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I'm here.

少女が校庭を横切っていると突然、腕に強い衝撃を感じた。
あまりの事に唖然として地面を見るとバスケットボールが落ちている。
ボールが来たのはどこからなのだろう、と考えるより先に、数人の男子生徒が笑いながら少女を指差し笑っているのが見えてしまう。

わざとボールをあてられた、と気付いて早くその場を立ち去りたくなる。
でもおかしい程に足が竦んで動かない。
先日は草むらの中にキーホルダーを投げ込まれた。

いじめはもっと小さい頃から起きていた。
その時はいじめの芽だったものが今となってはたわわに実をまで付けてしまっている。

少女は先生にも親にもその事を言えない。
当然誰かに助けを求めたいとは思っているが、そんな風に頼れる人は周囲に居なかった。
また誰かに言う事によっていじめがエスカレートする可能性もある。

まだ小学生の少女は理不尽、という言葉を知らない。
しかしこれは何かおかしい、とずっと思っている。
私は何もしていないのに何故こんな目に遭わねばならないのか。

本当はイジメっ子達に抵抗しても良い事も分かっている。
いや、したほうがいいのだ。
だってこれは何か変なのだから。
理由がないのに意地悪されるなんて変だし、貴方たちは間違っている、と伝えるべきなのだ。

だが少女はこの状況を打破する手段を知らない。

ほんの子供にどうやっていじめを止めさせる術が分ろうか。

悔しいと思う。
恥ずかしいとも思う。
それでも何も出来ない。

そして少女は諦観する。

目立たず自分を殺して日々が過ぎるのをただ待っている。

このバスケットボールを強く蹴り飛ばして男の子にぶつけられたらどんなにいいだろう。
勿論実行には移せない。
押し黙って自分のスニーカーを見つめている。

彼女は変わったデザインの真っ黒いワンピースを翻し、ハイヒールで雑踏を闊歩する。
流行りを完全に無視したスモーキーメイクが気の強さを思わせる。

男性が彼女に近づいて何か話しかける。
彼女は「ごめんね。忙しいんで」と話を最後まで聞かずに笑って手を振りヒールを鳴らして去っていく。

もういじめはなくなった。
彼女はあの頃より少し大人になって、選ぶ、という事を覚えた。
人間関係も洋服もメイクも遊びに行く場所も自分で選ぶ。

子供の頃、いじめという状況を耐えるしかなかったのは他に選択肢がなかったからだ。
耐える、より他選択肢がなかったからだ。

彼女は今、手のうちに幾つもの選択肢を持っている。
それでも選べない選択肢が人より多い事も彼女は知っている。

人生最上級の理不尽が訪れたのは数年前の事だ。

ある冬の日、彼女は境界知能である事を告白される。
しかも自治体によっては軽度知的障害に分類されるレベルの境界知能だ。

これほどの理不尽があるだろうか。
親も親戚も高い知能を有した一族に生まれて、それなのに自分一人にだけ知的なハンデがある。

元を辿ればいじめに遭った原因もこの理不尽の総本山とも言える境界知能だろう。
あのいじめは中学を出るまで続き、後に彼女を精神疾患に罹患させるほどに壮絶なものだった。

人生の至る所で間違った判断をしてきた。
躓いてきた。
それが障害のせいだと思うと悔やんでも悔やみきれなかった。

しかし、その障害も含めて自分という人間が出来上がっている事は否定出来ないのだ。
彼女はゆっくりそれを受け入れていった。

境界知能の中にいる自分に、いじめられて無力に諦観していた自分を重ねる。

障害を完全に受け入れる事は今も出来ていない。
諦観した、と言った方が正しい様にも思える。
いじめ以上に抗いようがないだろう、障害相手じゃ。

でも今の私はあの頃より多少は大人だ。
選択出来る事もあるのだ。
出来ない事を探してそれを理由に諦めるより、少ないが出来る事を探して現状を打破すべきだ、と今ははっきり分かる。

大人しくいじめられていた少女はもう居ない。
諦めてそんな自分に納得するほど私は大人しい女ではない。

今はもうピンヒールでどこまでも行けるのだ。

好きなものを好きとも言えず、皆と同じを信条とし、自分が何者か理解出来ない人間がたくさん居る。
自分の名前さえ名乗れないのではないかと疑ってしまうような自分を持たない人間が。
まるで小さい頃の私の様な大人で世界は犇めいている。

「お前は誰だ?」
「私は私だ」

OK、それで十分だ。

その強気な自分で弱気な自分を何度だって倒していけばいいさ。



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