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【備忘録】ためになる小説家の手法

長編を書くための参考として

村上龍

長編小説は主要人物をデザインし、作品の基礎を構築すると、物語に大きな波のようなものが生まれ、それがガイドの役割を果たしてくれる。逆に短編は、スナップショットのように一瞬を切り取ればいい。だが中編小説は、必要不可欠ないくつかのエピソードをそれぞれ重ね合わせながら、一つの小世界を示せねばならない。

「55歳からのハローライフ」単行本版あとがきより

村上春樹

ー読者を驚かすことは、あなたの作品の強みのひとつだと考えますか?

村上 僕自身驚かされるのがすきですね。小説を書いているとき、次に何が起こるか、角を曲がってみるまでわからない。そういうのはとてもわくわくします。僕は毎朝小説を書いてます。次はどうなるのかと期待しながら、わくわくして、スリルを感じています。自分でも驚かされるのは楽しいですし、もし僕が驚かされるのなら、きっと読者も驚かされるでしょう。僕は何も考え出したりはしないで、ただ何かが起きるのをじっと待っているだけなのです。

「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」より

ーつぎに何が起こるか、書く前には決してわからないんですか?

村上 わかりませんね。僕は即興姓を大事にしますから。もし物語の結末がわかっているなら。わざわざ書くには及びません。僕が知りたいのはまさに。あとにつづくことであり、これから起こる出来事なんですから。

「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」より

ーその二つのファクター、つまりストレートでどんどん読み進めることのできるヴォイスと、奇想天外なプロットとの組み合わせーそれは意図的に選択されたものなのでしょうか?

村上 いや、そういうわけじゃない。本を書き始めるとき、僕の頭の中には何のプランもありません。ただ物語がやってくるのをじっと待ち受けているだけです。それがどのような物語であるのか、そこで何が起ころうとしているのか、僕が意図して選択するようなことはありません。(中略) でも基本的には、僕はとくに何かを決めて小説を書くわけではない。やってくるものをそのまま文章化するだけです。

「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」より


村上龍と村上春樹を比較しましたが村上春樹はこんなふうに語っています。

ー同じムラカミでも、ムラカミ・リュウはあなたとはずいぶん違う方法で小説を書いていますね。

村上 敢えていうなら、僕のスタイルはよりポストモダンに近く、彼のスタイルはよりメインストリームに近いと言えるかも知れない。
(中略)
彼にはナチュラルでパワフルな才能が備わっています。彼の立っている地面のすぐしたには、才能の油田みたいなものが豊かにある。でも僕の場合、その油田はとても深いところにあるので、苦労して掘り下げなくてはなりません。それはとても骨の折れる作業です。そこに着くまでには時間もかかるし。でもいったんそこにたどり着けば、僕は落ち着いて、自信を持って仕事に取り組むことができます。

「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」より

村上龍の手法も村上春樹の手法も物書きにとって〝あるある〟だとは思うのですが、どうして村上春樹の記事にこんなにも紙面を割いてるのかというと私にとってのこの手法はあまりにも馴染みがないためだからです。

「僕は何も考え出したりはしないで、ただ何かが起きるのをじっと待っているだけなのです」

っていったい何?何なんですか?ってな具合です。村上春樹すごいわ…

僕の小説って題が決まらないまま書き始めて、最後まで題をどうしようと悩むタイプと、最初に題があって、この題で小説を書こうというタイプと、両方がある。

「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」より

タイトルから始まる小説ってあると思います。ですが村上春樹の場合タイトルが決まってなければ何も決まってない状態で小説を書き始めることもあるということですよね。私には斬新な手法過ぎます……

そしてタイトルに限ってはこんな記述も

僕は三題噺とか好きなんです。「お題」を三つもらって、それで話を作ったりするのが。

「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」より

ぜひ、たらはかに先生の【毎週ショートショートnote】に参加していただきたいと切に願います。逆に【毎週ショートショートnote】のお題をこなしていけば村上春樹に一歩でも近づくことができるかもしれません。


そしてテクニカルなものも。こういったものは形から入りやすくてマネしやすいです。

長編小説を書く場合、一日に四百字詰原稿用紙にして、十枚見当で原稿を書いていくことをルールとしています。僕のマックの画面でいうと、だいたい二画面半ということになりますが、昔からの習慣で四百字詰めで計算します。もっと書きたくても十枚くらいでやめておくし、今日は今ひとつ乗らないなと思っても、なんとかがんばって十枚は書きます。なぜなら長い仕事をするときには、規則性が大切な意味を持ってくるからです。書けるときは勢いでたくさん書いちゃう、書けないときは休むというのでは、規則性は生まれません。だからタイムカードを押すみたいに、一日ほぼきっかり十枚書きます。

「職業としての小説家」より


若い時はとにかく村上龍に心酔しておりました。好きな作品に「コインロッカーベイビーズ」を上げる人が多いですが私は「愛と幻想のファシズム」です。ここに書かれているたった一行で人生観が変わってしまいました!よく雷に打たれたよう…という表現がありますがまさにそんな衝撃でした。

「え~村上龍で人生観変わるなんて!」とバカにされましたが「うっせえっつーの!」とにかく新刊がでるとすぐに購入してました。


村上春樹は私にとっては不思議な作家です。好きか嫌いかと問われればそのどちらでもなくニュートラルです。新作が出ても数年はほったらかしておいて世間で騒がれなくなった頃にようやく読むというスタンスです。

そうしてようやく読み始めると今度は10頁ぐらいはイライラのし通しです。「このオレに付いてこられるかな?」と問われてるような気がしてすぐにでも本を閉じて壁に投げつけたくなる!そんな不快感をいつも感じます。たぶん読み始めは独特の世界観に慣れていないせいだからでしょう。

そしてその段階を過ぎると俄然面白くなりかなり長い作品でも最後まで一気読み…村上春樹というと必ずこのパターンになります。

印象に残っている一冊を挙げろといえば「海辺のカフカ」です。

このあたりの事情をうまく表現してる文章を見つけました。

最後に、村上春樹的作家になるには、ずばり〝偏狭な〟人間になる努力をすることです。日常の、どうでもいいようなことに自分のスタイルを作ってみたり、文体に限らずいろいろな部分で自分のスタイルを作り上げる努力をしてみると良いでしょう。

「たとえば純文学はこんなふうにして書く」より


このnoteでもこういった村上春樹のような書き方をしている方も多いと思います。

だけといかんせん私にとっては斬新過ぎるので、さっそく明日からでも試してみたい手法だと思いました。









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