尊厳死、安楽死制度実現に必要なもの

事故等で身体が動かなくなってしまった時、搬送先の病院によっては、家族等を集め、鎮静剤などを使って安らかな最後を迎えさせてくれる場合もある。
また、搬送先の病院によっては、人工呼吸器、ペースメーカー、胃ろう、あらゆる手段を使って命をつなぎとめ、何十年もベッドの上で苦しみ続けることになる場合もある。
場合によっては、家族にその判断を委ねられることになる。どちらを選択しても、その判断の責任を負い続けることになる。
苦しみ続ける理由の一つが精神的な苦痛である。親からの介護を受ける場合もある。大切にしていた子供達が、あなたの介護のために自分の人生を犠牲にする場合もある。専門的知識を持ったスタッフによる24時間体制の大変な仕事である。
苦しみ続ける理由のもう一つが肉体的苦痛である。数々の薬剤を試しても取れない痛みは存在する。
そもそも意思表示が出来なければ試すことも出来ない。20年後30年後に回復する可能性は0ではない。

このような状態になった時に、事前指示書によって、延命治療を拒否する権利が日本尊厳死協会や尊厳死議員連盟が成立を目指してきた尊厳死法案である。
一神教が主流である欧米では、宗教と医療の矛盾の中で、少しずつ尊厳死法案が拡がってきた。2000年以降は、安楽死法案も少しずつ拡がってきた。そして2021年も、安楽死制度はオリンピック以上の関心事になっていると聞いている。
一方、日本は唯一尊厳死法案の認められない先進国であり、国民の関心は高まらず、国会内で長年行われてきた尊厳死法案成立の取り組みの先行きは期待できなくなってきた。

私が目指しているのは、意思表示可能であった場合に、本人の意思表示に基づいて安楽死を選択できる権利である。各種アンケート調査の結果によると、国民の7〜8割が安楽死制度に賛成と言われており、この安楽死制度の議論を軸に国民の関心を高めていきたいと考えています。

もともと日本は恥の文化であり、介護を受けるような晩年のあり方を戦後レジームの一つとして受け入れてきた側面があると思う。だからこそ日本人は、世界一の病床数や、膨れ上がる医療費を、ただ無感情に受け入れてきたのではないだろうか。
私達に必要なのは、介護を受けるような晩年のあり方を恥として捉えず、一つの生き方として尊重できる考え方であり、一つの生き方として尊重できるようになって初めて、終末期医療の問題と向き合えるようになると考えている。
現代の日本人が安楽死の選択を尊重できるようになるには、まず生きる選択の尊重が必要になる。

以上は、私の個人的な見解である。日本における安楽死議論の一助になれば幸いである。

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