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【ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ】のミニ・バイオグラフィー 『世界の偉人は名探偵』より   

推理クイズ本『世界の偉人は名探偵』〈1978年版〉の[P.169-170]より引用。
ミニ・バイオグラフィーは著者が各種の伝記本を読み込み簡略化したもの。「生没年」の漢数字の部分だけ、実感しやすい?アラビア数字に変更済み。


《〈炎の画家〉 ゴッホ(オランダ 1853-1890)

_わがまま者の多い芸術家のなかでも、ゴッホほど、妥協を知らない強情なエゴイストはいない。_牧師の家に生まれたが、気性のはげしいカンシャク持ちだったので、美術商や本屋に勤めても長つづきがしない。信仰心にかられて、炭鉱町で伝道奉仕をしたこともあるが、ここでも狂気じみた奉仕がわざわいしてクビになった。_画家を志したのは、意外におそく、二七歳のときである。それから死ぬまでの約一〇年間、売れない絵を描きつづけた。まったく生活力がない――というより、自分で稼ごうともせず、画商だった弟のスネをかじった。そのくせ、一人よがりな同情心から、子連れの売春婦と同棲したりして、みじめな失敗をくり返した。「いい年をして、なにを考えているんだ。勝手にするがいい」画塾の教師は、画用紙が破れるほど塗りたくるゴッホの狂気じみた創作ぶりにあきれてサジを投げた。_なまぬるいアカデミックな画風に満足できない彼は、偶然手に入れた日本の浮世絵に感動し、その明るい色彩と陽光を求めて、南フランスに移った。_画家ゴーガンを呼んで共同生活をはじめたが、強烈な個性の二人がいっしょに暮らしてうまくいくはずがない。大げんかのあげく、ゴッホは自分の耳をカミソリで切り落とし、精神病院に収容された。そして、発狂の末、ピストル自殺をとげた。_一〇〇〇余点の油絵とデッサンを残したが、生前に売れたのは、たった一点、それも自殺する五か月前のことである。この四〇〇フランが、天才画家ゴッホの全収入だった。_現在では、彼の絵が一点でも競売にだされると、世界じゅうの美術館や収集家が天井知らずの値をつけて入札する騒ぎである。まさしくビンセント(勝利者)という彼の名前にふさわしい、死後の栄光である。_絵のほかにも、たくさんの手紙を書いているが、その大半は弟への無心状と、その言いわけのための絵画論が述べてある。_なぜか天才には、生まれつき、偏頭痛の持ち主が多い。蒸気機関の発明者ワットがそうだし、ゴッホも、その代表である。_あなたのオツムはいかが? ぜんぜん痛くない? それはお気の毒さま。》


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波乱万丈な生涯は、コリン・ウィルソン著『アウトサイダー』でも大きな扱いで書かれている。絵に描いたような破滅型の芸術家」に感銘を受けた。


私は未見ですが彼の人生をモデルにした↓「伝記映画」も何本かある模様。


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