「パパあのね、お外で聞こえる音が変なの」 6歳になる息子が彼の大事な相棒であるウサギのぬいぐるみを抱えて居間にやって来たのは、夜の9時過ぎのことだった。息子は30分も前にベッドに入った筈だったが、どうにも眠れなかったらしい。 「どんな風に変なんだ?」 尋ねると息子はもじもじと体を捩ってから、ゆっくりと言葉を探すように喋りはじめた。 「ええとね、火の用心の音がするの。でもすごく速いの」 「カンカンカンカンって聞こえるのかな?」 「違うの。あのね、え~とね、
これはまだ私が小さかった頃の話。昭和と呼ばれていた時代の話だ。 携帯電話なんてものはなく、電話機といえば今では博物館で見るような黒電話だった。それだって普及してからそう長くは経っておらず、もう少し遡れば電話というものは一つの村に一つあるかないかといった具合だった。 電車にクーラーはなかったし、大人たちはどこでも好きなようにタバコを吸った。 古き良き時代なんて言葉があるが、私はそんな風には思えない。 あの頃の人々はひどく騒々しく、無礼であることを誇示したがった。 も
「おお、こりゃまた絶景だねぇ」 ユミコの新居は広大な墓地に面したマンションだった。 ベランダから一望できる墓石の軍団はまるでミニチュアの摩天楼で、そこにもう一つ都市があるかのようで面白い。 「キミちゃんはそう言ってくれるけどね」 ユミコは苦笑しながらマグカップを片手にベランダに出てきた。 手渡されたカップには美味しそうなココアが湯気をたてている。有難く受け取って一口すすれば、芳醇なカカオの甘さに思わず笑みが浮かんでくる。ココアは凄い。きっと幸せの魔法がかかっ
久地楽さんが好きそうな話を聞いたんですよ。 いつもの喫茶店というほど通いなれている訳でもないが、それでも二月に一度は訪れる程度には馴染みのある場所。 季節のタルトが評判だというこの店に訪れる時はたいていこの男、目の前の席に座って優雅に紅茶を飲んでいる男から呼び出しを受けた時だった。 正直に言えば付き合いを持ちたい相手ではない。 この男こそ怪異ではなかろうか。 そんな風に思ったことはあるものの、深く掘り下げたことはない。 それが、「明らかにおかしいが有害ではない
「久しぶり、元気してた?」 改札口を出たところで、女性からふいに声をかけられた。 最初に浮かんだのは単純な疑問符。 誰だっけ。 思い出せない。 こういうことはよくあった。 私は昔から「丁度良い話し相手」という立ち位置だった。 私自身では聞き上手だという自覚はない。どちらかと言えば相手の話しにちゃんと着いて行けてないことが多かった。だが、余計なところで口を挟まないことは、聞き手として好条件であるらしい。 私は曖昧に相槌を売ってぼんやりと話しを聞いている。
僕がはじめて青い葬列を見たのは、幼稚園に入ったばかりのころだった。 当時の僕はとても幼く、人が死ぬということもあまり理解できていなかった。幸いにも僕に近しい人たちが亡くなったこともなかったので、僕にとって死はとても遠く、テレビや漫画の中だけにある出来事だった。 それでも、そんな僕にでもあの葬列は恐ろしく、そしてもの悲しいものだった。 その晩は凍えるような寒さだった。 布団から出ている鼻先が凍りそうになるくらい、空気は冷え切っていて、僕はなかなか寝付けなかった。 そ
新幹線に乗るのはどれくらいぶりのことだろうか。 下町で生まれ育ち故郷らしい故郷もない。計画をたてて旅行にいく趣味もない自分には、ほとんど縁のないものだった。 そんな私が朝五時に起きて新幹線に乗っている。それも連絡不能になった同僚を探しに行くというとんでもない目的のためだった。 「須藤くん、君ってたしか橘さんと同期だったよね。そこそこ仲が良いって聞いたけど」 昨日のこと。 ふいに部長に突然呼び出され、開口一番に尋ねられた。 「橘さんがねぇ、持って帰っちゃった
こんにちは。このたびはご愁傷様でした。心よりお悔やみを申し上げます。 そんな忙しい時期に呼び出してしまって悪かったね。 だったら早く話を終わらせろ? そうだね、では早速本題に入ろうか。 ネットの掲示板には実に多種多様なスレッドがある。様々なニーズに応じて場所を選んで、相談をしたり愚痴を書き込んだり、あるいは誰かの書き込みに対して返信をしたり。見ず知らずの不特定多数の人間との繋がりっていうのは、リアルな人間関係よりも気楽でいいからね。 さて、今から話すのはとある掲示
影んぼを初めて見たのは塾帰りの道でのことだった。 時刻は20時を回っており、駅前の商店街すら人影がまばらになっている。これが金曜日ともなれば、飲み屋に向かう人たちでもう少しは賑わっているのだが、それ以外の平日はじつに閑散としたものだ。 街のあちこちにはクリスマス飾りがきらきらと輝きを放っている。電飾で彩られたツリー、サンタクロースの置物に松ぼっくりと星をちりばめたクリスマスリース。 僕はクリスマスが好きではなかったから、それらから目を反らすようにして俯いて早足で歩い
「おトイレが怖い、だれかが覗いてるの」 甥っ子がそう言い出したのは、盆に家族がみんな集まった時のことだった。 家族皆と言ったものの、最近では大家族も少なくなってきているだろう。例にもれず我が家も、私と母、そして妹家族の三人だから全員あわせても五人だけだ。 それでも盆暮れになれば一つの家に揃うのは、きっと歓迎すべき事だろう。 この家は今は私と母の二人きりで住んでいる。以前は父と、そして妹も住んでいた。父は私がまだ若い頃になくなった。妹が結婚をして出て行ってからは随分
紅葉を見に低山へハイキングに行きませんか? 八重子から届いた誘いに二つ返事で了承を返した。 ハイキングは好きだ。軽い山登りも好きだったがいざ一人で計画してとなるとなかなか実行に至らない。 だからこうして誘ってくれるのはありがたい。 八重子は高校時代からの友人だ。 もともと特別仲が良かった訳ではなかったが、学校行事のハイキングで歩くペースが同じだったためにお喋りをしたがきっかけだ。思えば、あのハイキングより前は挨拶程度にしか言葉をかわした事もない。 けれど、ハイ
【attention】 このお話は「ネタにしてもよい体験談」として頂いた話を小説化したものです。ネタ提供者様より添付して頂いた写真も掲載しております。 この小説を読んだ後に怪奇現象に遭遇したとのご報告を多数いただいております。中には吐き気や頭痛に襲われた、車のブレーキが利かなくなったなどもございます。 対処方法に関しては小説内に記載してありますが、不安に思われる方は読まないことをお薦めいたします。 *************************** 見えたら流し
バス停で奇妙なことに遭遇する。 何がきっかけでその話題に及んだのかは覚えていない。いつの間にかランチタイムのお喋りはバス停での不思議な出来事に関してになっていた。 私の勤めている会社は少々不便な場所にある。 もともとは都会にあったのだが、事業拡大とともに一部の部署が本社から出ていくことになったのだ。都会はとにかく家賃が高い。そこで目をつけられたのが郊外だった。 そんな訳で勤務地の変更を余儀なくされた社員は、不平不満を口にしながらも概ねは大人しく従った。一部社員は、
夏の記憶は押し寄せる蝉の鳴き声とともに蘇る。 あれも、とても暑い日のことだった。 蝉の鳴く声はまるで洪水のようだ。あるいはとめどなく流れ落ちる滝の音。 いったいどれほどの蝉が鳴いているのだろう。百匹なのか千匹なのか、あるいはもっと多いのか、幼い僕には分からなかった。 それは集合体の音であり、過ぎ去らない通り雨のように降り注いだ。 僕にとって夏の音はもう一つある。 車のラジオや偶然に入った店のテレビから聞こえてくる甲子園の中継だ。熱狂した歓声、アナウンスの声と
これはつい先日、理学療法士のYさんから聞いた話です。 YさんはかつてN市に住んでいました。N市は高いビルが少なく、とくにYさんが暮らしていた20年ほど前では、5階建てのマンションすら珍しかったそうです。 「他に高いビルがないからなのか、飛び降り自殺の名所みたいになっちゃってたんですよ。そのお陰で家賃は安かったんですけどね。引っ越したその日から、ちょっとした騒動というか、あまり見ない光景を見たんです」 引っ越し当日、Yさんが見たのは4階の部屋のベランダからどんどん投
はじめての一人旅をN県にしたのは、会社帰りに観光ポスターに見たからだ。 とにかく一人になりたかった。それは、投げ槍な気持ちというよりも、すがすがしい気持ちの方が大きかった。 十年付き合っていた恋人と別れることになったのは、浮気をしただとか、転勤になっただとか、そんなドラマチックな理由ではない。どちらかと言えば、理由らしい理由が見つからない。同じくらい、付き合い続ける理由が見つからなくなったのだ。 だから私たちはけじめを付ける事にした。 お互い、もうすぐ三十歳になる。