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喫茶店あれこれ

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喫茶店やコーヒーまわりのあれこれを集めました。
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#父

喫茶店百景-basement-

 帰宅途中に、ある建物にふと目がいった。ずっとむかし、その建物の2階にバーがあったのである。  ずっとむかし、というのは私が幼いころのことで、このマガジンにはその時代のことを思いだして書く記事が多い。  近所の、その2階にあったバーには父親とその友人たちに連れられて行っていた。ビリヤード台がおいてあったのは憶えている。暗くて、他の景色はよく見えなかった。大人のまねをしてビリヤードで遊んでみたり、つまみのチョコレートを食べるなどして過ごしていた。  店の名は「basemen

喫茶店アルバム-あめいろ-

 私が普段飲むコーヒーの豆は、定期的に父が焙煎しているものです。ストックがなくなる前に連絡をしておいて、私の昼休みなんかに会って受け取ることが多いです。 *  コーヒー豆が欲しくて父にメッセージを入れたら、珍しく場所の指定をしてきた。市内中心部にある喫茶店だった。  その店のことは、存在は知っていたし父の知人と聞いたこともあったけれど、店に入るのは初めてだった。父は後輩の店だと言っていた。  少し話を脱線させるけれど、父は以前自分の店を持っていた。  父は学生時代から喫

喫茶店アルバム-Go upstairs-

 以前どこかに書いたとおもうんだけれど、うちの父はある縁によって、現在もコーヒー豆の焙煎を続けています。自身の店は2019年の後半に、いろいろの事情で閉めました。 *  仕事を終えて、そろそろ帰宅しようとしていたときに父からメッセージがきた。いま豆の焙煎中で、もうじき終るからコーヒーを飲みにおいでという誘いだった。豆の焙煎は、店を閉めた数か月後から同じオーナーのもとで続けさせてもらってたんだけれど、いま焙煎機を置いて焼いている店舗は、半年ほど前にオープンしたばかりのところ

喫茶店百景-日替りとかおすすめとか-

 私が勤務する事務所の階下にはいくつかの飲食店テナントがあり、そのうちのひとつにコーヒーショップがある。あまり好みのタイプの店ではないこともあって、ほとんど利用したことはないのだけれど、通りがかるときに看板が目に入った。「本日の日替りコーヒー」何々、と書かれていた。  この店は大型の焙煎機器を持っている。  自家焙煎のコーヒーを出す店の多くは、そのスケジュールに沿って、あるいは鮮度によって扱う豆の提供を調整しているはずで、それは在庫を回転させまんべんなく売るといった意味でい

喫茶店百景-がんこだった-

 このあいだ、思いもよらないようなところで、むかしの父を知るひと(サトナカさん、仮名)と出合うことがあった。むかしの父というのは自分の店をもつより以前のことで、ある時代にこの町で何店舗かの喫茶店を展開していた、『ジェイ(特に名を秘す)』という店で働いていたころだ。  サトナカさんがそのころの様子を話して聞かせてくれた。それは私の知らない父の姿だった。 *  以前にもどこかに書いたとおもうけれど、父は大学時代にK市の喫茶店でアルバイトをしたのがきっかけで、次第に喫茶店経営に

心癒すJazz|#26 

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喫茶店百景-ホラを吹く父-

 これは最後の店で気づいた父の習性である(店は2度移転している)。  私はある時期の仕事の休憩時間を、ほとんど毎日店で過ごしていた。私の休憩時間はまちまちだから、店に行く時間もまちまちで、それもあって店で会えるお客さんもその時々によって違った。ほとんど毎日会える人もいれば、週に1回程度会える人、それから年に数回なんていう確率の低い人に会える場合もある。どの場合においても、私にとってうれしい人というのがいる。  店に入ると、父が「〇〇さんがさっき帰ったところだよ」とか、「3

喫茶店百景-郷くんち-

 秋の大祭「長崎くんち」はわりと有名なのでご存じの方もおられるかもしれない。諏訪神社の祭礼である。長崎のひとがふつう一般に口にする「くんち」は10月7日から9日にかけておこなわれる祭りを指す。  それとは別に郷くんちというものがあって、っていうのは知らなかったけれど私が子どもの頃に店があった町にもくんちがあった。郷くんちは、市内のいくつかの町でそれぞれおこなわれている。  私の町では、本家(でいいのかな)のくんちが終ったあとの10日と11日にS神社でおこなわれていた。私が通

喫茶店百景-なるべくなら口は閉ざしておこう-

 これは喫茶店(客商売)という世界に生きてきた、父や母の影響が大きいなとおもうことを書く。  父は大学に通ったけれど、途中で何かをおもったのか、在学中からアルバイトをしていたK市の喫茶店での仕事に魅了され、その方面に進んでいった。地元に帰ってきてからは、当時喫茶店やバー(パブ)などの店舗数をぼちぼちと増やしていた、Jという店で働くようになった。ここで本格的に焙煎をしだして新規店舗を任されたり、後輩たちの指導にあたるようになったと聞いている。まあ昔のことで、こういうことはだい

喫茶店百景-とけい-

 母が仕事を終えるのを待って、保育園や小学校のあとは店で過ごしていた。子どもの頃の話。  きょうだいの上のふたりとは4つ5つと離れていて、それもあって私は母にべったりだった。保育園では給食の先生にいつもくっついていたし、店にいるとお客さんからもかわいがられる。末っ子で甘えんぼうの見本みたいに育った。  それでも、店に長いこといると退屈する。お客さん用のマンガや雑誌を読みつくし、客席がすいていたら窓から下を眺め(店は2階にあった)、たまにお手伝いをしたり、人に会いたくないとき

喫茶店百景-甘党のおじさんたち-

 先日、父の生存確認に行ったら、前の日にIZさんが来たと話してくれた。お元気そうとのことで、うれしい。  IZさんは、父の小学校からの同級生で、オカネモチだったらしい。実家がかまぼこ屋を営んでおり、お小遣いも多いし、大学の頃なんかは赤いスポーツカーを買ってもらったりと、父にとっては何もかもが羨ましい存在だったそうだ。確か顔も広く、IZさんの結婚式には宇崎竜童氏が参列したと聞いたことがある。  そのIZさんが、手づくりのパンと焼き菓子を持ってきたから食べなさいと父から持たされ

喫茶店百景-ジャズ・トロンボーン-

 最初の店は私が生まれる前から始めていて、Sという町にあった。子どもたちの成長過程で母が仕切る時期があり、両親が夫婦関係を解消したあとは父がひとりでやりくりした。  S町もずいぶん様子が変わり、多くのチェーン店にお客を取られ喫茶店もすたれてきた。S町のその場所に見切りをつけた父は、ちょうど話があったらしくMという町の居ぬきの店に場所を移した。一度外に出てから長崎に戻ってきていた私は、M町の店にもちょくちょく出入りするようになった。厨房も客席もなかなかの面積をもったこの店では、

喫茶店百景-サーヴィス-

 注文を受けて、コーヒーや軽食をつくり、お客さんのテーブルに運ぶ。地方の小さな喫茶店だけれど、サーヴィスの日々である。  小学生から中学生時代のお手伝いといえば、以前も書いたけれど近所へのおつかいくらいだった私も、高校生くらいになってくるとときどき店の中の仕事もしていた。いつまで経ってもうまくできなかったことは、飲み物のサーブだ。  うちではステンレスの丸いトレイを使っていて、そこにコーヒーカップや背の高いグラス類をのせて運んでいた。丸いトレイは片手の平に持ち、テーブルま

喫茶店百景-休息の場所としての喫茶店-

 カウンターに座るようなお客さんはほとんどが常連で、店が立て込んでなければコーヒーを飲みながら父や母との会話をたのしんでいた。お客さんの邪魔にならなければ、私もそこに加わる。まあ学校が終ってからの時間はそう混まないのでだいたいカウンターに座る。  近所で大学生向けのアパートを経営していたMDさんの奥さんも、買い物のついでにほとんど毎日来店した。MDさんは喫煙者なのでコーヒーを飲みながらたばこを吸うけれど、会話から家では吸わない人だった。つまり旦那さんには内緒にしていた。