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『部品メーカー残酷物語』第十五話

第十五話「セールス実習 その5『効率こそ命!』」

 セールス実習初日の失敗から学んだ私だったが、取り敢えず最初の二週間は全力で行くと決めた。そのためには少々準備が必要だった。
 もう化粧は止め。
 土日祝日など顧客が営業所に集まる日は別として、外回りに出る時は薄化粧にさっと明るいリップを刺す程度に止める。スカートを履くの止めて入社面接の時のスラックス。靴は底の広いペタペタのパンプス。これも次の休みにもっと歩きやすいスニーカーを買ってくるつもりだ。支給してもらったセールスカバンは使わない。学生時代に画材を入れる補助バックとして使っていた肩からタスキ掛け出来る布製のバッグを持って行く。少し年季が入って色落ちしているが、チャイムを鳴らしても顧客が出てこないのだから取り急ぎこれで十分だろう。次の給料が出た時にもうちょっと見た目の良いものを買うことにする。
 とにかくまず最初は機動性に尽きる。
 見た目なんて二の次、三の次だ。
 一日歩き回っても中々顔さえ拝めない、家に篭っている潜在顧客のために毎日スカートを履いて化粧してハイヒールなんてもったいない。そんなのは営業所で客寄せイベントをやるような土日祝日だけで良い。
 外回りの日はまず訪問軒数だ。
 如何にチャイムを鳴らす回数を増やすかをまず考える。
 そうすれば自ずと顧客と接する機会が増えるはず。それに連れてカタログを渡せるチャンスも来るだろう。カタログを渡せればイベントをやっている土日に顧客に来てもらえる確率が高くなる。ここまで出来ればあとは後堂さんに手伝ってもらってと言うか、後堂さんに引き継いで契約まで持ち込む。
 さて、そのためには見た目なんて気にしていられない。ハイヒールなんてとんでもない。なるべく歩き易い靴で移動速度を上げる。カバンそれ自体が重いセールスカバンなんて必要ない。

「おはようございます!」
「おはようぅー おおおぉぉぉ お?」

 朝の挨拶をしながら私は営業所に入って行くと、誰もが私の変わりように驚いた様子でこちらの方を見た。昨日と打って変わった私の様子に一目で気付いたからだろう。
 化粧っ気もなくなり、スカートも止めてスラックス。色気のないベージュのパンプス。自分でもちょっと笑う。
 いいんだ。なんとでも思ってもらって結構です。ダメだと思ったことはドンドン変える。変化こそ発展の起爆剤だ。

 私は、セールスカバンの中身を全て肩掛けの布バッグに移し替えたらすぐに「行ってきまーす!」と言って営業所を飛び出ようとした。

「竜胆(りんどう)君、ちょっと待て待て!」
 チビヤクザは、そう言いながら私を引き留めた。
「はい。何でしょう?」
「何でしょう? じゃあなくて……うーん分かるだろう?」
「??? ……わかりません……」
「みんなの顔を見てみろよ(ちょっと不満げな顔)」
 言われて私は部屋にいた全員の顔を見渡したがちっとも分からない。
 特に全員、昨日の顔から変わった様に私には見て取れない。後堂さんなどは所長の話が理解できない様子でちょっと首を傾げている。こっちをチラ見するだけで所長と私の会話を聞いていない振りをする人もいる。庶務の女性二人も私の方には視線を向けない。
「すみません。わかりません……」
「その格好だよ!」
「格好?」
 薄化粧とジャケットにスラックス、ペタペタパンプス、肩掛け布バッグのどこがいけないのか? 私はそんな顔をしてチビヤクザを見た。
「……もういい。オイ後堂君! 指導しといて」
「ハイ」
 チビヤクザにそう言われて、後堂さんはその体格に似合わない小さな声で返事をした。

 その後、後堂さんは私を例の喫茶店に連れて行った。
 「ホットでいい?」聞かれたが、なんか反抗したくて「いえアイスで」と私は答えた。
 しばらくしてコーヒーとこの土地特有のモーニングサービスが運ばれ来たが、ここまでの間後堂さんは特に喋る様子はない。タバコに火を付けて昨日とは別の漫画本を読んでいる。居た堪れない私は「指導……お願いします」と後堂さんに聞こえる程度の小さな声で言ったが無視された。
 後堂さんには申し訳ないが何もご指導いただけないならこんな時間は無駄だと思った。私はすぐにでも外に出て一軒でも多くの家を回ってチャイムを鳴らしたいと思って、後堂さんの態度に少しイラついてしまった。

「あのー」
 私はさっきと違って、少し大きめの声を出して後堂さんの反応を促した。
「うん?」
 こんニャロ〜 ようやく反応した。
「何がいけないんでしょうか? ご指導ください……」
「……何もいけない事なんかないよ」
「じゃあ所長は何を怒っているんですか?」
 そう私が聞くと、ちょっと間を置いてから後堂さんは話し始めた。
「俺が言ったて言うなよ?」
「あーハイ。言いません。誰にも」
「あの人、戦前の人だからさ」
「?」
「頭ん中、古いのよ」
「……よく分かりません」
 後堂さんはそこから色々と説明してくれたが、後堂さんの話も歯切れが悪く長ったらしいので、以下の通り要約してみた。

 チビヤクザは戦前生まれのせいもあって考え方が古い。
 チビヤクザにして見れば、女性が働くと言う事自体が気に入らないらしいが、この何十年かで女性の社会進出が進んできており、そうも言っていられない状況になった。それでも女性には相応しい職場と言うものがある。例えばセールス担当の女性でも日頃から綺麗に化粧をして、出来れば営業所の中で顧客対応をして欲しかった。
 そこに私が研修でやって来た。
 私の会社の意向もあって私に外回りの営業をさせる事になっていたが、チビヤクザは正直言って気に入らなかった。
 初日は私が化粧をしてハイヒールを履いて来たので様子を見ていたが、二日目でガラリと変わってしまったので、チビヤクザは驚いてさっきのような態度になってしまったようだ。

 とそんな感じの説明を後堂さんはしてくれた。

「じゃあ どうすればいいんですか?」
「うーん……自分で考えて」
「そんなぁ!」
「まあ所長の考えはそんな感じ……」

 この喫茶店で一時間ほど過ごしたら、後藤さんが「そろそろ行こうか」と言うので私は昨日と同様に後堂さんの車に乗って営業所に帰って来た。
 私と顔を合わせたく無いのか、本当に用事があったのか分からないが所長は出掛けていていなかった。すぐに庶務の瓶底黒縁メガネさんに「竜胆さん!」と呼ばれたので彼女の元に向かうと、今日はもう外周りに行かなくて良いとのことだった。いや本当は「行かせるな!」と所長からの指示があったのだろう。
 瓶底メガネさんが言うには、今日は外に出ず営業所に居て自分の手伝いをしてくれとのことだった。

 「いやだ」と即座に思った。
 顔に出ていたらしく、すぐ瓶底メガネさんの顔が曇ったので私は「はい」と嫌そうに答えた。
「なんでも勉強になるからー(そんな顔しないでぇー)」
「……はい。分かりました」

 最初に連れて行かれたのは地下の倉庫だった。余ったチラシを紐で縛ってくれとのことだった。これこそ男の仕事じゃないかと思って瓶底メガネさんをチラ見したが目を合わせてくれなかった。
 彼女の話によるとこの営業所ではほぼ毎月、土日祝日に合わせて何らかのイベントが行われるらしい。その度に大量にチラシが印刷されてここに届けられるのだが、セールス担当がちゃんと配ってくれないので毎回大量に余って処分するハメになるとのこと。それでは印刷代も勿体ないし、捨てる手間も掛かってしまう。こうして私が紐で束ねたチラシも過去のイベントのものなので捨てる意外に無いとのことだった。
「じゃあ次のイベントでは、私が全部配ります!」
 そう勢いに任せて口にしてしまったのが失敗だった。
「良かったわ。これ、次のイベントのチラシなのよ」
 瓶底メガネさんがそう言いながら指さしたのは、ちょっと離れた所に高く積まれたチラシの山だった。
「おっと……」
 それは余るはずである。下から数えてチラシの束が少なく見積もっても二十以上はある。一束に何枚のチラシが入っているのか知らないが、セールス担当のわずか六名ではちょっと配り切れないだろう。

「台車を持ってくるから、このチラシを部屋に持って行きましょう」
「はい!」

 階段を上がれば比較的簡単にセールスの部屋に戻れるのだが、それだと手でチラシの束を持って上がらなくてはいけない。代わりにチラシを台車に乗せてエレベーターで上がろうとするとなぜか一度外に出なくてならないビルの構造になっていた。
 先に別の話で書いたが、この本社営業所はちょっと変わっていた。実はこのビルは大きなマンションで、その一階部分に加えて、さっきチラシが置いてあった地階部分を合わせて二フロア分がこの本社営業所のエリアだった。ちなみに二階から上は全てマンションの各居室である。

 瓶底メガネさんの後について、私は台車を押しながら廊下の一番奥に行き、マンションの住民が使う同じエレベーターに乗って一階に戻った。一階からは一旦表の通りに出て、歩道を歩きながらバス停の前を通り過ぎてようやく営業所の自動ドアを開けて中に入ることが出来る。そして〇〇自動車の新車が三車種一台づつ合計三台が置いてある展示場の中を通り、さらになぜか階段を数段登ってようやくセールスの部屋に戻って来ることができる。

「なんか変なのよね、このビル」
「教えてもらって良かったです」

 瓶底メガネさんの指示に従って私は新しいチラシをセールスの部屋へ運び込みカタログの横に積んでいく。彼女はハサミを取り出してチラシの束を三つほど開く。すると面白い鰻のイラストが描かれたチラシが出て来た。
「鰻ですか?」
「変よね」
「うーん。どうなんでしょう……」
 私には、今一つよく分からない。
「展示室に空気で膨らませるビニールプールを用意して、そこに鰻を放すらしいのよ。変でしょう?」
「鰻を放して、どうするんですか? みんなで鰻掬いとか?」
「そうらしいわよ」
「えぇー 自動車販売と鰻掬いとどう関係があるんですか?」
「私には分からないわ。じゃあ次の次の土日だから、それまでチラシ配りをよろしくお願いします。他の人は今まで通りあんまり配ってくれないと思うから、竜胆さんを頼りにしているわ」
 そう言って瓶底メガネさんは微笑んだ。

 しまった。覚えていたのか。(汗)
 そりゃあそうですよね……。

(続く)


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