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黒のご神体

 これはまだ私が小さかった頃の話。昭和と呼ばれていた時代の話だ。
 携帯電話なんてものはなく、電話機といえば今では博物館で見るような黒電話だった。それだって普及してからそう長くは経っておらず、もう少し遡れば電話というものは一つの村に一つあるかないかといった具合だった。
 電車にクーラーはなかったし、大人たちはどこでも好きなようにタバコを吸った。
 古き良き時代なんて言葉があるが、私はそんな風には思えない。
 あの頃の人々はひどく騒々しく、無礼であることを誇示したがった。
 もっともそれは、今も同じであるかもしれないけれど、あの当時の暗黙の了解とは高度成長期の華やかさとは裏腹にひどく陰険なものだった。
 私はそんな時代に山間の小さな村で生まれ育った。
 平和な子供時代だったと言えるだろう。
 あの、一連の事件が起こるまでは。



 よく晴れた日のことだった。
 まだ五月だというのに暑い日が続いていて、私は庭にビニールプールを出して貰った。
 ギィコギィコと音たてて井戸のポンプを押し込めば、冷え切った水が溢れ出す。それをバケツをいっぱいにしてビニールプールまで運んでいく。まだ小学生だった私にとってはかなりの重労働だった。
 だが父は町工場の支配人を勤めていたし、母は家事に忙しく納屋からビニールプールを出して貰うだけで精一杯だった。高齢の祖父母に頼むことは出来なかったし、いつだって優しい兄はその日は高校受験に備えるために私塾に出かけていて留守だった。
 もしあの頃の私がギリシャ神話に詳しかったならば、まるでシーシュポスの神話のようだと思ったかもしれない。
 もっとも、私の苦労は報われるものであったし、誰かに課せられたものでもない。だが、ジリジリと肌を焼く日差しの中で、ポンプを押し、重いバケツを運ぶのはとても大変な作業だった。
 結局私は、ビニールプールに半分ほど水を溜めたあたりで良しとした。
 プールというよりはちょっと深い水たまりだ。
 それでも私は、ビニールプールに入っているのが好きだった。
 そっと足先をいれてみれば、しばらく陽の光にあたっていたというのに、水はまだ驚くほどに冷たかった。恐る恐るつま先から。両足を入れてしゃがみ込む。
 やはり水は浅かったが、構わずプールの端に首を預けてずるずるっと寝転がるように沈んでいく。
 頭には、祖母が渡してくれた麦わら帽子を被っていた。
 その帽子の隙間から日差しの粒が落ちていて、肩口でキラキラと光っている。
 私はゆっくりと息を吐いた。
 風が涼しい。近くの樹では小鳥たちが休み時間の生徒たちのように騒ぐ鳴き声が聞こえてきて、少し離れた国道を走っていく車の排気音もする。もっと注意深く耳をすませば、祖父がつけているテレビの音も聞こえたし、吹いて来る風が庭の畑の葉を揺らす音も聞こえてくる。
 私はそれらに、ただ耳を澄ませているのが好きだった。
 同じ年頃の子供たちは、駄菓子屋にお菓子を買いにいったり、メンコやビー玉で遊ぶのに夢中だったけれど、私はじっと一人でいるのが好きだった。
 目を閉じて、指先の力を抜いてく。
 ついさっきまで過剰な労働にさらされていた筋肉の火照りが、じわりじわりと溶けていく。
 降り注ぐ日差しは麦わら帽子ごしでも瞼を焼いて、視界は夕焼けのように赤かった。

 「佳代子、なにしてるんだ?」

 私はいつの間にかプールに浸かったまま居眠りをしてしまっていたらしい。
 遠くから聞こえる兄の声に体を起こせば、そろそろ陽が陰りはじめる時間だった。
 兄は、田んぼのあぜ道を歩いてくると、玄関にまわらずに真っ直ぐに畑を突っ切ってくる。もうすでに背の高くなった茄子やキュウリの葉をかき分けてくる姿に、私は大きく手を振った。

 「おかえり!」
 「ただいま。もうプール、出して貰ったのか?」
 「うん」

 長い間、水の中にいたせいか、指がしわしわになっている。それに思ったより体が冷えていて、少しの風でもうすら寒い。そろそろあがった方が良さそうだ。
 私は起き上がろうとして、――その真っ黒な影に気が付いた。

 「お兄ちゃんッ!」

 驚いて悲鳴のような声をあげると、兄もびっくりした顔で立ち止まる。
 兄はちょうどよく熟したトマトの隣にたっていた。そのすぐ後ろ。兄の背丈ほどに育ったトマトの枝の影に半分ほど隠れるようにいて真っ黒な影がたっている。
 それはとても異様だった。
 外はまだ太陽が大地を輝かせ、空の青も、木々の緑も、トマトの赤も鮮やかだ。
 だのに、その影だけは真っ黒でなんの色も見当たらない。

 「後ろに誰かいる!」

 私の声に、兄は慌てて振り返る。
 多分、兄は真っ黒な影としばし見詰めあっていた。

 「お兄ちゃん!」

 もう一度声をあげた。

 「お兄ちゃん駄目ッ!!!!」

 私が何度も声をあげたものだから、母が縁側に顔を出す。
 兄は私たち二人の前でゆっくりとその場に倒れ込んだ。



 兄は三日三晩、ひどい高熱で魘された。
 医者に見せても原因は分からず、熱さましも効果がない。
 そうして三日目の朝、私は母の悲鳴で目を醒めました。
 悲鳴と慟哭、父が走っていく音と、また母の取り乱して叫ぶ声。
 私はすっかり目が醒めていたけれど、布団の中でそっと息を潜めていた。それまでは、そうやって隠れていれば、怖いことの大概は過ぎ去った。家をガタガタと揺らす暴風も、地響きのような雷も、時々おこる父と母の怒鳴り合いも。息を潜めて、布団の中に隠れていれば、いつの間にか過ぎ去っていったのだ。
 だが、今回は駄目だった。
 兄はまるで紙のように真っ白な顔で眠っていた。その眠りが永遠に醒めないことは、幼い私でも分かっていた。
 私はきっとまだ人が死んでしまうことを半分も理解できていなかっただろう。それでも、今年の夏は兄と一緒に釣りに行けないだろうことは分かっていたし、来年も再来年もこれから先ずっと、もう二度と二人して橋に腰かけて釣り糸を垂らすことはないのだという事も分かっていた。神社の裏の桜の木に一緒に登ることもないし、勉強を教えて貰えることもない。台風の夜にひっそり様子を見に来てくれることもないだろう。
 私にとって初めて味わった身近な死は、ぽかんと大きく開いた穴だった。



 兄の葬儀の日も、母はずっと泣いていた。
 普段はきっちり結い上げていた髪は乱れたままで、お坊さんの唱えるお経と重なるようにして母の泣き声が響いていた。
 私はあんなにも動揺する母を見たのははじめてだった。
 母は慎ましく、穏やかに過ごす人だった。
 だが、兄が亡くなってからの母は、ふとした拍子に廊下だろうが庭先だろうが、その場にしゃがみこんで号泣した。
 確かあれは葬儀から一週間ほど経った頃のできごとだった筈だ。台所に行った私は、呆然と立っている母を見つけ「大丈夫」かと声をかけた。次の瞬間、母は烈火のごとく怒りだした。

 「大丈夫なはずがない! どうしてそんなことを言えるのか!」

 勢いよく頬を叩かれ、私は尻もちをついて転がった。
 頬が熱い。母がなにか怒鳴っている。
 謝らなければいけないのか。私には判断がつかなかった。ただ、叩かれた頬が痛くて、それ以上に驚き、悲しかった。
 ずっと前から何となく気付いていたことだった。母は私よりも兄をはるかに愛していた。それでも私たちは、平等に優しさを注がれていた。
 だけれども、兄を失ってしまった瞬間、何かが壊れてしまったのだ。
 母が私を見詰める目には、怒りと憎しみが籠っていた。

 なぜ、お兄ちゃんの方が死んだのか。

 吐き散らされる言葉の端々にそんな気持ちが見え隠れする。
 それでも、少し時間が経てば、母も落ち着いてくれるだろうと信じていた。結果として私は、希望とは強く願えば願うだけ、その思いの分だけ傷つくのだと思い知った。
 母は壊れてしまったのだ。
 そして、兄を深い闇に追いやったあの影は、家の中にまで入り込み、あちこちで顔を覗かせるようになっていた。



 兄の次に具合が悪くなったのは祖父だった。
 もともと祖父は大分前からあまり調子がよくなかった。何か持病があったのか。あの頃の私はまだ家族の事情をあまり知らされてなかったから、祖父がどんな病を患っていたのか知らなかった。
 畑仕事は出来なくとも、家の中をゆっくりと歩いてテレビを見ていた祖父は、いつからか布団から起き上がれなくなってしまい、一日の時間のほとんどただただ眠って過ごしていた。
 祖父も死んでしまうのだろうか。
 私は漠然と予感していた。
 だが、その訪れは私が予想したよりも、はるかに劇的なものだった。
 その日、私は学校を終えて帰ってきた。金曜日の午後だったから、とても荷物が多かった。ランドセルは宿題や教科書で限界近くまで膨らんで、それでも入りきらなかった筆箱は仕方なく手で持って帰る。
 家に入ると、母の笑う声がした。
 その時、私は一瞬すべてが元通りになったのかと錯覚した。
 それくらい母の笑い声は朗らかで、兄がテストで良い成績をおさめたのだと得意げに語っているところを想像した。けれど、そんな明るい妄想とは裏腹に、家の中はいつも以上に暗かった。
 まだ昼間だから、電灯はどこもついていなかったし、高い天井は昼間でも四隅に闇を集めている。
 板張りの廊下は黒光りし、窓に面したところだけ庭木の緑が映っている。板はところどころ浮き上がり、節穴があいている場所もある。
 私はひっそりと息を殺して歩いていった。
 母は祖父の部屋の目の前に立って笑っていた。
 とても楽しそうに。まるで誰かが祖父の部屋にいて、冗談を言っているかのようだった。
 だが、母の笑い声以外の声はない。
 背筋が冷えていくのを感じながらも、私はそっと母の後ろから祖父の部屋をのぞき込む。
 祖父は天井から釣り下がってほんの少しだけ揺れていた。
 驚いて腰を抜かした私の横で、母は楽しそうに笑っている。あまりにも異様な光景に私はしばし動けなかった。やがてよろよろと立ち上がって、靴をはくのも忘れたまま祖母を探しに家を出た。
 祖母は四軒先の雑貨店の主人と話していた。
 結局、私は何が起こったのかをうまく祖母に伝えることが出来なかった。
 それでも、呆然と靴もはかずに歩いてきた私を見て、祖母は何かとても悪いことが起こったのだと分かったのだろう。雑貨店の主人も慌てて家に来てくれた。
 それからのことを、私はほとんど覚えていなかった。
 ただ、あの時のことをふり返ってみれば、様々な疑問が湧き上がる。
 寝たきりの祖父が立ち上がって首を吊るなんて出来ただろうか。かといって、細身の母が祖父の体を持ち上げるなんて無理だろう。そもそもどうやってあの高い梁に首を釣る縄をかけたのか。
 何よりも私が不思議なのは、……私の見た光景が正しい記憶であるならば。
 あの部屋には首を吊るための椅子などなかったのだ。
 部屋にはいつも通りに布団が敷かれ、祖父はその上で揺れていた。あれはまるで、枯れ木から垂れ下がるミノムシのような様だった。




 それまでの私は夏休みが楽しくないなんて一度も想像しなかった。
 でもその年の私は、まるで日差しから逃げるように、多くの時間を家の中で過ごしていた。
 家の中にはあの黒い影がいたけれども、私にはそれを怖がる余裕も失せていた。私は出来る限り祖母のそばで過ごしていたし、祖母は何も言わずどこか出かける時などには私を連れていってくれた。
 母が家事をほとんど出来なくなってしまってから、祖母は忙しそうに過ごしていた。私はそんな祖母のあとをついてまわり、少しずつ手伝えることを増やしていった。
 祖母からしてみれば、自分でやってしまった方が速いであろうものなども、私が一生懸命に取り組めばじっと待っていてくれた。
 父は前よりも家に帰る時間が遅くなった。
 忙しさもあったのだろうが、おかしくなってしまった母を見ているのが辛かったに違いない。
 優秀な跡取りだと言われていた兄の死も、父を疲弊させていた。まだ40代前半だというのに父の髪は半分以上が白髪になってしまっていたし、頬も随分と痩けていた。
 そして、母は。
 ほとんどずっと兄の部屋で過ごしていた。
 畳の上で寝転んで、虚ろに天井を見詰めていたり、たまに家から出ていくと兄の通学路をふらふら歩き回っていたそうだ。
 兄の通っていた中学校は、山間を流れる川を挟んだ向かい側の集落にある。
 川は深く流れが速く、その上には赤い鉄橋がかけられていた。
 ある日、母は橋の欄干によじ登ると、両手を大きく広げて飛び降りたらしい。
 目撃したのはたまたま橋を通りかかったドライバーで、八月も半ばの頃だった。
 母の遺体が見つかったのは、それから一週間以上も経っていた。
 葬儀の間もずっと棺の戸は閉められたままだったから、私は母がどんなありさまで死んだのかを知らないままだ。
 けれどあの父の憔悴した様を見る限り、それは幸福なことなのだろう。

 


 立て続けの不幸に近所の人たちはヒソヒソと何やら噂話をしていたが、私の耳には全て雑音になっていた。
 夏の日は、暑く長く緩慢で、いつまでもずっと居座っている。
 昼は太陽が億劫で、夜は暗闇が怖かった。安息の場所などどこにもなく、次に起こる不幸を死刑囚のようにじっと待つ。毎日が葬式の気分だった。



 新しい神様をお迎えする。

 祖母がそう言い出した時、私はてっきり祖母までおかしくなってしまったのかと悲しんだ。
 だが、祖母はずっと冷静だった。
 その神様は祖母の遠い親戚の家で祀られているもので、その一部を分けて貰うことになったのだという。祖母はその神様の名前を紙に書いて教えてくれたが、決して口に出してはいけないし、みだりに話しては駄目だと念をおした。
 私は何も分からないままに頷いた。
 遠い親族が運んできたご神体は、大人が両手で抱えるほどの板のようなものだった。
 それは黒檀に似てたが、実際には木なのか石なのか分からない。木にしては重く冷たく、石にしてはやや軽い。その表面には神様の像が掘られている。

 「神様をお迎えしてどうするの?」

 私が不思議がって尋ねると、祖母は真顔のまま答えてくれた。

 「神様でもないと、どうにもならない事もあるんだよ」
 「でも、うちにはもう神様がいらっしゃるでしょう? あの方は守ってくれないの?」

 我が家には大国主命の神棚がある。こんな事が起こる以前、母は熱心に神棚に向かって祈っていた。

 「神様にも、色々な方がいらっしゃるの」
 「色々なかた?」
 「ああ、そうよ。神様には良いも悪いもありはしない。ただ、色々な方がいらっしゃる」

 私は祖母のいうことがよく分からなかった。
 新しく来た神様は、大工に頼んで庭に小さな社をたて、そこに丹念に祀られた。
 そんなことで我が家が救われる筈はない。私はすでに期待することに疲れていて、だから少しばかりの信じたいという気持ちを何とか無視しようと足掻いていた。



 その日の夜、お社が突然に燃えあがった。
 火の気はない。
 丸い月が天にのぼって、村の田んぼの隅々まで見渡せるような夜だった。
 だから、ひっそり隠れて社を燃やすなんてきっと難しいに違いない。
 だのに社はまるで灯油でもかけられたかのように燃え上がり、近所中の人が慌てふためいて集まった。
 井戸から水を汲み、何度水をかけようとも、社を燃やす火勢はつよく、ごうごうと音をたてて燃え続ける。
 私は呆然とその様を見詰めていた。
 そうして燃え踊る火の中で、真っ黒な影が苦しみ藻掻いて消えていくのを見守った。


 その夜にもう一つ事件があった。
 父方の従兄弟、つまり私にとっての従伯父が突然死んだのだ。
 その人は博打に嵌って散財し、会社も首になった挙句、奥さんにも逃げられたのだと聞いている。親から引き継いだ家に住んでいたが、金もほとんどないままに荒れた生活を送っていた。
 私もその人を何度か見かけたことがある。
 親族の集まりのたびに顔を出しては、誰構わず金の無心をしていたから、たいそう煙たがられていた。
 兄の葬儀の席ですら、金をせびりに来たという。
 私の父は、親族の中でもとくに成功していたために、ひどく恨まれていたとも聞いている。

 従伯父の死と、社の火事と。

 二つの関係は分からない。
 ただそれ以降は、我が家に不幸な死が訪れることはなくなった。
 社はすっかり炭になったが、ご神体はまったくの無傷な状態で見つかった。
 だから黒檀のような神様は、大国主命と少し離れた納屋の中に祭壇を作って祀られた。
 それが子供時代におこった、一連の不可解なできごとだ。




 あの時に何が起こっていたのかは、いつまで経っても分からない。
 ただ確かに、何か得体の知れないものと、そして何かとてつもなく大きな力が、あの小さな田舎町に存在した。
 それを証明するものはなく、私自身も何を信じればいいのかは分からない。
 漠然と思い出すのは、祖母が語った言葉だった。

 神様には良いも悪いもありはしない。

 私の耳には、今でも鮮明にあの時の祖母の声が蘇る。

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