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喫茶店百景-英国人のお客さん-

 店にいるときには雑誌をめくったり、居合わせたお客さんと話したり、それから父と世間話をするなどしていた。ほとんどが時間を気にしたり、周りの目を気にしたりすることなく、くつろいで過ごす時間だった。
 ある日、父が「今日は外国人の2人連れが来て、カプチーノやらホットサンドやら頼んでくれたよ。ちょっと待たせてしまったけど残さんで食べてくれたけんよかった。」などと話していた。

 常連の中にも外国人のお客さんはいたし、まだそのころはインバウンドでやってくる外国人は町中に溢れていたので、外国人が来たとしてもそう珍しくはない。「へぇ」というくらいの相槌で済ませたとおもう。ひとりでやっていたし、コーヒーとサンドイッチくらいならともかく、カプチーノやホットサンドが2セット以上となると、かなり待たせることを知っていたので、不快なおもいをさせなかっただろうかとちょっと心配した。

 私は自分のInstagramで店でのことなど投稿していたのだけど、ある日私の写真にいいね! をしてくれたアカウントを訪問すると、そこにこの店の写真があった。珍しいなとおもって(だいたい近所のおじさんが多く、その人たちはInstagramなどしていない。それに若いお客さんはあまり来ない)その投稿をよく見て、オーダーの内容や日付から恐らく父が話していた『外国人の2人連れ』ではないかと見当をつけた。投稿された写真などを見たところ、彼らは英国人で、友人と共に九州を旅していたようだった。

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 私も彼の写真にいいね! と「ありがとう」を伝えるごく簡単なコメントをつけて(英語はできません)、父にも「あの時のお客さんがInstagramにこの店のことを投稿してくれたよ。」などと報告した。まあ父にはInstagramが何なのかわからないのだけど。

 それからしばらくして店を閉めた後に、その英国人の方から私のInstagramにコメントが入った。それは「君のお父さんの店の記事をブログにアップしたから読んでみて!」みたいな内容だった。

 九州の旅をまとめた長い記事で、(翻訳にかけて)読んでみると英国からのアクセスについてなど旅の様子が詳しく書いてある。その中で、父の店のことをとてもよく書いてくれていた。提供までに時間がかかったことも、好意的に書いてくれていて感動する。旅の終盤に立ち寄ってくれたようだ。
 父は割とろくでもない人なのだけど、たまにこういうことがあって、それを目にするたびに奇跡の人だとおもう。つまり、どうしてだか父のことを慕ってくれたり好いてくれる人がいるということなのだけど、ありがたいナァと心底おもう(同時に深い謎でもある)。

 記事を読ませてもらい、Instagramにもらったコメントに対し「ありがとう、とてもうれしいです。この店は昨年9月末に閉店してしまいました。」と返信をしたら、もの凄く残念がってくれた(いい人だ)。
 遠い外国からやってきて、おそらく偶然に来店して彼なりの何かを感じて、その人がInstagramやウェブサイトを介してこんな風に紹介してくれたことに驚き、そのことを素直にうれしいと感じる。
 どうやって私のInstagramアカウントに辿りついたのかもよくわからない。確か父の店は『場所を追加』の機能に屋号が出てこなかったとおもう。屋号にしたってハッシュタグからの特定が容易とは思えないから。

 こういう色々なつながりを感じると、人生ってなんだか不思議だなとおもう。


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