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「シャーロック・ホームズ」の作者【アーサー・コナン・ドイル】のミニ・バイオグラフィーと『雨の午後の降霊祭』

推理クイズ本『世界の偉人は名探偵』〈1987年版〉の[P.107-108]より引用。ミニ・バイオグラフィーは著者が各種の伝記本を読み込み簡略化したもの。「生没年」の漢数字の部分だけ、実感しやすい?アラビア数字に変更済み。


《〈名探偵の生みの親〉 コナン・ドイル(イギリス 1859-1930)

_小説の主人公で、世界じゅうに、その名をいちばん知られているのは、おそらく名探偵シャーロック・ホームズであろう。探偵の代名詞として、どんな子どもでも知っている。_作者ドイルは苦学して医師の資格を取り、開業したものの、さっぱり患者がこず、税務署から同情されるほど貧乏だった。手紙を書いても、切手代がなくて出せなかったという。_そこで、ありあまった時間を利用して、なんとか金を稼ごうと思って書いたのが、名探偵ホームズ物語の第一作『緋色(ひいろ)の研究』である。二七歳のときだった。_ホームズ物語は、全部で長編が四、短編が五六ある。たいした量ではないが、世界各国で翻訳された点数では、聖書をしのぐほどひろく愛読された。_不朽の名作として、たいへん効率のいい創作だったわけだ。ところが、ドイル自身は、むしろ歴史小説のほうに力を入れていて、探偵作家と呼ばれるより、歴史作家として認めてもらいたかった。_晩年は、第一次大戦で息子を失ったショックから、交霊術の研究に熱中した。息子の霊魂と対話したいというのが、その動機だった。そこで心霊術の本を書いて、世界各地を講演してまわった。「いま、わたしが努力している運動(交霊研究)こそは、世界史二〇〇〇年のうちで、もっとも重要なものだと理解される日がくるだろう」と、自伝のなかで予言している。_世間の冷たい嘲笑にもくじけず、霊魂と霊能現象を信じて、ドン・キホーテのごとく心霊術の普及に打ちこんだのである。医者であり、また合理的な科学探偵の名探偵ホームズの生みの親とは、とうてい想像もつかない姿である。_ドイルにかぎらず、功なり名をとげた偉人の晩年は、とかく常軌をはずれた行動を取るものだ。偉人の余生ほど、伝記作家のペンをとまどわせるものはない。》



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地味な△佳作『雨の午後の降霊祭』(1964/英)で男児の名前が「アーサー」なのは、晩年に降霊術にのめり込んだ「アーサー・コナン・ドイル」を意識してるのかなと妄想したが、多分無関係だろう。ミステリーというよりは、〈犯罪サスペンス〉×〈物悲しい夫婦の人間ドラマ〉の「児童誘拐」もの。

https://rental.geo-online.co.jp/detail-179427.html



オリジナル予告篇  
※白黒映画


海外の評価


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