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喫茶店あれこれ

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喫茶店やコーヒーまわりのあれこれを集めました。
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#coffee

喫茶店百景(五島編)-ふねを待つあいだ-

 3週間ほどまえに訪ねた五島市の久賀島にまた行った。日帰りで、仕事の用事なのでばたばたと時間が過ぎ、久賀島から福江島に戻ってから帰りの高速船までのちょっとした時間を、喫茶店で過ごした。  港から歩いて10分もかからない場所にその喫茶店はあった。五島市内のひとに教えてもらった店で、知っていたら前回もここで休んだかもしれない。 ▽高速船待ちの時間つぶしに迷ったようす  落ち着いた雰囲気の、照明が暗い店だったのでほっとしつつ、席をとって座り、メニューを開く。コーヒーを飲みたか

喫茶店百景-basement-

 帰宅途中に、ある建物にふと目がいった。ずっとむかし、その建物の2階にバーがあったのである。  ずっとむかし、というのは私が幼いころのことで、このマガジンにはその時代のことを思いだして書く記事が多い。  近所の、その2階にあったバーには父親とその友人たちに連れられて行っていた。ビリヤード台がおいてあったのは憶えている。暗くて、他の景色はよく見えなかった。大人のまねをしてビリヤードで遊んでみたり、つまみのチョコレートを食べるなどして過ごしていた。  店の名は「basemen

コーヒー味くらべ(春霞編)その2

 先日投稿した記事の続きです。タイトルに春霞と書いたけれど今日はとても視界がすっきりした天候でした。  いただきもののストレートコーヒー4種のうち、今回は残りの2種、エルサルバドルとメキシコの記録です。 * エルサルバドル Republic of El Salvador 中央アメリカの中部に位置するラテンアメリカの共和制国家、エルサルバドル。グアテマラとホンジュラスに国境を接しており、南と西は太平洋に面しています。中米で最も人口密度が高い国なんだとか。 コーヒー栽培

コーヒー味くらべ(春寒編)その1

 先日コーヒーを飲みに行った先で、マスターからおみやげにと4種のコーヒー豆をもたせてもらいました。  今朝コーヒーを淹れるタイミングで、それぞれのちょっとした記録をつけてnoteに書いとこうと思いつきました。ストレートコーヒーをまとめて数種類味わう機会というのもそうあるものではないですし。  今日開封したのはケニヤとコスタリカ。 * ケニア Republic of Kenya インド洋に面した東アフリカの国、ケニア共和国。北のエチオピア、南のタンザニアもコーヒーの産出

喫茶店アルバム-店主のメガネ-

 コーヒー豆がきれそうだ。  父が焙煎したコーヒー豆を受け取るために、ある場所で待合せることにした。  そういえばこの店に来るのは久しぶりだな、などとおもいつつ店内に入ると、父は先に着いてカウンターに席をとっていた。店主の平井さんに挨拶をして私も座る。  父が飲んでいたダッチコーヒーの冷たいのがおいしそうで、同じものを注文した。ステンレスの脚付きカップが涼しげでいいとおもった。  先輩(父のこと)の娘というのもあってか、平井さんはやさしい。どうも前から感じていたことであ

喫茶店百景(short version)-待合せ-

 お茶の誘いをもらってにこにこと待合せ場所に向かいました。私が先に店に着いたので、「あとからもう一人来ます」と言って席をとりました。  いいですよね、こういうの。  両親が店を持っていた時代(このマガジンは主に両親の店まわりのことを書いています)、喫茶店というのは待合せ場所によく使われていたものでした。  いえ、現代でだってそういう場所なのは変わるところのないものでしょう。違っているのは、昔は携帯電話などというものがなく、店にはそういうお客からの電話がよく入ったものです。

喫茶店アルバム-あめいろ-

 私が普段飲むコーヒーの豆は、定期的に父が焙煎しているものです。ストックがなくなる前に連絡をしておいて、私の昼休みなんかに会って受け取ることが多いです。 *  コーヒー豆が欲しくて父にメッセージを入れたら、珍しく場所の指定をしてきた。市内中心部にある喫茶店だった。  その店のことは、存在は知っていたし父の知人と聞いたこともあったけれど、店に入るのは初めてだった。父は後輩の店だと言っていた。  少し話を脱線させるけれど、父は以前自分の店を持っていた。  父は学生時代から喫

喫茶店百景-うちの場合-

 昨夜ねむるときにレモンのことを考えていたら、連想的にレモンスカッシュのことが思いだされた。喫茶店のメニューの、レモンスカッシュ。そうしたら今度は、このごろ喫茶店マガジンの記事を書いていないことをおもって、何か書いてみたくなった。 *  両親がやっていた喫茶店は、自家焙煎珈琲が売りものだった。もちろんその他にも、軽食やデザート(というほどでもないけれど「スイーツ」は違う)などといった、いくつかのメニューがあった。子ども時代に、多くの時間を店で過ごした私は、両親たちがお客の

喫茶店百景-2階-

 先週末の午後に喫茶店でコーヒーを飲んだ。その店はむかし両親の店があった場所にも近い、商店街の一角にある。階下がたばこ屋、2階が喫茶店になっている。  窓際に席をとって座り、コーヒーを頼んだ。ふたり連れだったから会話を交わすなどする。会話が途切れたり、まあそれをしている間にもときたま窓の外に目がいく。人が行き交うのが目の端で動くからだ。  この店にくるのは何度めかで、だから初めてではなかったのだけれど、そうかここは2階なんだな、とおもった。あらためてそうおもったのは、ここに来

喫茶店百景-懐かしい面々-

 父が店を閉めてから会わなくなった人は多い。それでも日常うろつく生活圏内が重なる場合であると、道端でばったりなんていうこともごくたまにある。  今日はそんないくつかのうちから、わりと最近のものでも書いてみる。 * ■栗山先生(仮名)の場合/シチュエーション 道端で遭遇 「あら、お嬢ちゃん久しぶりやねえ。お父さん元気? そうね。近くでもぜんぜん会わんもんねえ。おい(長崎弁。俺)この間脚ば折ってさ、へへ、入院しとったとよ。やっと退院したとばい。(笑っている) ねえねえ、コンち

喫茶店アルバム-ちょっと遠い近所-

 車で40分というと『近所』というには遠い。私の、普段の生活範囲からそのくらい離れた場所にその喫茶店はある。  うちの母は結婚前の短い期間にデパートで働いていて、その時の後輩となる方がここのマスター(Tさん)。何かのきっかけで、ご夫婦で自家焙煎珈琲の店を始めたそうで、こつこつと長く続けておられる。  車で40分、行きたい! とおもってすぐに行ける場所ではないため、前回の訪問からずいぶん間が空いてしまった。  地域の人気店なので、どうかするととても混雑していて、そんなときは

喫茶店百景-英国人のお客さん-

 店にいるときには雑誌をめくったり、居合わせたお客さんと話したり、それから父と世間話をするなどしていた。ほとんどが時間を気にしたり、周りの目を気にしたりすることなく、くつろいで過ごす時間だった。  ある日、父が「今日は外国人の2人連れが来て、カプチーノやらホットサンドやら頼んでくれたよ。ちょっと待たせてしまったけど残さんで食べてくれたけんよかった。」などと話していた。  常連の中にも外国人のお客さんはいたし、まだそのころはインバウンドでやってくる外国人は町中に溢れていたので

喫茶店百景-Another Girlの思い出-

 近くでクリニックをやっていて、休憩に来てくれていたKH氏はミュージックバーをもっていると父から聞いた。KH氏は陽気でよく喋る。あまりおしゃべりな男性は好まない方なんだけど、この人はからっとしているからか平気だった。  私のことを「お嬢ちゃん」と呼ぶ。  お客さんの多くは緑紗ちゃんと呼ぶ人が多く、少数派として緑紗さんや緑紗くんなんて呼び方もあった。他には(父を挟んで)娘さんだったりした。  KH氏と顔見知りになった時点で30を超えていたから、他の親しいお客さんからは「お嬢

アートブレイキーと小さな町の喫茶店

 昨日父のところにコーヒーを貰いに(買いに)行ったとき、記事用のLPジャケットを撮影していたら「これ聴く?」と渡されたのがトップのCDだった。 MOANIN’ by ART BLAKEY AND THE JAZZ MESSENGERS  父は年代的に言ってもジャズにずぶずぶと首まで浸かったひとで、所有しているレコードの枚数も多いし、プレイヤーもまだ2台を持ち続けている。その口からはするするとミュージシャンや時代背景、LPを手に入れたときの感動などが泉のように湧き出てくる。