キ域_05
霊媒師である神崎の家は、商店街の外れにあった。
一階が商店で、二階、三階が賃貸住宅になっている。
出迎えてくれた神崎は、テレビ画面で見た時とほとんど印象が変わらなかった。
番組内の神崎は、おそらく40代だっただろう。だから今は70を過ぎている頃合いだろうが、小奇麗にしているせいかそこまで老け込んだ印象がない。
70代というのは年齢が意外にも分かりにくい。
人によって見た目に大きく違いが出る。
老人にしか見えない人もいれば、髪を染め化粧をし、まだまだ若々しく過ごせている人もいる。
福部の両親は前者だった。
数年前に大きな病にかかったせいもあるだろうが、70を超えたあたりで一気に老け込んで驚かされた。思えば、福部が十代だった頃にお爺ちゃん、お婆ちゃんと認識していた祖父母がそれくらいの年代だ。だから、老人に見えるのは当たり前の筈だったが、それでも時の無情さが身に染みる。
「いらっしゃい。もてなしとかは出来ないからね」
神崎は福部と筒井を一瞥すると、さっさと部屋へ戻っていく。
部屋は手狭だったが、一人で暮らすには十分だろう。福部が暮らすアパートとさして広さは変わらない。
窓の外が商店街であるために、洗濯物はすべて家の中に干してある。天井のあちこちから釣り下がっている色とりどりの布を見ていると、どこか見知らぬ遠い国を思わせる。
「つまらないものですが」
福部が菓子折りを差し出すと、神崎は小さく鼻で笑う。
「はいはい、有難く貰っておくよ。それで、こんな婆さんにわざわざ30年も前の話しを聞きに来たんだって?」
いえいえ、婆さんだなんて。
言いかけた言葉を口をへの字にして引っ込める。
下手なことをいうとかえって嫌味に思われることもある。
とくにこの神崎のようなタイプは、そういったおべっかを嫌いそうだ。
「お電話でもお話しましたとおり、以前に出演された探偵団スマートキャッツに関してお伺いしたいんですが」
「出演されたって、ねぇ。あの番組には何度も呼ばれてるんだよ」
「はい。お伺いしたいのは夢見ヶ丘ニューシティ8人殺し事件の関係者の家を尋ねた回です」
「ああ、あの事件か」
神崎は大きくため息を吐き出した。
「だったら見ての通りだよ。私は家に入ってすぐに退散した」
「だからこそお伺いしたいんです。あの家が本当に危険だと察知出来たのは神崎さんだけだった」
「物は言いようだね」
ちらりと横を見れば、なぜか筒井がそわそわとしていた。
手に持ったカメラを回していいかどうか悩んでいるようだ。
「……ああ、すいません、神崎さん。撮影をしてもよろしいでしょうか」
「いいけどね。家の中はあまり撮らないでおくれよ」
「分かりました。それでは改めてお伺いします。神崎さんはあの家で、一体なにを見たんでしょうか?」
「子供たちだよ」
それはおおむね想像がついた答えだった。
ただ、予想外な部分もある。
「子供たち、ですか? 一人ではなく、複数いたと?」
「ああ、そうだよ。何人いたかは分からないけどね。部屋の奥から覗いてる子供たちがいた。別に不思議じゃないだろ。あそこはそういう場所だ」
「そういう場所、というのは?」
福部がたずねると、神崎はあからさまにため息を吐くと「不勉強だねぇ」と呟いた。
「まぁ、最近の若いもんは知らないかも知れないけどね。あそこの裏山、地元民の間じゃばんば山って呼んでるだけどね、あの山じゃ昔っから子供が行方不明になるんだよ。私も小さい頃は山に近づいちゃいけないって言われたもんだ」
「ああ、耳にしたことがあります。山姥が出るという話しですよね。確か、事件があった住宅地のそばにある神社に山姥を退治した岩が祀られているとか」
「それくらいは知ってんだね。そうだよ。あの辺りは山姥が出る。なんで山姥が出ると思う?」
「ええと、それは、……かつてこの辺りが貧しかったということでしょうか?」
「まぁそうだね。あの山はね、昔は姥捨て山だったそうだ。働けなくなった老人を捨てに行った。まぁ、今でもあまり変わらないね。山の方に行けば老人ホームやら病院やら、そんなんばっかだ」
福部はあいまいに笑ってかえす。
そういった問題はあまりにもセンシティブで反応に困る。神崎のように、自分自身の問題として目前にある立場ならば、皮肉めいた事も言えるだろうが、福部のように「親を預ける側」としては何とも反応に困るのだ。
「婆を捨てたから山姥が出る。分かりやすい話だろ?」
「ええ、そうですが。その、例えば当時、恐らく明治や大正より古い話だと思いますが、そこに捨てられた老人がいたとして、それが今なお生き続けて子供を攫っているなんてことは、流石にありえないんじゃないでしょうか?」
「ああいう人ならざる者に生き死になんてもんはない。そもそもありゃ、あの場所に染み付いた穢れみたいなもんだ。不幸に不幸が重なりあって、穢れ穢れて膿み爛れる。そういう場所なんだよ」
「あの土地が呪われているという事でしょうか?」
「実際に大きな事故があったんだよ。私が産まれるより前の話しだけどね。神社に慰霊碑が残ってるだろ?」
「慰霊碑?」
「ああ、私も爺さんから聞いた話しだから随分と昔の話しになるだろうけどね。当時は学校登山ってのが盛んで、子供たちを連れて山に登ってたらしい。それであのばんば山に登って、10人くらいが行方不明になった。詳しいことは慰霊碑を見に行ったら分かるよ」
「なるほど。後で見に行ってみます。それで、……つまりその学校登山によって多くの子供たちが行方不明になった。だからあの一帯には子供たちの霊が彷徨っているということでしょうか?」
福部の言葉に神崎はふいに表情が虚ろになる。
「幽霊、……幽霊ね、いや、あれは、そういうもんじゃない。土地が穢れてる。だからあれも、染み付いて離れなくなっちまってるんだよ」
いったいどういう事だろうか。
さらに尋ねようとしたところで、カタンっと小さな音がした。
普段ならば聞き逃してしまうほど微かな音だ。まして、商店街の二階にある部屋は外からの雑音も多い。
だがその音は、なぜかはっきりと耳に届いた。
筒井も音に気が付いたのか、辺りをきょろきょろと見回している。
「もう帰っとくれ」
ふいに神崎が立ち上がった。
「話しは終わりだよ、そら、とっとと帰っとくれ」
つい先ほどまでは協力的だったというのに、突然に風向きが変わったようだ。むしろその表情には、一刻も早くこの話題から離れたいという怯えすら見える。
そのままグイグイと背中を押されるようにして追い出される。
バタンと音をたててドアが閉まり、すぐに鍵をかける音がした。
あまりの突然の出来事に、福部と筒井は、しばし呆気にとられていた。
商店街に流れるひと昔前の流行歌と、夕市の賑わいが白けた空気にいっそう拍車をかけている。
「え、今の、いったいなんだったんすか?」
「分からん」
「いや、だって、ああいう怪談みたいなの語るご老人ってたまにいますけど、割としつこいことが多いじゃないっすか。なんか、ガキが危ない場所行かないために~みたいな理由で、顔合わせるたびに何度でも話してくる、みたいな」
「まぁそうだな」
だが神崎のあの顔は、まるで怯えているようだった。
口にしただけで、禁忌に触れてしまったかのような、そんな表情に見えたのだ。
「ええと、……取りあえず、その、イレイヒのある何とか神社に行ってみる感じで?」
「そうだな。何とか神社に行ってみるか」
曖昧な空気のまま、福部はため息交じりに頷いた。
慰霊碑のある岩守神社は畑の中にぽつんと浮かぶ、まるで孤島のようだった。
そこだけ森が残っており、境内に入ると薄暗い。
もうすでに時間は夕方の5時を回っていたが、季節は初夏だ。夏至からそう離れていないこの時期は、5時を過ぎても燦々と太陽が降り注ぎ、まだ夜が遠いことを告げている。
だというのに、境内はとても暗かった。
木が沢山ある割りには、虫の声も少なく、空気もどことなく冷えている。
福部はこの神社に訪れるのははじめてだった。一歩中に入った時から、何とも言えない違和感をおぼえて立ち止まる。
なんだろうか。
薄い水の膜に入ったような。
蜘蛛の細い糸が顔にかかった時にような。
そこに境界を感じて戸惑った。
この神社は生きている。
それがどういう意味なのか自分でも分からないが、なぜかそう思うのだ。
「なんか、変な感じですねー」
筒井も同じことを感じているのか、いつもより声を潜めている。
「自分、霊感とかそういうの全然ないんですけど、わりと神社は好きな方なんすよ。なんかこう、知り合いの婆ちゃんちに行くみたいな、そんな感じがするですけど。でもここは、あんまり歓迎されてる気がしないっていうか」
「……そうだな」
歓迎されていない。
確かにそんな気分になる。
だが、何となく気味が悪いという理由で帰るわけにもいかなかった。
仕方なく境内に入っていくと、ご神体である大きな岩が目に入る。
近づいてみれば、岩は日陰にあるというのに、不思議と苔むしてはいなかった。
しめ縄がかけられ、近づけないよう囲いがある。そばには、ご神体の由来が書かれた立札があった。
それは、山姥退治の話しとしてはよく聞く類いのものだった。
山で迷った男が一晩の宿を求め、壊れかけた家に忍び込む。
屋根裏に潜んでいると、やがて老婆が子供を連れて帰ってくるが、様子がおかしい。
潜んで見ていると、老婆は子供をばりばりと頭から食べ始める。
まるまる一人分食べ終わると、腹が満たされた老婆が大イビキをかいて寝始める。
屋根裏の男は怯えながらも、老婆を退治しなくてはと考える。
そうして、家にあった大鍋に湯を沸かし、老婆を中に放り込んだ。
蓋をして、出て来られないよう大きな岩を上にのせ、何とか老婆を退治した。
めでたしめでたし。
「何も窯茹でにしなくたっていいだろうにな」
由来を読み終えて福部は眉間に皺を寄せる。
山に分け入ったというならば、鉈やら小刀やら何らかの刃物があっただろう。
それで首でも切ってやれば良いものの、どうしてこんな残酷な方法を選んだのか。
そもそもこの山姥が、捨てられた老婆であるならば、生きるために人を食っても致し方ないのではなかろうか。
子供を食ったと聞けば、酷い行為だとも思えるが、そもそも家族を養えず山に捨てるような村なのだ。よほど飢えた時ならば、人食いという行為自体が黙認されていたこともあるだろう。
山で必死に生き永らえようとしていた老婆を、家に押しかけた男が嬲り殺した。そんな話しにも思えてくる。
「昔話にマジレスしたって仕方ないっすよ。ってか、これ、イレイヒじゃないっすよね」
筒井は相変わらずの様子だった。
だが、お陰で本来の目的を思い出す。
「そうだな。これはご神体だ。慰霊碑ってのは恐らく、石で出来た塔か、石碑みたいなもんだろうな」
そう言ってあたりを探してみたが、どうにも慰霊碑は見当たらない。
神社に誰かいれば声をかけるのだが、あいにくと人影はないようだ。社務所もないあたりで、なんらかの祭事でもない時以外はほとんど無人なのだろう。
「仕方ないな。確か近くに郷土資料館があった筈だ」
だが時計を見るともうじき17時半になるころだ。慌ててHPを調べてみれば、開館は17時までだった。念のため電話をかけてみるが、営業時間のアナウンス音声に替わっている。
他をあたるとなると図書館の郷土資料コーナーだが、かなり時間がかかりそうだ。幸いにも、撮影期間は残っている。続きは明日からでいいだろう。
「今日のところは終わりにするか。どうした? おい、筒井?」
ふり返ってみると、筒井は先ほどとった映像を確認しているようだった。
じっとモニタを見詰めながら何やら難しい顔をしている。
「何かあったのか?」
近づいて声をかけると、筒井は驚いたように顔をあげた。
「ああ、福部さん。いや、さっきの神崎さんのデータを確認してたんすけどね。何か途中で音がして、そっから婆さんの様子がおかしくなったじゃないですか」
「そうだったな」
「そこのところの映像を見てたんですけど、ここです、ここ。洗濯物がありすぎて見にくいんですけど、後ろで箪笥の戸が開いてるんですよ」
目を凝らして覗き込んで見ると、確かに洗濯物の隙間で箪笥の戸が開いている。
「そうだな。開いてるな」
「そこはまぁ、いいんですけど、その後に、ほら、……ここです。この、洗濯物の下にうつったこれ、子供の足に見えませんか?」
「なんだって?」
思わずカメラを奪い取ってまじまじと画面をのぞき込む。
神崎の部屋はところ狭しと洗濯物が干してあり、あちこちに暖簾がさがっているような状態だった。その隙間。そこに一瞬だが足が見える。細い足。おそらくは子供の足だ。
「……神崎さんのお孫さんが来てて、箪笥の中に隠れてたなんてことは」
「まぁ確かにうちの陽菜もたまにやるっすけどね。でも子供って、部屋にいると何となく分かるですよ。匂いっていうか、気配っていうか、なんかそういうもんがあって」
「そういえばお前、子供もいたんだっけな」
福部はふいに何とも言えない空しい気持ちに襲われた。
筒井はまだ20代半ばだが、すでに結婚して子供もいる。福部に結婚願望はなかったし、まして子供が欲しいと思ったことは一度もない。ただ、自分よりはるかに若い後輩が、社会から見て「真っ当」と呼ばれる路線を走っていることに気おくれを感じることもある。
コイツとはまったく違う種類の人間なのだなと、ふいに実感させられるのだ。
「娘さん、何歳だっけ?」
「5歳っすよ。ちなみに娘の年を聞かれたの4回目っす」
「余計なことだけは覚えてるんだな」
呆れた顔で言うと、筒井はへらへらと笑ってみせる。
「分かった。家のそばまで送ってやるから、お前は直帰しろ。社には俺だけ戻ってタイムカードも押しておいてやるよ」
「お! 流石の福部先輩! 男前っすねぇ~~~~!」
「調子のいいやつめ」
ぱしっと肩口を軽く叩いてから歩き出す。
神社の境内は相変わらず、不気味な静けさに満ちていた。
筒井が家に戻ると、玄関を開ける前から美味しそうなカレーの匂いが漂ってきた。
筒井の家では、夫婦が交代で陽菜を幼稚園に迎えに行くことになっている。もっとも、テレビ局という職場は定時退社が難しいことも多く、八割は妻に迎えに行って貰っていた。
妻は駅前のスーパーに務めている。女性が多い職場であるため、子供のお迎えには比較的寛容であるらしいが、それでもやはり連日となると肩身の狭い思いをしているという。
筒井としても何とかしたかったが、職場を変えるのも難しい。
それに福部は同僚としては悪くない存在だ。独身であるが故に感覚が異なることもあるけれど、なんとか分かりあえる範囲だった。これが、亭主関白を自慢するような上司であったならば最悪だ。
「ただいまー」
玄関の戸を開けると、すぐさまトトトトと軽い足音が聞こえてきた。
飛び出してきたのは娘の陽菜で、両手を拡げたまま勢いよく筒井に抱きついてくる。
「おかえりパパ!」
ぎゅうぎゅうと抱きついた後には早く家の中に入れとばかりに、手を握って引っ張ってくる。
結婚前の筒井は、子供が欲しいとそれほど強く願ってはいなかった。だが実際に子供が出来てみれば、その愛らしさに胸が苦しくなるほどだ。
手を引かれながらリビングに入れば、案の定、妻の和美がことこととカレーを煮込んでいる。
「それって今日の夕飯だよな」
声をかけると、和美は笑って頷いた。
「本当は一日寝かせた方が美味しいんだけどね。誰も待てそうにないでしょ?」
「こんな美味そうな匂いをさせられちゃ待てるはずないでしょ」
「そうね。もうじき出来るから、着替えるなら着替えてきちゃって」
分かったと頷き、ベッドルームに歩いていく。陽菜は和美の手伝いを頼まれ、サラダを分けることにしたようだ。
並んでキッチンに立つ2人を見詰めて、これが幸せの光景なのだと実感する。
世間では様々な不幸があるが、それが我が家に入り込んでくる余地はない。
笑顔のまま寝室に向かって、リラックスできるTシャツやハーフパンツに着替えていく。
面倒なので灯りはつけようとは思わなかった。外は夕焼けが残っており、カーテン越しの光りでも室内は十分に見渡せる。
着替えを終えたところで、ふと違和感を覚えて目を凝らす。
クローゼットの内側についている姿見に、何かが映った気がしたのだ。
ふり返ってみたものの、そこには夫婦で過ごすダブルベッドがあるだけだ。
首を傾げながら改めて姿見に向き直り、筒井は大きく息を飲み込んだ。
子供がいた。
一人ではない。複数の子供が筒井の後ろに立っている。
彼らの目には一様に生気がなく、肌も死者のように青白い。
「ぱぱー、ご飯できたよー!」
リビングから陽菜の声がする。
だが筒井は足が凍り付いたように動けない。
「ぱぱー、ぱぱー? どうしたのー?」
陽菜は廊下を走ってくる音がする。
ぱたぱた、ぱたぱたとスリッパを履いた小さな足音。
それは、寝室のドアに辿りつく前にふと途絶えた。
声もしない。音もしない。
筒井はようやく我にかえる。鏡の中の子供たちはいつの間にか姿が消えていた。
「陽菜ッ!」
絡まりそうな足を動かして、ノブに縋りついて戸を開ける。
そこには誰もいなかった。
ただ夕日に染まった、赤い廊下がのびていた。
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