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ラグビー日本代表vsライオンズの舞台《スコットランド》関連の本を探す③〜チェコ🇨🇿の巨匠スコットランドを語る〜

1.チェコの文化人、スコットランドを旅する。

カレル・チャペック

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48歳という若さでこの世を去っている。

彼がイングランド、スコットランド、アイルランドを旅したのは1924年。この前年に初めて書いた戯曲が大ヒット、ロンドンの国際ペンクラブ大会に招待されたことでこの旅行は実現した。ロンドン郊外、ウェンブリーで開催されていた『大英博覧会』取材も兼ねていた。

ちょうど日本では大正から昭和に変わる節目の時代、ということになる。

ジャーナリストにして作家だった彼の描写するスコットランドは、実にリアルな現地の雰囲気を伝えてくれる。

スコットランドの地図。エジンバラ、グラスゴーのある南部をローランド、北部をハイランドというらしい。

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彼はイングランド旅行を終えて、まず首都エジンバラに入った。彼の見た当時のエジンバラは、

確かにこの街は美しく、石造で、神秘的である。

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しかしこの後こう続く。

街中の通りにいる汚れた子供たち、これもイングランドに見られない。鍛冶屋、指物師、それに、あらゆる種類のおっさん達。これもイングランドにはいない。(略)この地までくると、ナポリや我が国にいるような人たちが、また現れはじめるのだ。

イングランドが経済発展を続ける中で、スコットランドがその繁栄から取り残されている状況が伝わってくる。ここでいう『我が国』とは彼の祖国チェコを指す。

彼は、『エジンバラ以外世界中どこにもない』と評して、現地の古い家並みを書き記している。

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そしてエジンバラの感想をこう綴る。

イングランド地方とは異なる国と、異なる人々。ここは一地方にすぎないが、記念碑に満ちている。より貧しい土地だが、生き生きとしている。人々は一般にブルネットでごついタイプだが、南に下ったイングランドよりもきれいな娘たち、かわいいはなたらしの子供たちがいて、厳格なカルヴァン主義にもかかわらずのびやかな男らしい生活がある。誓って言うが、ここは大いに気に入った。

古い街並みと、素朴で心温かい人々。

チャペックの見たスコットランドは、ある種郷愁に近いものだったのか。

スコットランドは日照時間が短いから、自然と色白になる。イングランドより美人度が高いかについては彼の主観ではあるが。

2.さらに北へ

チャペックは、エジンバラから北へ向かう。インヴァネス、さらにマレイグからスカイ島へ。

荒涼とした大地が続く。

神よ、このように悲しげで恐ろしい地域がこの世にあろうとは。どこまでいっても裸の山ばかり、ただますます高くますます恐ろしくなっていく。

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毛深いスコットランドの牡牛が草を食んで、雨の中をたたずんでいたり、濡れた大地に寝そべったりしている。

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この限りなき悲哀を、人びとのあいだに帰る前に飲み干せ、孤独をはらんでふくれあがれ、満たされざる魂よ。汝はこの荒廃より大いなるものを見たことがなかったのだから。

この描写、決して大袈裟ではない。私が行った20年前もまさに郊外はこんな感じだった。写真はその当時のもの。

寂寥、とでもいうのか。

日本でいえば、

村雨の 露もまだ干ぬ槙の葉に 霧立ち上る 秋の夕暮 (新古今和歌集 寂蓮法師)

の雰囲気に近かった。人の存在を圧するような静けさが大地を覆い尽くす、都市を離れるとそんな風景が続く。スカイ島行きの船が出るマレイグの港では、目の前に広がる海が荒々しく波音を立てるばかりだった。

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チャペックは、旅の最後にスコットランド随一の工業都市グラスゴーに立ち寄っている。まだ『公害』などという概念もない頃、相当雑然としていたようだ。

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つまり生活、言ってみれば、これらの大きく強力なもろもろの物によって支えられる生活は、少しも美しくなく、絵のようでもない。

チャペックは、都市→郊外→都市と巡ってこの旅を終えている。彼の心に湧いた感情がそのまま約100年後の私達にも通じる事に、なんとも複雑な思いが込み上げてくる。

ここで旅行記を終わらせたくなかったのだろうか。なぜか無理やりイングランド北部の湖水地方の美しさに触れてこのシリーズを終えている。

読み終えると、ジワジワと優しい気持ちに満たされた。美しい世界もそうでない世界も情感豊かに、そして嘘のない言葉で紡ぎ出す文章は100年近く経った今も、生き生きとスコットランドの息遣いを伝えてくれる。

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