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【4711】 214事件 前編

この作品は『シトラスの暗号』から始まる4711シリーズの続編です。よろしければ1作目からどうぞ。



登場人物

✻水木清香さやか
私大附属のS高に通う3年生。美化委員会会計。
家庭科と体育が苦手。好きなものはテディベアとアイスクリーム。趣味はゲーム。
昭和54年12月13日生まれ。B型。

✻織田修司
S高の物理教師。二枚目。
好きなものは寿司とビール。趣味はテニス。ドイツ製の4711というオーデコロンを使っている。愛車はBMW 。
昭和47年1月1日生まれ。A型。

✻堂本はじめ
清香の恋人。S高の2年生。
サッカー部でゴールキーパー。
身長185センチ。

✻嶋崎佐智子
清香のクラスメイト。放送部。
織田先生が大好き。

✻高津美奈
清香の友達。時代劇ファン。
織田先生が大好き。

✻榎木真実
清香の友達。父親は弁護士。
織田先生が大好き。

✻寺門里美
清香の友達。茶華道部部長。
織田先生が大好き。

✻今泉先生
S高の英語科教師。院卒。



1998年2月14日(土)


『明日の予想最高気温は23度。4月下旬並みの暖かさです。チョコレートも溶けそうなバレンタインデーになるでしょう』
 ゆうべのニュースでそう言っていた。
 今日はバレンタインデー。元くんと付き合いだして初めてのバレンタインだ。
 もっとも、知り合ったのが去年の9月だから、誕生日もクリスマスも大晦日もお正月も、全部初めてだったんだけど。
 12月のわたしの誕生日の1週間前にプレゼントをもらって、そのあとは誕生日当日もクリスマスも年末年始も、ことごとくすれ違いだった。
 サッカー部の試合だったり、元くんのクラスのクリスマスパーティーだったり、サッカー部の合宿だったり。
 部活の予定は断れるわけないし、彼女ができたからって仲間との付き合いをないがしろにしてたんじゃ、友達なくしてしまう。
 もし合宿がなかったとしても、ふたりともまだ高校生なんだから、カウントダウンを一緒に過ごすなんてできっこないんだし。
 ちゃんとわかってるんだ、頭ではね。
 だけど心は思い通りにならない。
 わたしのこと大事じゃないの? って訊きたくなる。
 訊いてみたところでどうにもならないし、結局ケンカして気まずくなるだけなんだから。
 たぶん男子は女子と違って、恋人ができたからって彼女最優先にはならない。
 むしろ彼女のことが好きで好きで、他のものは一切目に入らなくなっちゃうような男子は、ストーカーっぽくて怖いと思うし。
 だからこれは普通のことなんだ、くだらないこと言って後悔するなら言わない方がいい。わたしの方が年上なんだから寛大でいなきゃ。そう自分に言い聞かせる。
 お姉ちゃんなんだから我慢しなさい。お姉ちゃんなんだから勉強教えてあげなさい。お姉ちゃんなんだから、お姉ちゃんなんだから。
 いつも母に言われていたことを思い出して、出かかったため息を飲み込んだ。
 先生、わたしはまだ何も許容できてない。こんなことじゃダメだな。
 朝から落ち込んで、引出しからオーデコロンを出した。あの人が使ってるのと同じ、4711という名前のコロン。
 制服のブラウスを着る前に、背中側のウエスト辺りにスプレーして香りを吸い込んだ。ああ、この香り、幸せ。
 おっと、早くしないとバスに遅れちゃう。
 サブバッグにチョコレートの箱が入ってるのを確認して、急いで階段を下りた。


 いつも通り5時に起きた。
 でも、いつも通りの勉強はせずに、朝ごはんも食べないで家を出てきた。
 今日は絶対に、朝練前に会ってチョコレート渡すんだ。
 他にも渡す子が居るかもしれないけど、わたしが1番にあげる。そう決めてきた。
 何も言ってないから驚くかしら。
 たまにはこういうのもいいんじゃないの。
 始発のバスに乗って、学校には6時40分に着いた。
 下駄箱には行かず、部室棟に直行する。
 サッカー部と彫ってある木のプレートが下がった部屋。マネージャー募集中!の貼り紙。ノックをしても返事はない。
 試しにドアノブを回してみたけど、鍵がかかっていた。
 ラッキー。まだ誰も来てないなら、ここで待ってれば捕まえられる。
「あ、先輩、おはよーっす」
 最初に来たのは顔見知りの2年生だった。
「おはよー」
「堂本待ってるの?」
「うん、待ち伏せ」
「朝からいやらしいなあキミタチ」
「そう、ラブラブだからね」
「あはははは!」
 何人かの部員が入っていって、7時少し前に元くんが来た。
「あれ! 待ってたの?」
「うん、おはよー」
「なんだ、もっと早く来ればよかった。もしかしてチョコもらえる?」
「うん、持ってきたよ。はい」
 リボンが結ばれた箱をうやうやしく掲げる。
「うひょー! ちょー幸せ! 清香ちゃんラブ!」
「清香ちゃん、俺にはー?」
「俺にもー。ちょーだいちょーだい」
 着替えを終えて部室から出てきた部員たちが囃し立てる。
「てめえは清香ちゃん言うな!」
「義理チョコなんかもらってもうれしくないでしょ」
 苦笑いしながらわたしが言うと、
「うれしいよー。食えればなんでもうれしい!」
 育ちざかりの子供かしら。
「1個くれ!」
 突き出された手をぴしゃりと叩いて、元くんはチョコの箱をスポーツバッグに押し込んだ。
「ダメ、やらねえ! 俺が全部食う!」
「じゃね、朝練頑張って」
 いつまでも引き留めていると支度ができないだろうから、わたしから切り上げた。
「おー、サンキュー」
 かわいく手を振って、下駄箱に向かった。
 よっしゃ、イベントクリア! レベルアーップ!


 元くんにあげたのは、東急ハンズで買ったチョコレートだ。テディベアの形のチョコが6匹入っている。
 めっちゃかわいいから自分用にも買おうかと思ったけど、かわいすぎて食べられなそうだからやめといた。
 元くんはそんなのお構いなしでばくばく食べるに違いない。
 イベントクリアって喜んだけど、本当は問題がひとつ残っていたんだ。考えても解決しなかったから、そのままになっている。
 下駄箱の奥から現国のぶ厚い教科書を出す。こんな重いものいちいち持って帰れないわ。
 教室はもちろん無人だった。運動部じゃなければこんな時間に登校してくる生徒は居ない。
 宿題と予習は終わっているので、特にやることはなかった。
 とりあえず、駅の売店で買ってきたおにぎりを食べることにする。
 学校で朝ごはんなんて初めてだ。
 なんだか早弁してる気分で、ちょっとテンションが上がる。
 おにぎりとコーヒー牛乳というミスマッチな朝食を摂りながら、窓の外をぼーっと眺めていたら、織田先生が通るのが見えた。
 中央館2階にある職員室へは、3年の教室が入っている北館前の中庭を通らなくてはいけない。
 こんな時間に教室から中庭を眺めていることなんてなかったから、通勤してくる先生を見たのは初めてだった。
 たとえ顔が見えなくても、身長と体型で見分けがつく。
 あんなスラリと背が高くて脚が長い先生は、他に居ない。
 暑くなる予報のせいか、スーツだけでコートはなしだ。
 おにぎりをくわえたまま窓ガラスに貼り付いているわたしには気付かずに、中央館へ歩いていった。
 今日は織田先生、大変なんじゃないかな。
 どれだけチョコレートが集まるのか見ものだけど、それはそれで腹立たしい気もする。
 ひとつ残った問題というのはこれだった。
 織田先生にあげるプレゼントが用意できてない。
 先生は甘いものが好きじゃない。だからチョコをもらってもうれしくないはずだ。
 しかも大量に貢がれるに決まってる。
 先生に群がるありんこたちに混ざるのは不本意だ。
 バースデープレゼントにあんな高いキーホルダーをもらったし、何か気の利いたものをプレゼントしたい。
 そう思っていろいろ悩んだけど、結局これといったものが見つからなかった。
 それに、元くんに本命チョコをあげたんだから、先生にあげるのは義理ってことになっちゃうし。
 それもなんだか気に入らない。義理チョコって好きじゃないの。
 思考は堂々巡りを繰り返して、まるで解決には至らなかった。

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