90年代の西日本で生まれた男 多くの虚飾を含みながら何者であったのか、何者になりたいの…

90年代の西日本で生まれた男 多くの虚飾を含みながら何者であったのか、何者になりたいのかを取り留めもなく書き続ける物語 「ナイフは決して与えらえない。まるでわたしが手をうまく使えないか歯に支障があるかのように。でも、どちらにも障害はない。だからこそ、ナイフが与えらえないのだ。」

最近の記事

バランス窯

団地の夏は暑い。10年以上前、まだ2000年代に生きていたブラウン管の時代。 「どこから来たの?」「西の方の人?」 微笑んでおく。今であれば、答えはすぐには与えない。 18の時分、どうしても出てしまう方言が東の人間ではなかったから。あの頃は若く、素朴で、実直だった。 微笑みとともに、少量の過去を垂れ流して「そうだよ」と答える。新しい場所はすべてを昇華してくれると素直に信じていた。違う人間に生まれ変われるものだと都合よく解釈していた。それほどに賭けていた。 そうではなか

    • 汽船|篁 #note https://note.com/99s_supercut/n/n107d485c4d19

      • 汽船

        きっと15年位前の元旦、世界一の橋を超えて、冬が染みていく海岸のそばで。 この町の朝は早い。家と同じ数だけ漁船があるそんな集落に、珍しく人が集う特別な日。 おせちの中段の蛸と大皿に乗る鯛は、当然のようにこの町の誇りだ。りんごジュースと言われて飲んだのは日本酒だった。そんな陽気な時間と家族と共に。 VHSテープのようにリフレインされていく。記憶はいつまでも都合がいいものだから。 ーーーーー それから何年が経ったのだろう。もう数えることもできない。 彼岸花と蝋燭と共に

        • Queensboro Bridge

          2019年の4月、凍てつく冬が終わった頃、ニューヨーク。クイーンズのアパートにも少しずつ明るい日差しが感じられた。 自分が生まれ育った場所とは対極のこの街で過ごす日も限りがあった。そして、自分の年齢でできることにも限りがあった。 酒も買えない。正確には飲みたいという気分にもならなかったけれど。Marlboroも買えなかった。ただ、隣の部屋の台湾人が何故か割引いてくれる。 彼がどうやって安くタバコを手に入れているのか、そもそもどうやって生きているのか気にはなったけれど、結

        バランス窯

          Time After Time

          2017年の3月。白のバンに乗り込んで向かう先は、新大阪駅。 どうかこの場所を去る理由をずっと作り続けていた。 仏壇の上に供えておいた受験票はもう必要ない。 足掻きつづけた自分が報われるとは限らないが、それでも全力を尽くし続けた。インターバルを許さない長い持久走。 ただ、自分が望んで買った苦労だからこそ不思議と苦しくはない。未来は明るく、輝き、自由のいい匂いがする。 ここを離れてどうやって生きていくのか、何も考えてはいない。確かにもっと都会で遊びたい思いももちろんあっ

          Time After Time

          Livin' On a Prayer

          2013年の8月、大阪の夜、酷暑と呼ぶのがふさわしい午前1時。 国道沿いの家。毎日見ていたこの道を500キロメートル東に進めば、日本橋にたどり着くことを知るのはもっと後のことだった。 あの頃は確か14歳で、物事の善悪を理解することはできても、一人で生きるには不十分で、自分以外の世界を何も知らなかった年ごろだった。もちろん、「東京」など自分の頭には存在していなかったときの物語だ。 6畳の部屋に家族4人で眠りにつく。 その時、正確には、2つのルールがあった。 明かりを完

          Livin' On a Prayer

          「苦しみは平等に与えられていると思う?」

          2021年の9月の中頃、この日は病院の診察。日本橋、東京、とてつもない大都会の中心。 「眠れない」 名目上はそう伝えつつ、実際にはすべての糸が切れたいたようで。それは、ぴんと張った糸が勢いよく切れたというよりは、少しずつ細い糸がじりじりとねじれて繊維が弱くなっていったような感覚と似ている。自分は何も感じず、気づかないまま、最後の1本を迎えていたみたいだ。 進捗の悪い仕事も、それに伴う評価やリスクも何でもよくなった。算段が今は難しい。 誰のためにキーボードを叩き続けてい

          「苦しみは平等に与えられていると思う?」

          衛星

          前文 ひとつ、何かを取り戻すように、何を得たのか数えるようにこの物語は進んでいく。正確には、物語と呼ぶには終わりがないのだけれど。 ひとつ、この物語に端的さやある種の明確な意図は存在していない。 ひとつ、最も大きな目的、この物語は私のために綴られている。だから、この物語がとりとめもなく、右往左往し続けてしまうことを許してほしい。 衛星  2021年8月の夜。水面の水紋をたどりながら、少し蒸し暑い夏を自分なりに楽しんでいる。トロピカーナのオレンジジュースを片手に、コン

          衛星