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【4711】 情熱の赤いバラ #4

 金に余裕ができても派手な生活などしなかったが、店も従業員も薄々気付いていただろう。
 が、俺が学費を払いながらバイトで生計を立てていることを知っていたので、表立っては誰も何も言わなかった。
 ただ、裏では「エゴイスト」と呼ばれているのを知った。
 俺のエースどころか、店のエースにだってなるような客を裏引きしていたんだ。非難されて当然だろう。 

 店で着ていたジョルジオ・アルマーニのスーツは、すべて愛子さんがオーダーしてくれたものだ。
 秋になると、決算対策で買ったと言って、BMW の新車を与えられた。
 名義は会社だが自由に使っていい。駐車場だけ自分で借りなさいと。
 ボディカラーが赤なのが気に入らなかったが仕方ない。
 もちろんこの車も禁煙と決められた。 

 俺が20歳になっておおっぴらに酒が飲めるようになると、彼女は大人としてのルールとマナーを教えると言って、平日の夜にも俺をあちこちに連れ出すようになった。
 俺のことを訊かれると、いたずらっぽい表情で「秘密よ」と笑った。
 高級店であればあるほど、スタッフがふたりの関係に触れてくることはなかった。俺のようなガキでさえも丁重に扱ってくれた。
 それで俺は、サービスとはなんであるかとか、世の中の仕組みがどうなっているのかを考えた。社会的ヒエラルキーは依然として存在していて、平等とは相対的なもので、分相応という意味なのだと理解した。 

 あれほど憎んでいた自分を取り巻く世界に、俺は興味を持つようになった。
 愛子さんという橋渡しがあれば、世界は俺に寛容だった。
 視野狭窄だった視界が少しずつ拡がっていった。
 俺が敵意を捨て去れば、角張っていた世界は丸みを帯びて触れても怪我をしないと知った。

 恋愛ではなかったが、彼女に対してなんらかの感情はあった。
 敬愛? 尊敬? どちらも当てはまらない。親に対するような思慕だったのか? それも違うような気がする。今でもわからない。

 理学部に入ったからには、当然大学に残って研究者になるつもりだった。
 高校時代からネタのように「俺は東大の理学部に入ってノーベル賞を獲る」と繰り返していた。
 ネタではあったが冗談ではない。
 ノーベル物理学賞に最も近い場所、それがこの大学の研究室だ。
 研究者を育成するのではなく、ノーベル賞を獲る研究者を育成する、それが東京大学のポリシーだ。
 天才でもなんでもない俺がノーベル賞を目指すには、東大という場に居続けることが重要だった。
 だが、研究室に入るには、修士で2年、博士で3年。それでやっと助手になり給料が出る。あと5年は学生を続けていかなくてはならない。つまり、バイトと愛人の生活があと5年続くということだ。
 学部卒業から5年経ったら27。そんな歳になってまで人の金で生活するようなみっともない真似はしたくない。
 ひとまず院は諦めて、就職することにした。
 と言っても、学部卒の理系ではたいした仕事にありつけない。一般企業ではなく、教員を選ぶのが最適解に思えた。
 念の為と思って教職課程は1年から取っていた。

 後期課程に入った頃から、卒業したら秘書にならないかと誘われていたが、断った。
「わかっていたけど、残念だわ。わたしは本当にあなたを秘書にしたかった。あなたは頭がいいだけじゃなくて賢いわ。将来的には経営に参加してもらえたらって考えていたの」
「すみません」
「ううん、わかってたのよ。あなたの情熱の赤いバラは、物理を学ぶために咲いているんだから」
「僕は物理のために、愛子さんを利用したんです」
「そんなの当たり前でしょ。わたしだって自分のやりたいことのために、父親の財力を利用してるわ。みんなそうやって生きてるのよ」
 そうだろうか。
 父親ならば娘に利用されるのはむしろ喜ばしいことだろう。
 赤の他人から偽物の愛情の見返りとして金をもらい、用が済んだら切り捨てる。
 俺は立派なエゴイストじゃないか。


 俺は毎週土曜の朝にバラの花束を贈った。
 そしてそれは、卒業して愛子さんと別れるまで続いた。
 3年間の花代を計算すると、ざっと200万。ガレの花瓶がふたつ買える金額になっていた。
 それでも彼女が俺にかけてくれた金額に比べたら微々たるものだ。
 赤いBMW は就職祝いだと言われて俺のものになった。
 ボディカラーもナンバーも変えたから、もし街で見かけてもあの車だとはわからない。
 俺と彼女の3年間を知っているのは、もうガレの花瓶だけかもしれない。
 あれから女性に花を贈ったことはない。