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Time After Time

2017年の3月。白のバンに乗り込んで向かう先は、新大阪駅。

どうかこの場所を去る理由をずっと作り続けていた。
仏壇の上に供えておいた受験票はもう必要ない。

足掻きつづけた自分が報われるとは限らないが、それでも全力を尽くし続けた。インターバルを許さない長い持久走。

ただ、自分が望んで買った苦労だからこそ不思議と苦しくはない。未来は明るく、輝き、自由のいい匂いがする。

ここを離れてどうやって生きていくのか、何も考えてはいない。確かにもっと都会で遊びたい思いももちろんあったけれど、この努力の意味はもっと違うところに在った。

全てが終わり賭けに勝った、そんな素晴らしい感覚。

Time After Timeが流れる車の中。
ダサいバンに似つかわしくないシンディ・ローパーの声が、時が経てば色褪せて闇は灰色に変わると教えてくれた。
後部座席には朝刊が積まれている。

この街で暮らした時間が恋しいと思う確証はなくとも、この街で過ごした時間は確かに自分の一部だ。

ただ、あの家を恋しいと思うことはあるのだろうか。あのウジの湧いた台所を掃除する人生が正しくないとも理解していたから。

淀川の大きな橋を駆け抜けながら、
「お前は特別頭がいいとは思わんけど、努力する才能はある」と父が言う。

自分は応援されている、愛されている。全てに感謝している。人生がこんなに思い通りに進んでいて、自分は何と恵まれていることか。

改札ではなくホームで父に別れを告げる。新幹線の窓から姿は見えるけれど、何も言わず笑顔だけ見せておいた。

自分の手にある片道切符が誇らしかった。

美化された大都会が自由を教えてくれると期待して、
「新大阪→東京」の文字に目をやる。

無理にたぐり寄せた運命が乗車券に印刷されている。

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2022年の冬。出雲からの帰り道。

確かに東京は自由を教えてくれた。
自由はいい匂いがした。ただ、その後味はおそらく苦しいものだった。

そして、人生に「正しさ」なんてものは求めてはいけない。受け入れることはまだできないけれど。

あの頃描いた将来に今、何もできずに自分は存在している。

いつか自由に車に乗る夢を見ている。

努力もせずに、ただ久しぶりにハンドルを握った。上手くはいかなかった。


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