多分しばらく恋愛が分からない
「恋愛に興味ないなら何に興味があるの?」
と聞かれる事がたまにあります。…が、なぜ恋愛かそれ以外か、みたいな話になってしまうのかが本当によく分かりません。
このご時世という事もあり、人と会話する事が減ったので必然的にこれに類する話を振られて困る事も減りました。
しかし、この恋愛というのは人類の必修科目か何かでしょうか。これを通らないと「人類」という学位が得られないのでしょうか。それなら単位いりません、学位いりません。
以前書いた、恋愛感情がわからないけど、それでも愛で溢れた毎日だからという記事の中でも少しだけ触れていますが、
自分の心は乾き切っているのではないか?などの葛藤を乗り越え、現在は自称「愛に溢れまくり人間」として生きています。…そう思いたいからそう自称している側面も否定できませんが。
4年くらい前に占いでも言われた事があります。「あなたは人一倍愛情があるのに表に全く出てこない」と。
愛情の出し方が単にわからないだけの話かもしれないなと、思ったりもします。
愛が何なのかなんて誰にもわからないし、固形物で手で触って確かめられるものではない限り、愛の定義はきっとそれぞれが生きる中で作るものだと思っています。
定義というと、言葉で表現できなければならないと思ってしまうのですが、言語化できる感情ってどうなの…?なんでも言語化しなければならない、なんてことはないのではないかと思うのです。
愛する人には、その人の思う生き方をして幸せになって欲しいと願っている
私にとっての幸せが、私以外の人にとっても同じように幸せだなんて微塵も思っていません。幸せの形は人の数だけあると考えているので。
とにかく、愛する人に対して「あなたには幸せになってほしい」といつもそう願っています。
だから、たまにされる人生相談の大半は「心の底から幸せだと思うならそうすればいいし、幸せより辛い気持ちが沢山来てしまうなら考え直したほうがいい」と答えます。
嬉しい事があったら私も嬉しくなってしまうし、悲しい事があったら私も悲しくなってしまう。だからなのかな?と思ったりします。
きっとそういう気持ちって私にとっての愛の現れなのかなと思います。
幸せの形が人の数だけあるように、愛の形も人の数だけあったっていいじゃん!
私にとっての愛する人って、きっと「幸せになって欲しい人」なのかもしれません。
こういう結論にすると、どうしても恋愛とは違うベクトルの話になってしまうので愛のお話って難しいですね。
まだまだ私の愛は恋には繋がらないなと考えてしまったそんな朝でした。
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