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喫茶店あれこれ

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喫茶店やコーヒーまわりのあれこれを集めました。
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#振り返りnote

喫茶店百景-商店街(かつての市場)-

 両親がやっていた喫茶店は、Sという町の市場のなかにあった。いまは市場から商店街へと変化している。私が小さいときはアーケードも架かっていない青空だったし、周りの建物も店もずいぶんと変わってしまったけれど、変わっていない部分もけっこうある。かつての店の向かいにある野菜屋や果物店は当時とおんなじで、私はいまでもそれぞれの店で日常的に買い物をしている。  店から歩いてすぐの保育園に入ったのは生後3か月ごろと聞いた。幼なじみのMKのおかあさんが保育士をしていて、近所の商売の子どもた

喫茶店百景-郷くんち-

 秋の大祭「長崎くんち」はわりと有名なのでご存じの方もおられるかもしれない。諏訪神社の祭礼である。長崎のひとがふつう一般に口にする「くんち」は10月7日から9日にかけておこなわれる祭りを指す。  それとは別に郷くんちというものがあって、っていうのは知らなかったけれど私が子どもの頃に店があった町にもくんちがあった。郷くんちは、市内のいくつかの町でそれぞれおこなわれている。  私の町では、本家(でいいのかな)のくんちが終ったあとの10日と11日にS神社でおこなわれていた。私が通

喫茶店百景-なるべくなら口は閉ざしておこう-

 これは喫茶店(客商売)という世界に生きてきた、父や母の影響が大きいなとおもうことを書く。  父は大学に通ったけれど、途中で何かをおもったのか、在学中からアルバイトをしていたK市の喫茶店での仕事に魅了され、その方面に進んでいった。地元に帰ってきてからは、当時喫茶店やバー(パブ)などの店舗数をぼちぼちと増やしていた、Jという店で働くようになった。ここで本格的に焙煎をしだして新規店舗を任されたり、後輩たちの指導にあたるようになったと聞いている。まあ昔のことで、こういうことはだい

喫茶店百景-とけい-

 母が仕事を終えるのを待って、保育園や小学校のあとは店で過ごしていた。子どもの頃の話。  きょうだいの上のふたりとは4つ5つと離れていて、それもあって私は母にべったりだった。保育園では給食の先生にいつもくっついていたし、店にいるとお客さんからもかわいがられる。末っ子で甘えんぼうの見本みたいに育った。  それでも、店に長いこといると退屈する。お客さん用のマンガや雑誌を読みつくし、客席がすいていたら窓から下を眺め(店は2階にあった)、たまにお手伝いをしたり、人に会いたくないとき

喫茶店百景-甘党のおじさんたち-

 先日、父の生存確認に行ったら、前の日にIZさんが来たと話してくれた。お元気そうとのことで、うれしい。  IZさんは、父の小学校からの同級生で、オカネモチだったらしい。実家がかまぼこ屋を営んでおり、お小遣いも多いし、大学の頃なんかは赤いスポーツカーを買ってもらったりと、父にとっては何もかもが羨ましい存在だったそうだ。確か顔も広く、IZさんの結婚式には宇崎竜童氏が参列したと聞いたことがある。  そのIZさんが、手づくりのパンと焼き菓子を持ってきたから食べなさいと父から持たされ

喫茶店百景-オニキスのカレッジリング-

 常連さんのなかにはおしゃれな人も多かった。父自身、スタイルというものを気にする性格で、好むスタイルは一貫していた。だらしない恰好がきらいで、学生時代ごろからのアイヴィールック、トラッド・スタイルといったあたりを今も続けている。  母と結婚する前の話。  映画に行く約束で待合せる予定の日、母は時間通りに待合せ場所に行った。なのにいくら待っても父が来ない。3時間ほど待って(すごい)もう帰ろうかという頃に現れた父の、遅れた理由に母は呆れた。 ——出がけに靴の汚れとったけん、磨

喫茶店百景-ジャズ・トロンボーン-

 最初の店は私が生まれる前から始めていて、Sという町にあった。子どもたちの成長過程で母が仕切る時期があり、両親が夫婦関係を解消したあとは父がひとりでやりくりした。  S町もずいぶん様子が変わり、多くのチェーン店にお客を取られ喫茶店もすたれてきた。S町のその場所に見切りをつけた父は、ちょうど話があったらしくMという町の居ぬきの店に場所を移した。一度外に出てから長崎に戻ってきていた私は、M町の店にもちょくちょく出入りするようになった。厨房も客席もなかなかの面積をもったこの店では、

喫茶店百景-サーヴィス-

 注文を受けて、コーヒーや軽食をつくり、お客さんのテーブルに運ぶ。地方の小さな喫茶店だけれど、サーヴィスの日々である。  小学生から中学生時代のお手伝いといえば、以前も書いたけれど近所へのおつかいくらいだった私も、高校生くらいになってくるとときどき店の中の仕事もしていた。いつまで経ってもうまくできなかったことは、飲み物のサーブだ。  うちではステンレスの丸いトレイを使っていて、そこにコーヒーカップや背の高いグラス類をのせて運んでいた。丸いトレイは片手の平に持ち、テーブルま

喫茶店百景-あのころの面影-

 両親の喫茶店は商店街の中にあった。もともと父が勤めていたコーヒーショップというのがあって、父の先輩にあたる人がある時のれん分けでこの町に店舗を持った。しばらくして先輩がその店を手放すというので、父が居ぬきで引き継いだのだった。  そういうわけで、立地などは選べなかった。この店は建物の2階にあり、父はそれが不満だったみたいだけれど、私は2階の窓から下を眺めるのが好きだった。  商店街なので、市場が広がっている。上から眺めて店の入り口に向かうひとを(うちの店のお客さんかな? 

喫茶店百景-おやつ、間食-

 お店にいる間に食べていたおやつや間食など。  お店の子だからといって、まさかお客さんに出すようなものは出してもらえないのは当たり前で、まず許されていたのはコーヒーシュガー。えっ、砂糖?  コーヒーシュガーってご存じだろうか。最近あまり見かけないけれど、小石ほどの大きさで、琥珀色したもので、子どもからすると金平糖とそう変わらない感覚だった。あめ玉ほど邪魔くさくなく、なんかちょっと口に入れたいなというときに丁度いい。  ちなみにキャンディの類を食べたいなんて、今ではぜんぜんお

喫茶店百景-休息の場所としての喫茶店-

 カウンターに座るようなお客さんはほとんどが常連で、店が立て込んでなければコーヒーを飲みながら父や母との会話をたのしんでいた。お客さんの邪魔にならなければ、私もそこに加わる。まあ学校が終ってからの時間はそう混まないのでだいたいカウンターに座る。  近所で大学生向けのアパートを経営していたMDさんの奥さんも、買い物のついでにほとんど毎日来店した。MDさんは喫煙者なのでコーヒーを飲みながらたばこを吸うけれど、会話から家では吸わない人だった。つまり旦那さんには内緒にしていた。  

喫茶店百景-お手伝いいろいろ-

 学校が終って帰るのは、家と反対方向にあった両親の店だった。家の鍵は与えられていたけれど、ちょっと年の離れた兄姉と遊ぶよりも、店にいる方が好きだった。  母の帰りを待つ時間に何をしていたかというと、店のマンガ雑誌から週刊誌までを片っぱしから読む、それから図書館で借りた本なども読む。たまには宿題をしてみたり、窓の外を眺めるのも好きだった(お客さんが少ないとき)。お手伝いなんかもしていた。  私が店でやっていたお手伝いについて書いてみる。 ⋆紙ナプキン折り 正四角形で一部に飾