コロナとAIで労働が必要なくなると考える人達について

AIによって労働が必要なくなると考える人達がいる。本当にそうだろうか?

昔に比べると、すでに多くの仕事が自動化され多くの労働が必要なくなっている。それでも多くの人が仕事を求めて社会のあり方を大きく変革してきた。つまり、現代社会は多くの無駄な労働によって成り立っている。新型コロナウィルスによって多くの人の仕事が奪われた今、改めて現代社会のあり方について考えてみる必要がある。

極端な話だが、AIがすべての仕事をこなしてくれるようになると、必要なのはAIを管理できる高度な技術者だけということになる。

では、その高度な技術者はどのように育てていけば良いのだろうか?

現状では、子供の学力は親の年収次第という結果になっている。代表的な例では、東大生の半数以上の親の年収が950万円を超えていると言われている。

こんな話をすると、年収の高い親は優秀なので、優秀な子供が生まれやすいのだろうと想像する方もいるだろうが、そうではない。親の年収が高いと環境が違うのである。教育にかける金額も違ってくる。

勉強が出来るというのは突然変異みたいなところがあり、いくら環境が良くても、そこそこまでしか行けない子もいれば、鳶が鷹を生むように頭角を表してくる子もいる。現状は、お金のある子の方が良い学校に進学しやすくなっている。この傾向は、特に2000年以降に顕著になっている。

何を言いたいかと言うと、より多くの子どもに、より良い環境を提供できれば、優秀な子を発掘しやすいということだ。

いくらお金をかけても伸びない子は子は伸びない。一方で、どんな環境でも頭角を表せる子はいるが、やはりある程度の環境があった方が才能は芽を出しやすい。であれば、全ての子どもにある程度の環境を提供した上で、期待のできる子に投資をしていく方が効果的である。成長期は人それぞれなので簡単には判断できないが、そういうことになる。

さて、すでに多くの仕事が自動化されており、技術はどんどん高度化している。私達の子供達の教育水準は、これからの社会を支える上で十分なものだろうか?

すでに多くの仕事が自動化可能となり、労働の価値が下がっているのに、私達は働かなければ収入を得ることが出来ない。必死で仕事を確保している。

私達の仕事は、今でも本当に社会にとって必要な仕事なのだろうか?

次世代社会保障を提唱してきた背景は様々だが、その一つが、このような視点からのものだ。

すでに十分な生産能力がある。需要は少ない。みんなで働く必要はない。しかし、みんなで少しずつ社会を改善していくことはできる。

せっかく物余りの豊かな社会になったのに、人を貧困に追い込んで何がしたいのだい?無理やり働かせて何がしたいのだい?社会を良くするとはどういうことかわかるかい?お金のために働くことかい?

当たり前のことが見えなくなっている。このまま多くの国民がお金の為だけに働いていると、子供達に危険な未来を残すことになる。

私が何を見ているか伝わっただろうか?

皆さんの意見が聞きたい。

伝えたいことがある。

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