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グレード・ギャツビー(村上春樹訳)を読んでみた🌟🌟

1.2度目の挑戦

『華麗なるギャッツビー』

若い頃読んだ時はこんなタイトルだった。

【登場人物はみんなクズ😨😨】

当時はそんな感想しか持てなかった。

面白い、と感じた記憶もないが、つまらないとも思わなかった。とはいえ、ストーリー自体は全く覚えていなかった💦

今回改めて読む気になった理由は単純だ。

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宝塚、しかも今や劇団屈指の実力派が揃う月組での上演が発表されていた。私は先日宝塚友の会抽選でなんとか一枚チケットを確保したのだ。

予習しなければ🔥🔥

『世界の古典名作』は、文庫なら岩波か新潮と相場が決まっている。歳も歳なので『字の大きめ』な新潮を選んだ。

たしかに、原作に忠実なのだろう。その言葉の一つ一つは実に繊細で美しい🌟🌟🌟

しかし❗️原作者スコット・フィッツジェラルドはとにかく一文一文の言い回しが長いのだ😨😨文末に来た頃には、主語がなんだったのか分からなくなり、結局文頭に戻ることになる。

これを無限に繰り返しながらラストまで読み切ったが、ストーリーを味わう以前に文章を追うことに疲れてしまった。

結論 ギャツビーのどこがグレートなの⁉️

しかし、読後振り返ると、登場人物の心の変容ぶりはなんとなく理解できてきた。

これは、別の翻訳で読んだらもう少し理解できるのではないか⁉️

そこで思い出したのはあの巨匠【村上春樹】の翻訳だった。

コロナ禍前、彼の『リッツホテルより大きなダイヤモンド』なる謎めいたタイトルの短編を宝塚宙組が上演した。観劇は無理だがせめて原作だけでも、と買った本が村上春樹の翻訳だったのだ。

買って初めて知ったのだが、村上春樹はこの小説を翻訳することが、念願を超えもはや『宿願』だったらしい😳😳😳

そこまで熱の入った翻訳なら楽しく読めるはず❗️

ちなみに、私は村上作品を一つも読んだことはない。

2、キーワードは『格差』⁉️

 この小説の語り手『ニック』は、アメリカ中西部の『そこそこ上流階級』の出身だろう。何不自由ない生活、名門イェール大学に進学し親族の勧めでニューヨークの証券会社に就職するが、働かなければ食べていけない、という境遇でもないらしい。

とはいえ、物価の高いニューヨーク、『ウエスト・エッグ』なる『中の上』的地域に小さな家を借りた。その隣に驚く程の豪邸があり、その家主がギャツビーと名乗る男だった。

語り手 ニック

謎めいた男ギャツビー。

ニックの大学時代の友人トム

トムの妻で、ニックの遠縁にあたるデイジー

デイジーの女友達でプロゴルファーのジョーダン

トムの愛人 マートル 

彼らをめぐるこの物語は、救いようのない、ある種やるせない悲劇で終わるが、その悲劇の根本は、

アメリカの階級格差

ここに尽きる気がした。

超上流階級のトムとデイジーは、湯水の如くお金を使い、酒とタバコ、恋の遊びに溺れているが、『社会的体面を守る』ことに関しては、驚くほど頑なだ。

トムはマートルと付き合いながら、離婚する気などさらさらない。本気で愛したところで、『そこまで』なのだ。

そんな夫に不満を持ちつつ自らも遊びにうつつを抜かすデイジーだが、5年前に出会い、束の間の愛を育んだ青年将校ギャツビーと再会する。

しかし、、ハッピー🎉とはいかない🥲🥲🥲

ギャツビーは、戦地に赴くため別れた後も一途にデイジーを思い続けていた。今の感覚でいえば、ほぼストーカー的執着で😨😨

貧しい階層出身の彼が、初めて出会った『良家の子女』。彼女自身、そして、それ以上に彼女を取り巻く『環境』に恋してしまったらしい。

とりあえず、かなりヤバめな仕事に複数手を出し成功🔥🔥、お金に不自由しなくなったギャッツビーは、満を持してデイジーの前に現れた🔥🔥

詳細は省くが、その『満の持し方』が尋常ではなく怖いくらいだ😨😨

彼は、デイジーに夢を見すぎていた😳😳😳もはや彼の思い描くデイジーは現実の彼女とはかけ離れていたのに🥲🥲

たしかに、デイジーも彼を忘れてはいなかった。ただし、『昔の恋人』として、ではあるが。

あの頃の思い出に浸りながら、しばし『ときめき』を満喫できればそれでよかったのだ、おそらくは。

まして、トムと離婚してギャツビーと再婚するなんて論外だった。彼とあって間もなく、2人は『お互いの育ちの違い』をまざまざと見せつけ合ってしまった。尚更そんな気が起きる訳もない🥲🥲、

トムとマートルの関係も同じようなものだった。さびれた自動車修理販売所の夫と暮らすマートルは、どうも実家はそこそこ裕福らしい。とはいえ、トムにとっては結婚の対象ではもちろんない💦💦

さて、複数の愛がもつれあうその結末は、、

3.ラストが意味するもの

この物語のラストは、若干作り込みすぎていて少々納得がいかない💦

些細なやり取りから、ギャツビーの車にデイジーが乗り込んでしまい、そのまま『2人』で出発してしまった。その途中、『彼の車』はひき逃げ事故を起こしてしまう。

ひき逃げによる交通事故死、被害者はマートルだった。マートルの不貞に薄々感づいていた夫は拳銃を持ちトムの屋敷へ。

事故を起こした車はギャツビーの所有、しかし運転していたのはデイジーだった❗️
問い詰められたトムはこの『真実』を隠した。はっきりと書かれてはいないが、犯人はギャツビーだと告げたらしい。当然のことながら、この隠蔽にデイジーも同意したのだろう。

トムの言葉を信じた夫は、屋敷のプールで泳いでいたギャツビーを射殺、自らも自殺する。

ギャツビーは週末ごとに華やかなパーティーを開き、集った人々は彼の出自を怪しみながらも享楽的な一夜を過ごしていた。しかし、ニックの呼びかけも虚しく、彼の葬儀には誰一人やってこなかった。

トムとデイジーは、この事件が発覚した直後、荷物をまとめて長い旅行に出てしまい、弔電一つ寄越さなかった。これが、この物語に登場した『全ての愛』の結末だった。

金、階級、世間体、

人と人を繋ぎ、時に断絶させる現実をまざまざと見せつけてこの物語は終わる。

語り手ニックは、最後までギャツビーに寄り添った唯一の人間だった。彼だけが、かろうじて人としての誠意を持っていたことで、なんとか救われた気持ちになる、そんな結末だった。

とはいえ、疑問は残る。

ギャツビーのどこが『グレート』だったのか⁉️

5年前に愛した女、その女が自ら抱いていた夢とは程遠い女だと気づいた後も、彼女に殉じようとしたところか⁉️

あるいは、

ヤバい仕事に足は突っ込んでいるが、彼はニックやデイジーばかりでなく、トムにも不誠実なマネはしなかった。馬鹿馬鹿しいほど正攻法でデイジーを手に入れようとした。

その純真無垢すぎる誠実さ、それが当時のアメリカ世相の中では稀有な存在、だから、グレートだったのか。

トムとデイジーは確かにクズな奴らだが、私達が彼らとは別人種だ、と断言できる自信はない。持っているお金の額以外は。

この本は、『古きアメリカのボンボンとお嬢様の狂瀾』を描いた様で、実は今を生きる我々の心の内面をえぐっている、そんな気もする。

読後感は重いようで、なぜか清涼感がある。ストーリーに爽やかさなんて微塵もないのに😳

ギャツビーやニックの誠実さにやはり心打たれているのか。いや、他の登場人物にも悪人はいない、情けないほど軽薄ではあるが。

もちろん、村上春樹渾身の翻訳だけあって、原文の美しさは、より簡潔に、かつ情感豊かに表現されている。

『カーテンはまるで白っぽい旗のように、砂糖をまぶしたウェディングケーキを思わせる天井めがけて、勢いよくめくれあがっていた。それから風は、海を相手にするときの要領で、ワイン色の敷物にさざ波を立て、陰影を描いていた』(村上春樹訳 グレート・ギャツビー 21〜22ページより引用)

ここを読んだだけで、読者は99%フィッツジェラルドにもハルキにもなれないことを痛感するだろう。
切ないストーリーと共に、こんな美しい文章そのものにも酔える、

グレード・ギャツビーはそんな作品だ🌟🌟

後日、宝塚の舞台を見た。

大分ストーリーは変えられていた。しかし、舞台の幕が降りる時、観客の心はギャツビーの純粋すぎる愛にガッシリと掴まれていた。



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