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「これ素敵だな」と「手に入れたい」は別

物欲と暮らしのお話。


物が少なくコレクションしているものない私の部屋。

「物欲ないの?」とよく聞かれるのですが「物欲はあるんだよなぁでも絶対に欲しいってほどでもない」と上手い返答ができていなかったのですが私なりの回答がまとまったので記しておこうかなと。


【はじまり】

【断捨離】という概念を知ったのは中学生の頃。もう見ないし必要なら学校のみんなが持ってるしと小1からの教科書を母にお願いして資源ゴミに出して貰い、今年使ってる物だけにカスタマイズした勉強机の快適さといったら!!


それから引越しや留学のたびに荷物をどうにか減らそうと「所有している物」と向き合って厳選して何年か。


【世の中は欲しいもので溢れてる?】

世の中に溢れる素敵な商品を「素敵だなぁ」「可愛い!!!」「便利そう」「これが毎日使えたら」「かっこいい」とは日々感じています。

でも今日現在、生活はできている。その物が無くても。わりと幸福。

どれだけ素敵な靴が沢山あっても今日履いて出かけられるのは1足だけ。カバンも腕に何個もぶら下げるわけにはいかない。アクセサリーもバランスがある。ピアスの穴は一個ずつしか空いてない。服もお皿も同様。


飾るだけのインテリアに興味がなくて素敵な物だからこそ実際に手に取り使いたい私は思うので。高かったからと仕舞い込んでしまうのは何だか違う。

となるとお気に入りでヘビロテするのは自分の管理能力も含めて各アイテム1〜5個くらいになる。


【決めるのって大変】

ついでに言えば「今日はどれにしよ〜?✨」って取っ替え引っ替え悩むことを楽しめない性なのでなるべく選択肢は狭いほうが楽なのです。「決める」に使える脳内のメモリは日の上限があると言われていて、ならば仕事や重要な選択にまわしたくて。毎日繰り返す行為は「選択肢が多いなかで悩む、決める」を省けるようルーティンワークに落とし込みます。


・自分にとっての最愛を日常使いすることが幸福
・使っていない物によって空間が狭まることはストレス
・コレクションを見返して悦に浸る習慣もない

この3つが根本にあるので「好きだないいな素敵だな」は無限にあれど
「自分の元に迎えたい」となる出会いは限りなく少ない。


【一目惚れするモノ】

そのお迎えしたい程の出会いは大体「ビビッ!!」と衝撃が走るのです。まるで人混みで好きな人が浮かび上がって見えるように、しっかりその商品を見る前にオーラを放ってるのを感じて視線が奪われる。実際に手に取って「作ってくれた人ありがとう…」って心震える。
その場では買えずとも結局忘れられなくてHPを調べたりして作り手の想いやこだわりに触れてさらに好きになる。きっと恋。結局良きタイミングで迎えます。

その後何年たってもやっぱいいなぁ素敵だなぁって恋心にも似た感情を抱きます。

美しい万年筆、持ち手の透かし彫りが繊細なハサミ、シンプル実用美な手帳、どんな花も様になる花器、表は艶のあるチョコレート色、内側がラズベリー色で染められた美味しそうだなっていつも思ってる名刺入れ…ときめき。

いつか一つずつプレゼンしたい。




素敵だなというフラットなネット上のGoodボタンくらいの気持ち
欲しいなと思う自分主体の欲、
お迎えしたいと思う物への敬意と愛

私の中には3段階あるようです。


【こだわりのモノ以外】

じゃあ家にある物全てこだわりの一品なの??というとそうでもなく。自分にとって所有している感覚のない物は割となんでもよかったり。トイレットペーパーは家にはあるけど「私の持ち物」ではないじゃないですか。消耗品は売り場でベターなもの買います。


あ、でも家に消耗品のストックはほとんど置いていません。都内に暮らしている間は近所のコンビニ・スーパーが家の拡張倉庫だと思っているので…

ネットならそれこそ四次元ポケットですよね。


本やマンガも知識体験を自分に取り入れてこそ、もしくはその世界を楽しんでこそで今私の手元にあるけれど時が来ればまた必要な誰かの手に渡す流動していくものと捉えています。

衣類は所有と消費の間の感覚ですが、長く大切に着るものを増やしたいなぁと思っているところ。



私の両手で大事にできる分だけ大事に。
旅するように暮らしたい。




そんなわたしの物との向き合い方でした。




断捨離のやり方はこちらに

売ってないなら作ればいいじゃない

部屋づくり


物が少ないと不便かと思いきや空いたスペースには幸運が転がってくるんです



いつもありがとうございます!サポートは本や経験になりまた新たなアウトプットとさせて頂きます。貴方から頂いた優しさは巡って更に大きくなって貴方に返ってきますように。