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夢:幼馴染との交差、同級生との距離

小中学生時代に徒歩1分以内のはす向かいに住んでる友だち兄弟がいて、下の弟に心配される夢を見た。
保育園が一緒で中学までよく自宅に遊びにいった幼馴染と、小中学校ともに毎日同じ通学路で通った同級生とを中心にした何気ない日常の夢だった。

電車に乗る夢だった。駅に向かう道の夢だった。デパートで友だちの群れの中、ひとりはぐれて練り歩く夢だった。

幼馴染は拠り所のようなもので、その存在には安心する。一緒に行動することはほぼなくて、でも顔を会わせると安心した。夢の中のデパートで、友だちとはぐれて、そんな幼馴染とそのグループに遭遇した。

いつだったか現実で幼馴染に告白をしたことがある。「付き合ってくれ」ではなく「保育園の時、ずっと一番好きだった」と。今でも特別な存在であると告げると、そういうのは照れる!なんだかなあ!と笑ってた。いつのことだったか。もうずっと付き合いはない。たまに夢に出てきて思い出すくらいだ。

夢の中の幼馴染とは、ただ顔をあわせただけで安心してしまって、会話を交わさずただ懐かしさから笑ってた。

俺がもう少し器用だったなら、まだ一緒に遊べていたのだろうか。チャンスはいくらかあったように思えるけど、夢でたまに顔をあわせるくらいがいまの距離感なんだろう。

隣に並ぶことはなく、少し離れた向かい合わせで、そこにいることに安心するだけの関係だった。目を離せば消えてしまう。思い出して探すと視界に入ってくる。そんな幼馴染には、何人か知り合いが伴っていて、賑やかしのようなグループになっていた。
そいつらとは他愛のない会話を交わす。

はぐれてしまっていた友だちの群れと合流すると、はす向かいに住んでた兄弟の弟が「●●(同級生の名前)さんはいいの?」と声をかけてきた。
駅に向かう道の先に、群れから離れて同級生がひとり歩いていた。

小中学校で毎日一緒に通学路を歩いた同級生がいた。
気付けば追い付いて隣を歩いており、振り返れば友だちの群れと幼馴染のグループが離れて歩いている。
隣の同級生と話をしなくてはいけないと焦燥感はあれど、俺は同級生の言葉に笑って応えるだけだった。

駅に到着すると「51分の電車に乗りたい」と同級生が走り出した。

間に合う間に合わないはともかく、話をしたいのに置いていかれるわけにはいかないと焦りながら後を追い、けっきょく電車には間に合わなかった。
話をしたいのに、駅のスピーカーが俺を名指しでやり直しを要求してきて煩わしい。「駆け込み乗車はお止めください」と言うニュアンスで会話を遮られた。

電車はすぐにきて、話がしたいのに他の乗客が車内に流れ込み、同級生もそれに紛れ、俺は同級生になにも言えなかった。

見覚えのある路線を、家に帰るのだろうルートで電車に乗って、同級生を見失い、大きな駅のホームに降りる姿をようやく見つけて、それを見送って別れた。

電車に乗る夢は、自宅と大学の間の乗り換え路線をよくリフレインする。現実には存在しないけど、乗り過ごしてもたぶん問題なく帰れる別路線のルートが出てきて、夢ではよく迷い込む。
どの記憶からの想起と連結なのか心当たりはなくて、でもとにかくよく夢に見る。


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