河村たかし4月22日発言の問題点
概要
2024年4月22日、河村たかし現名古屋市長が「なごや平和の日」の条例制定の意義を定例記者会見で問われた際、「祖国のために命を捨てるのは高度な道徳的行為だ」と発言したと朝日新聞により報道された。
河村市長は会見終了後、「(命は)捨てない方がよい。誤解してもらってはいけない。『捨てよ』とあおっているわけではないが、残念ながら戦争は起こる」と釈明した。
「なごや平和の日」は、2014年、私立東邦高校の生徒会が市に要望を出す形で、10年の歳月をかけ条例制定を実現したものである。
5月14日と決まった「なごや平和の日」は、1945年、当時国宝であった名古屋城天守が米軍による空襲で消失した日である。
動画内関連発言
なごや平和の日について
23分49秒〜32分44秒
中日新聞の記者による質問
42分16秒〜48分09秒
(問題となった当該発言は46分58秒〜)
朝日新聞の記者による質問
56分56秒〜1時間21秒
市長による釈明
1時間4分17秒〜1時間4分40秒
問題の論点
名古屋市長の地位
名古屋市長は、名古屋市の首長であり、地方自治法に法的根拠を持つ、地方公務員法の規則を受けない特別職地方公務員である。
名古屋市はその人口が232.2万人を超える日本国でも3番目に人口が多い都市で、政令指定都市(地方自治法第252条の19第1項の指定都市の指定に関する政令に法的根拠を持つ、人口50万人以上の都市)に指定されており、また、近隣市町村の圏域全体の経済、住民生活を支える拠点となる都市である中枢中核都市に指定されている。
このことは、名古屋市行政の長である名古屋市長の発言が、愛知県内や周辺地域のみならず、日本国内においても多大な影響力を与えるものであることを意味する。
現に、河村市長主導で行われた2020年の愛知県知事リコール署名の呼びかけや、2023年、減税日本と日本保守党との連携を独断で決めたことは、日本全国から様々な反響を呼んだことで記憶に新しい。
日本国憲法尊重義務
名古屋市長は日本国憲法第99条における憲法擁護義務のある「その他の公務員」に含まれると考えるのが妥当である。
また、日本国憲法全文は平和的生存権を規定し、第9条においては戦争放棄を規定している。
よって、戦争賛美発言および、日本国憲法第9条は米軍占領下でつくられたので現在とは状況が異なるとの旨の発言は著しく憲法を軽んじる発言ではないかと思われる。
追記:団体自治原則からの逸脱
地方自治を考える上で団体自治という原則がある。
団体自治は、地方自治体が国の下部組織ではなく、行政が、中央政府から地方政府に委ねられ、自治が保障されるというものである。
河村発言は国家が命ずる戦争を肯定し、賛美している点で、この団体自治を飛び越え、国家の目線から道理を説いていると言える。
名古屋市という一地方行政府の長である以上、このことは国家の必要とする価値観を一方的に説き、憲法という観点で見た時に、政府の現在進行系で犯している戦争体制の構築という誤りを追認することとして捉えられる。
市長たる者は地方に住む市民の平和という観点から戦争体制構築に断固として突っぱねねばならないと思う次第である。
非対称な暴力行使と象徴的暴力
河村市長は名古屋市の首長という地位にある権力者である。
権力者という地位から発せられる、戦争を崇高な道徳とする旨の発言はヒエラルキーの上位による下位の者への価値観の押し付けではないか。
また、権力者というだけでなく、年齢という点からも、安全圏にありながら祖国防衛戦争を肯定する見解を述べていることも、非対称な暴力行使をしているではないかと思われる。
「祖国」という語の曖昧性
「祖国」という言葉を聞いて、何を思い浮かべるであろうか?
一口に国といってもそれが国体を指すのか、国民の集合体を指すのか、はたまた政府を指すのか、郷土を指すのか曖昧である。
国とはそのイメージによっていかようにも捉えられる概念である。
このような概念を為政者が使用することは、聞き手に混乱をもたらすという点で問題があると言える。
戦争は起こるものか
戦争は自然災害とは異なるものである。
戦争は、外交の破綻の結果であるとの見解を引くまでもなく、政治の結果によって引き起こされるものであり、かつ、資本主義社会の経済活動の膨張によっても引き起こされるものである。
戦争は起こるものとの考えは、地方行政機関の長としては甚だ無責任なものではないかと思われる。
追記:補償と戦争賛美の同期
河村市長の発言は、なごや平和の日制定にあたって空襲で亡くなった方や、生き残りはしたものの住む場所を失ったような人に対しては思いを馳せている点では単なる戦前回帰を良しとするところのものでない。
これと同時に軍人による祖国防衛は崇高な道徳しているところの意味はは祖国防衛と補償をセットにしているところである。
確かに補償と防衛とを別々のものと、両立して捉える議論はあるが、これは戦争被害・戦争加害への軽視に他ならないのではないか。
結語
以上、河村市長の発言の問題点をいくつか紹介してきた。
しかしながら、戦争体制が着々と構築される中で河村市長の発言を肯定する者も決して少ないくないものと思われる。
ゆえに、河村市長はこのような発言をしたのであろう。
だからこそ、名古屋に住むの護憲派や平和主義者は断固としてこのような発言を許してはならない。
地方自治がないがしろにされるなかで、地方自治を復権させるためにも今回の発言を問題視していくべきと考える。
2024年4月25日
平和市民戦線代表 ひのまえ炉前
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