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香りから始まる恋


自分が惹かれる男性の共通点は何なのだろうと考える。
特別「こういう人がいい!」といった具体的な理想像があるというよりは、なんとなく、直感的に惹かれた人を好きになるということが多いように思う。


その直感的に感じる「何か」が一体何なのかは分からないが、一つの要素として挙げるのならば、それはその人の「香り」や「匂い」なのかもしれない。
いや、むしろその人の「匂い」に惹かれて始まる恋のほうが多い、といえば過言かもしれないが、それくらい私の中で相手の匂いというものは、その相手を直感的に感じる上での一翼を担っているように思う。







その日はアプリで知り合った人と初めて会う約束をしていた。自分より幾つか年上の人。何よりも、必要以上に自分を飾らないところに魅力を感じた。
私は大した度胸も無い人間のため、自分から相手に会おうと誘うことは少なかったが、彼に対しては意を決して自分から会いたいと誘った。それくらい、心から会ってみたいと思える人だった。


初めて来る街の、初めて降りる駅。見慣れない景色に少し緊張しながら待っていると、彼はやって来た。


彼は写真で見た通り、魅力的な人であった。
年上ということもあり、少し落ち着いた雰囲気でありながら、その笑顔にはほんの少しの幼さが感じられる。ただただ魅力的な人だと思った。

彼の住むアパートまでの道を、二人並んで歩いた。
趣味や仕事、恋愛のことなど、他愛のない会話をしていた。本当はもっと聞きたいことが沢山あったが、彼の優しい笑顔の裏側に隠れた本心を、私は見透かすことはできずに躊躇った。
ただ確かに、彼と話せば話すほど、私は間違いなく彼に惹かれていた。


こんな短時間で、他人に対してここまで魅力的だと思うことは初めてだった。自分でも何故だかよくわからなかったが、彼が私に触れる度に、その理由に自ずと気がついた。


私は、彼の容姿や雰囲気はもちろんのこと、何よりも彼から漂う香りに惹かれていた。

恐らく香水の匂いではあるが、甘過ぎず、青過ぎず、そして決して態とらしく無い、どこか優しく包み込むような香りが、彼の飾らない雰囲気に良く似合っていた。

上手く言葉に出来ないが、彼の顔も、髪も、話し方も、立ち振る舞いも、そしてそれらを包み込むような優しい香りも、その全てが私に彼が魅力的な人間であるということを感じさせた。


彼は恐らく、他人から好かれることに慣れていた。そして、それと同時に他人を好かせることにも慣れていた。

私もその例外では無く、彼からしてみれば嘴の黄色い私など、それは容易いものであったに違いないと思う。

それが彼の思う壺でも、私は私で満更でも無かった。



その夜、彼は私を抱いた。
「可愛い」と何度も何度も、彼は言った。
私はその言葉が使い捨てで、その場限りでしかないことが頭では分かっていた。
それでも、このどうしようもない不安や、どうにかなりそうな孤独を打ち消すには有り余る程に十分だった。

そしてそれと同時に、私は彼の特別にはなれないのだと察した。




翌朝、予定があるからと少し急いで身支度をする彼を横目に、私はソファーでただ歯を磨く。

たとえそれが身体の関係だとしても、何かしらの形で自分が必要とされていることを感じていないと、私は生きていけないのだと実感した。

ふと目を戻すと、彼はバッグから取り出した香水を首筋につけている。


「それ、香水?」

「うん、そうだよ」

「なんてやつ?」

「これ。知ってる?」

「ううん、知らない。でもいい匂いがする」

「そうかな」


駅までの道を、彼と歩いた。
人気の無い道で、彼は何も言わずに私の手を取った。

それだけで何故か私は満足だったが、前から人が来ると、お互いに何も言わずとも、それとはなしに繋いだ手を解いた。

ふと、彼女と同棲を始めることを嬉しそうに自分に話してきた友人を思い出した。

もしも私が、これから先もずっと生き続けるのだとしたら、きっとこういう人生なのだろうと想像する。



駅に着くと、彼はほんの少し名残惜しそうに私の手に軽く触れた。
再会を約束して、反対方向の電車に乗る彼を見送る。
どこまでも魅力的な人だと思った。
そして少しだけ、狡いとも思った。


私も反対のホームから電車に乗り込み、見慣れない景色をただひたすらに眺めた。
何故か分からないが、なんとなく、彼とはもう会えないような気がしていた。そしてそう思えば思うほど、何よりも彼を彷彿とさせるあの香りが忘れられなかった。



私は彼の匂いがまだ消えないうちに、彼が纏っていたあの香りを探しに向かった。


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