「ぼやき」:仕事をしていると色んな人が訪ねてくる。年末だ。月曜からボスが不在で、訪ねてきた人がそれを伝えられると「じゃあ片山さんを」と言うから何度も席を立ってアジトを(私の間仕切りオフィスは一番奥)出ていかなくてはならない。もちろん対応はするんだけれど、内容をよく知らない業務についてもその具体的な指示などを求められるので、とても面倒である。ぶつぶつ。

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