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「苦しみは平等に与えられていると思う?」

2021年の9月の中頃、この日は病院の診察。日本橋、東京、とてつもない大都会の中心。

「眠れない」

名目上はそう伝えつつ、実際にはすべての糸が切れたいたようで。それは、ぴんと張った糸が勢いよく切れたというよりは、少しずつ細い糸がじりじりとねじれて繊維が弱くなっていったような感覚と似ている。自分は何も感じず、気づかないまま、最後の1本を迎えていたみたいだ。

進捗の悪い仕事も、それに伴う評価やリスクも何でもよくなった。算段が今は難しい。

誰のためにキーボードを叩き続けているのか?毎日を過ごさなければいけない理由は?大事にしなければならないものは?

上司たちの何気ない朝のミーティングでの雑談。「子どもの習い事が大変だ」「高校生の頃はとにかくカラオケが楽しくて」「久しぶりの実家は、ご飯が出てきて最高です」

私にもそういう時代はきっとあった。意味合いが違うとしても。

達成したい目標を熱く語る8月の友人、私も併せて頷きながら直視はできなかった。

その眩しさが、その目の指す方向の先に自分は見えなかったから。

千代田線に揺られて、電車の涼しさの中、COACHのヴィンテージのカバンには、確かマルジェラの香水が入っていた。Sailing DayかLazy Sunday Morningのどちらかが。性的な男になりたいという単純な考え、そして、自分の力で手に入れたモノの象徴。

どうして今、私はこの電車に乗ることになったのだろう。

仕事は厳しいわけでなく、大学も卒業し、身なりも整えて、周りの人には恵まれている。経歴に何も問題はない。だからこそ、何も説明ができない。私が問題抱えていると示すことはできなかった。ましてや、苦しいと言うことなど決してできなかった。

先生が問診票を淡々と確認する。その内容はカウンセラーに引き継がれ、私と彼女は狭い部屋の対面しながら、雑談の合間に指示通り簡単な絵を描いた。唐突に彼女が言った。

「苦しみは平等に与えられていると思う?」

言葉が体に反響した。鉛筆が止まる。彼女は私の概要はすでに知っていても、私のことは何も知らない。問われているからには、この問いに答えようとする。

体が動かない。当然に、皆が大変な思いをしていることはすでに知っている。20数年も生きてきたのだから。苦しみは平等であると答えた方が社会で生きる人間として常識的な回答か? 道徳と葛藤する。

その問いに「そう思う」とは答えられなかった。

そして始めて気づいた。

私は、絆創膏を自分で貼り直し続ける術を身につけていたことに。

そのように生きてきたことに。

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