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バランス窯

団地の夏は暑い。10年以上前、まだ2000年代に生きていたブラウン管の時代。

「どこから来たの?」「西の方の人?」
微笑んでおく。今であれば、答えはすぐには与えない。

18の時分、どうしても出てしまう方言が東の人間ではなかったから。あの頃は若く、素朴で、実直だった。

微笑みとともに、少量の過去を垂れ流して「そうだよ」と答える。新しい場所はすべてを昇華してくれると素直に信じていた。違う人間に生まれ変われるものだと都合よく解釈していた。それほどに賭けていた。

そうではなかった。

悟られないように、侮られないように、新しい場所では生きることができるはずだった。
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6畳の部屋はきっと狭かった。畳とともに3人で寝る。大切なものがあったのかもしれない。

お風呂を沸かす、出窓から見える炎は青い炎でなければならない、沸かし続ければ沸騰してしまう。タイミングを見計らって。そんなものは常識だった。でも常識ではなかった。

長い夏に遠い町へ行くことはなかった。幾重も夏を同じ場所で過ごす、その運命を受け入れていた。号棟の概念は世間ではなかった。

公園のそばの蝉の音、聞き分けられるほどに、たくさんの蝉を虫取り籠に入れた。草彅剛は地デジを促しながら、少しずつ変わろうとしている。とてつもなく暑い夏。どこに行くこともできない。この家には5人もいて、部屋は足りていない。

「飛魚のアーチをくぐって宝島に着いた頃、あなたのお姫様は誰かと腰を振っているわ」

MDは少し懐かしいサウンドと共に流れ続けている。この夏は永遠に感じる。この時代が永遠に続くと無邪気に満足していた。

今日の湯舟は熱くなりすぎた。バランス窯を見ていなかった。こんなに蒸し暑い夏なのに。

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18になった。若さを溶かしながらこの肉体が朽ちるまで時を刻んでいる。よく働いた、だから湯を張るけれど、何か物足りない。足りていない。

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