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連載小説タロット•マスターRuRu

【第五話・丘咲リョウ】

「んだよ…」

丘咲リョウは、ボソッと呟いて歩道の植え込み沿いに設置されているベンチに乱暴に座った。両手で長い前髪をグシャッと掴むと、セットした髪型が崩れたが、そんなことはどうでもよかった。それよりも、今、自分が置かれている状況を整理しようと、必死に思考を巡らせた。

彼は、数時間前に会社から解雇宣告を受けたのだ。いわゆるリストラである。今の社会情勢で会社の業績が落ちていることもあり、大規模な人員整理が行われたのだ。

しかし、丘咲の仕事っぷりに、特別悪いところは見当たらなかったし、社内での人付き合いもいい方で、上司からの受けもまずまであった。だが、彼には仕事への情熱は欠けていた。それを見抜かれていたのだろう。

実際、丘咲自身が今まで生きてきた中で、情熱を持って取り組めることに出会ったことがない。学生時代のクラブ活動、習い事、テレビや芸能人、ゲーム。どれもハマったことがない。勉強にしろ、スポーツや習い事にしろ、努力なしで、なんとなくこなせてしまうことが原因の一つかもしれない。いわゆる器用貧乏というやつだ。

彼は今まで、与えられた状況と当たり前の日常を、なんとなく生きてきた。

スーツのジャケットを脱いでネクタイを緩めると、両手を後ろについた。華の金曜日、駅周辺はこれから遊びに行く人たちで賑わっている。丘咲は、ぼんやりとその風景を目に映していた。コンビニで買っておいた缶コーヒーを開けて、一気に飲み干す。冷たい液体が喉を通る感触が心地いい。ビールにすればよかったな、と少し後悔した。

空き缶を投げつけたい衝動に駆られたが、理性でその気持ちを押さえつけ、もう一度ベンチに戻す。先の尖った靴で、足元にあったタバコの吸い殻を転がした。

「はぁ…」

大きなため息がこぼれる。立ち上がる気にもなれない。絶望しているわけではない。ただ、当たり前の日常が突然なくなってしまった事実について考えると、鉛のよう気分が重かった。

何より、両親になんと報告したらいいのか、それが一番心に引っかかっていた。

仕事一本で生きている厳格な父親と、いつも柔らかくにこやかな母の表情が目に浮かんだ。就職が決まった時、母は丘咲の好物をたくさん作って祝ってくれた。父も、珍しく笑顔を見せていた。

しばらくの間、ベンチに座ったまま、あれこれと出てくる思考を整理しよう努力をしたが、何も解決はしなかった。日が暮れ始め、街が薄暗くなってきた頃、丘咲はクシャクシャにした髪の毛を整え直して、ようやく立ち上がった。スーツのシワを両手ではらって整える。

「金曜だし、飲みに行くかぁ」

そう言ってふらりと歩き出すと、細身で小柄な丘咲の姿は、街の中に溶け込んでいった。

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