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連載小説・タロットマスターRuRu

【第十二話・タロットマスター琉々】

「お待たせ。こっちへどうぞ」

彼は、この空間にまだ慣れていないのか、ぎこちない動きでそちらへ移動する。カーテンを手で避けて中へ入ると、そこは応接スペース以上の別世界が広がっていた。

壁一面の本棚の中は、全て魔法の書のように見えたし、足元の絨毯は、赤を基調としたデザインで、今にも動き出しそうだ。部屋の真ん中には丸いテーブルが設置され、可愛らしいテーブルクロスがかけられており、沢山のタロットカードの箱が積み重なっている。琉々に言われて、丘咲はテーブルの手前の椅子に座った。

「さて、今日はどうしましょう?何か自分の事で、知りたい事はある?」

琉々が、向かいの椅子に座りながら、丘咲に聞いた。『どうしましょう?』というのは、もちろんタロットで視る内容のことである。

「え…っと、やっぱり仕事の事かなぁ…てゆーか、人生に関わってるけど」

丘咲はしどろもどろと答えた。

「うん。そりゃそうか。それじゃあその辺の事を、まずはシンプルに視てみましょうか」

そう言いながら、琉々はたくさん積み上げられた箱のうちの一つ取り出して、中からカードの束を取り出した。それを左手に持ち、コンコンコンと三回、カードの表面を右手でノックした。そして、慣れた手つきでカードを切る。分厚いカードの束が、彼女の手の中で素早く入れ替わっていく。

丘咲はその動作に魅入っていた。ネイルで綺麗に整えられた琉々の指先が、流れるように動き、まるでマジシャンのショウタイムを見ているようであった。ひとしきりカードを切った琉々は、カードを左手に持つと、上から数枚のカードを取り分けて、それをカードの束の一番下に回した。そして一番上のカードを表向きにひっくり返しながら、一枚、また一枚と取り出し、テーブルの真ん中に三枚のカードを横に並べた。

「へぇ…」

琉々が、カードの絵柄を見て呟いた。

そのまま数秒間、琉々はカードを見つめたまま、微動だにしない。いや、琉々のその目線はカードに向けられてはいるが、見ているのはまた別の物のようであった。彼女のその視線と意識は、今この瞬間、ここにはなかった。

「琉…琉々さん?」

沈黙に耐えられなくなった丘咲が、恐る恐る呼びかけたが、琉々の反応はなく、相変わらず異空間を見つめている。返事に応えない琉々の顔を覗き込んだその時、琉々の目線が丘咲を捉えた。どうやら、こちらの世界に戻ってきたようである。

「あぁ、ごめんね。ちょっとカードを視てただけ」

ニコリとする琉々を見て、丘咲はホッと安堵の息を吐いた。

「これね、こっちから順番に、過去、現在、未来の順番で出したの」

琉々が、カードの説明を始める。丘咲から見て左側から、過去、現在、未来のカードのようだ。左の過去のカードには【THE TOWER】と書かれていて、その通り、カードの真ん中には塔の絵が描かれている。その塔には雷が落ちており、出火している。それに塔から落ちていく人も描かれていた。初めてタロットカードを見た丘咲には、この世の終わりのような不吉な絵に感じられた。その不安な表情を見た琉々が、クスッと笑った。

「大丈夫よ。そんなに悪いことじゃないわ。きっと会社を解雇されたことに対してのこのカードなんでしょうけど…一昨日言ったように、転機なのよ。あなた」

顔を上げて、丘咲は琉々の目を見た。琉々の表情は穏やかである。慰めに言っているわけでもなさそうだ。

「確かにあなたはリストラされたわね?世間一般から見たら、良くないことかもしれないし、今はショックで落ち込んでるかもしれないけど、本心ではどう?」
片方の眉をクイっと上げて、琉々が、丘咲に問いかける。

「そんなのもちろん……!」

言いかけて、丘咲は言葉に詰まった。そうだ。確かに、悪くないサラリーマン生活ではあった…

「何か言いたそうね?」

琉々の問いかけに答えず、丘咲はじっと考え込む。琉々は、丘咲を待っているように、その姿を見守る。悪くないサラリーマン生活ではあった…両親の期待にも応えて、満足でもあった…でも、俺は?俺は気持ちは?

「……」

丘咲はゆっくりと口を開いて、何かを言おうとする。周囲の音がなくなって、自分の心臓の音だけが、大きく聞こえる。

「お…俺、今まで別にやりたいことなんて、なかったんだ」

一つ一つの言葉を確認するように、ゆっくり話す。

「大学出たら、就職するのが普通だし…それが当たり前でしょ?会社員になるまでも、ずっとそうだった。別に嫌じゃないし、なんか普通に学校に行って、普通に友達と遊んだり…親に迷惑かけないように、ってのもあったかもしれないけど、これでいいかなって道を選んできた」

丘咲の本音を聞いて、琉々が唇の端を持ち上げて微笑む。

「確かに、都心で毎日電車通勤するのは大変だったけど…それなりに仕事は楽しかった。でも…」

丘咲は、そこで一旦言葉を止めた。その表情は恐れているようにも、困惑しているようにも見える。心の中に見つかった澱みを吐き出すことで、何かが崩れてしまいそうな気がした。琉々は黙ったまま、丘咲の次の言葉を待つ。

「いや…俺、安心してるのかもしれない。会社から、なんとなく過ごしてきた毎日から解放されて」

そう言葉に出した丘咲の心の中で、サーっと音が流れた。全てが洗い流されていくようだ。

【続き・第十三話】


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