なんとなく思うこと。
やさぐれた見方かもしれないけど、
学生の頃は希望があった。
自分の足でいろいろなところへ行き、
自分がなにを好きで、なにに心が揺さぶられるのか。
細かいけど、これのこういうところが好き!
というこだわりや、自分なりの考えを持った。
自分らしさや生き方、自分の言葉を持つことについて模索した。
きっと、社会に出てから実る、という期待を持って。
でも、それは違かった。
大人になってからの方が、信じられないほど人の気持ちが分からず、
平気で傷つけられる人がいて、程度の低い意地悪をしてくる人がいる。
自分の考えを持ったり、目標を持ったりしていることを、
鼻で笑い、応援しているように振る舞って、笑いものにする。
そしてそれは、たしかに、どこにも届かず、ないものと同じような感覚にされる。
そして気づかされる。
君の意見なんて聞いてないよ?言われた通りに言われたことだけ確実にやってね、何時間でも。
ということを求められていることに。
それがおかしいと行動を起こせば、変わり者のめんどくさい人、劣等生として見られる。
悪口の対象になり、誰も本当はおかしいと気づきながらも、流されることを選ぶ。
意地悪になって、自分を守る。
自分に力がないからだろと、思う人もいると思うし、
実際にそうかもしれない。
だけど、大人の世界は、こんなもんである。
自分の考えや言葉を社会に出るまでに、強く求められ、
社会に出てからは、その考えを押し殺していないといけない。
何にをするにもつまらないし感動しない。
きっと今、あの頃のような希望が必要なのかもしれない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?