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萱草に寄す

 すっかり日が暮れた後、ベランダに出て煙草をふかしていると、日中に軽く汗で濡れた半袖のシャツの袖を静かに揺らす風が、随分と冷たくなってきたことを感じる。短い夏が終わり、秋が来る。なんだかんだ忙しく過ごしていたから、余計に短い季節だった。これからもっともっと、短くなっていくのだろうか。
 昨日が中秋の名月の日だと誰かが言っていて、そう言われてみれば、仕事からの帰り道、川べりの堤防の向こうの、うすら雲のかかった月を眺めたり、カメラを構えている人とすれ違って、僕もそちらに視線を投げて、今日の月はよっぽど綺麗で、それでみんなが眺めるのだ、珍しいこともあるものだと思っていたけれど、今日、同じ道を通ったのに、ほとんど欠けていない、同じように美しい月を眺める人は誰もなかった。
 もう一年が過ぎる。君が僕の家に来た時は、まだ2ヶ月か3ヶ月くらいだと先生は言っていた、それがお盆の頃で、君はそれから1ヶ月と少しした9月26日の日に死んでしまった。君が眠っていたベットは涙でびしょびしょになっていて、君はほとんど動けなかった。そんな今際の際の君を母は膝の上に抱いて、ずっと泣いていて、僕も父も兄もそれを見守っていた。とうとうという時、君は三度、部屋中に響くような大きな声で鳴いた。それから叫んだような顔のまま、動かなくなってしまった。綺麗なピンク色だった鼻や手はみるみるうちに血の気を失って、淡い黄色に染まっていった。母は泣きながら見開かれた君の瞼を下ろして、君を再びベッドの上に横たえた。動かなくなった君を、心配そうにというよりも不思議そうに福ちゃんが覗き込んでいた。
 君が僕の家に来た頃、それはお盆の時期で、君が3ヶ月だとすると、君がこの世界にやってきたのは6月の半ばということになって、じゃあ君は夏しか知らなかったんだということに今気づいて、なんだかとても寂しくなった。たった4ヶ月だ。そのうちの1ヶ月と少しだけを僕達と一緒に過ごした。君はあの暑い日に、僕の家のテラスでぐったりと伸びていた。そんな君を心配して、母が家の中に入れてあげて、その日のうちに病院に一緒に行った。緊張した君は注射を打たせてくれなかったから、ちゃんとした検査ができなかった。もっと僕たちに慣れてからまた連れてきてくださいとお医者さんは言った。思えばあの時にはもう君は病気にかかっていたのかもしれない。君を胸に抱くと、すごく熱かった。福ちゃんよりもずっとずっと熱かった。体温を測ったら40℃を超えていて、夏風邪だろうとその時は思っていたけれど、とうとうその熱が下がることはなかった。
 君は今、僕の家の奥にある山の中で眠っている。君は一生の多くの時間をそこで過ごしたのだから、その方がいいだろうとみんなで決めた。翌朝、氷を入れた発泡スチロール容器の中にいる君とスコップと、手向けの花束と紫陽花の枝を持って父と母と僕と兄、それに駆けつけてくれた祖父母と一緒に山道を進んだ。早朝の静かな山道、昔の街道の入り口のあたりに、大きな糸杉の木があってそこに君を埋葬することにした。ちゃんと君がいることがわかるように。太く張った根にぶつからないように、少し脇に穴を掘ってそこに君を横たえた。体の周りに色とりどりの花を飾って、みんな手を合わせた。信心深い祖父母は題目を唱えてくれた。最後のお別れを言うと、少しずつ土を被せていき、君が眠る土の上に近くにあった大きな石を、猪に荒されて君が静かに眠れないといけないから、重たいかもしれないけど被せた。またその上に土を被せて平らに慣らして、一番上に小さな石を乗せた。傍には紫陽花の枝を植えた。
 君は短い時間、ほんの短い時間だけど、最後の期間に僕たちと暮らせて、幸せだったかな。何もしてあげられなかったけれど、幸せであったらいいな。あの日、ずっと一緒にいてあげられなくてごめんね。寂しかったろうに、ずっと僕たちを待っていてくれてありがとう。
 僕はあの家にいる間、毎日のように君の元に通った。15分くらいの道のり。僕はあの後家を出たから、今ではなかなか行くことができないけれど、それでも僕は君のことを忘れているわけじゃないんだ。町で白と黒の猫を見かけるたびに、生きていたかもしれない君のことを思い描くんだ。ちょうどあの頃の君のように小さかった子が、ずいぶん立派になって散歩しているのをたまに見かける。よく見れば君みたいにハチワレじゃなくて鼻のあたりまで黒いし、口元にもぶちがあるけれど、それでもやっぱり君のことを思い出す。君があのくらい大きくなって、来たばかりの頃のように福ちゃんとじゃれあっている君の姿。
 君が病気だと母から知らされた時、僕はとても悲しくなって、君とどう接すればいいのかわからなかった。その時は長い夏休みの終わり頃、一旦対面の授業が無くなった大学近くのアパートに戻って、引き払う準備をしていた頃だった。そばにいられない僕には君が元気でいてくれるよう祈ることしかできなかった。そして実家へと戻る日、父と母と兄が来てくれて、業者には頼まずレンタカーに荷物を詰めて家に帰るともう夜遅くだった。そして君が死んでしまったのも、その日だった。
 もしかしたら僕が君のところに通い続けたのは、罪悪感だったのかもしれない。最後の最後に一人で辛さに耐え続ける君を思うと今でも泣きたくなってしまう。それに君が苦しんでいる時、僕は何もできなかった。僕はひたすら山道を抜けて糸杉の傍の小さな石の前で手を合わせる。それからの僕は本当に毎日のようにずっとそれを繰り返していた。
 それは冬の日だった。時間は15時ごろで、もう大分陽は傾きだしていて、暖色に近づいていた。この季節、時間になると冷たい風が吹き付け、僕は前を止めたコートのポケットに手をねじ込んで歩いていた。別荘が一建あるだけであとは左手の急斜面、右手の林に挟まれた、車一台が通れるくらいの狭い砂利道を進んだ。もう少しであの糸杉の街道への入り口が見えて来る。その時、ばちーんという大きな音が林の中から聞こえてきた。咄嗟にそちらを向くと、木の前に立派な角のある雄鹿がいた。背後の木々から漏れる柔らかい光の効果で、超然として見えるその鹿と目が合い、一瞬、風が止み、ほんとうに時間が停止した。それから雄鹿は林の奥に駆けていった。そっちには糸杉がある。僕はなぜかわからないけれど、あれはニコちゃん、君だと思った。他愛もない妄想かもしれないけど、僕はそれに満足した。

 あれからもう一年になる。僕はついこの間、横尾さんの展覧会に行ってきた。Y字路のシリーズくらいは知っているけれど、どう言う経歴でどう言うものを書く人なのか表面的にしか知らなかった。けれど横尾さん自身がこれが最後の展覧会かもしれないと言っていたものだから、行くしかないと思い行った。ブラブラと色々考えながら見て回った。あまりに分析的に見すぎていたかもしれない。でもそう言う見方をしないと意味がない絵だとは思った。ただどうしても心揺さぶられる場所があった。3FのY字路のコーナーを抜けた、廊下のような小さな展示スペース。<タマへのレクイエム>。壁一面に横尾さんの亡くなったタマちゃんのおびただしい数の絵が飾られていた。横尾さんはタマちゃんが亡くなったあと、ずっとタマちゃんのことを描き続けたのだ!ベッドの上に座るタマちゃん、段ボールの中のタマちゃん、ガラス戸をよじ登るタマちゃん、子猫と一緒のタマちゃん、横尾さんに抱かれたタマちゃん、草の上のタマちゃん、丸くなったタマちゃん、窓辺のタマちゃん、指を綺麗にするタマちゃん。何度も何度も反復しながら描いた、その時間の蓄積が、全体として、一挙に僕の網膜の中に飛び込んできた。僕は思わず泣き出しそうになった。これを愛と呼ばずになんと呼ぼう。僕はなんだか、君の元に通い続けたあの日々が、全体として肯定された気がした。僕はこうして君のことを思い浮かべながら、君のことを書いているよ、ニコちゃん。また、会いに行くよ。僕は君を愛しているんだ。

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