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卒業、就職、移住、そして24歳になりました。

3月は、節目の月で、環境が変わる人もいるかと思います。

僕もその一人で、特に2022年の弥生はたーくさんのライフイベントがこぞってやってきます。

ちょぴっとだけ長かった大学生活もようやく終わり、4月から新しい生活が始まります。誕生日も迎えました。そんな環境の変化をこのnoteでは書き連ねていこうかと思います。

そして、つらつら書いていたら、思いのほか長くなってしまったので、目次から興味のありそうな項目だけ見ていただけると嬉しいな。
全項目面白いと思うけどねっ!!

「色々めでたいんだけどなんてお祝いの声かければいいのだろう…」
という方のために、メッセージのテンプレを作ったので、ぜひ深く考えずにコピペして僕に送ってみてください。

「お誕生日&卒業&就職おめでとう!お祝いに叙々苑奢るよ!」


大学卒業しました

「24歳で大学卒業なんだ!医学部行ってたの?」

なんて声が聞こえてきそうですが、大学は4年制でした。
マーケティングを学んでいました。
浪人も留年もしていないのですが、入学してから卒業するまで6年間かかってしまいました。

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髪の毛モッサモサで臨んだ大学の入学式。
もっと笑顔の写真なかったんかいな。


高校や大学の友達の大半は、もうすぐ社会人3年目。

友達と飲みに行ったりすると、必然的に話のテーマが仕事になり、「いろんな世界があってみんな頑張ってるんだな〜」と思うこともしばしば。

6年。189,216,000秒。
とても長い年月だ。この時間の尊さを感じるために秒数を一から数えてみたけど、100が限界。無意識でも過ぎていく「時」って怖いですね。

毎秒を噛み締めながら大学生活を送れていたかはわからないけど、振り返ってみると本当に多様な経験ができたかなと思います。

1年目-バイト三昧

大学付属の高校に通っていたので、高校の友達の大半は同じ大学、キャンパスにいました。だから、大学生活に対する不安もそこまでなく、高校の延長線上のような感覚があったなあ。

変わったことといえば、制服がなくなったこと、バイトを始めたこと、授業の時間を自分で決められるようになったこと、新しいコミュニティができたこと、くらい。十分大きな変化か。

品川駅のスタバで働いていました。スタバ店員ぽくない!ってよく言われるけど。
スタバの同期とはとっても仲良しで、頻繁に旅行にいきます。

大学に入学する時点で、在学中に世界一周に行くことを決めていたので、1年目はバイトに明け暮れていました。3つ掛け持ちして、毎日バイト生活。

大学行って、バイトして、家帰って。の繰り返し。サークルや部活に入らない決断をしたので、バイト先が主な所属コミュニティでした。

ブライダルのバイト。写真右下でめちゃくちゃカメラ目線な僕。

もちろんお金を手に入れることも嬉しかったけど、それ以上に「みんなで一緒に価値を創り出す」ことが楽しかったです。サークルとかでそういう経験できてなかったから余計に。
とはいえ給料日に銀行に行き記帳する時は、ドーパミンドバドバでした。

高校受験の時にお世話になった塾でのバイト。みんな元気かな。

大学生らしく、授業も一応ちゃんと受けていて、必修科目である授業の、学科全体でのビジネスコンペみたいなのでちゃっかり優勝しました。
そして気がつけば、1年間はあっという間に終わっていて、この年に貯金したお金で翌年は世界一周の旅に出ます。

2年目-世界一周

大学を休学し、世界一周のひとり旅にでます。
19歳の誕生日に出国し、ちょうど1年後の20歳の誕生日に帰国する、365日の上野少年の冒険。

出発日は2017年3月9日。19歳のバースデーに出発しました。

バックパッカーぽくてかっこいいじゃんという理由から、"バックパックおんぶにだっこスタイル"で出発したけど、早々に「バックパック2ついらねえ」ということに気づき、3カ国目くらいで実家に一つ送り返しました。形から入ることも大事だけど、必要ないものは必要ないという気づき。青かった。

旅の話はしようと思えばずーっとできちゃうけど、少しだけっ。

アフリカはナミビア、ナミブ砂漠のデッドフレイにて。
ダウン着てるのにサンダルってのが旅っぽい。

ルートは大まかに、こんな感じ。

日本→ヨーロッパ→東南アジア→南アジア→アフリカ大陸→南欧→東欧→西欧→北米→中米→南米→北米→日本

スタバの同期がギリシャに会いにきてくれました。

アフリカのマラウイという国でマラリアにかかったのがこの旅1番のハプニング。僕はマラリアというものは、"生死に関わるとても危険な病気"というイメージだったけど、現地の方からしたら、日本でいうインフルエンザくらいの感覚らしく。やばいよやばいよ状態の僕のことを、現地の人たちは必死になだめてくれてました。

処方は飲み薬のみ。「これ飲んどきゃ治るよ☆」ってテンションだったので、シンプルに死を覚悟。
結果的に治ったからよかったけど、後々調べたら、ヒトを一番殺してる動物は蚊らしく、生を紡げたことに改めて感謝しました。

マラウイの子どもたちとのアイスブレイクはボディランゲージ120%。

世界一周してきました!というと、よく質問されるのが語学について。
僕は、旅を始めた時は英語力なんて微々たるものしかなかったけど、恥かきながらコミュニケーション取ってたら徐々にマシになってきました。
食事の席で「フォーク(fork)」と伝えたい場面があって、「民衆(folk)」としか伝わらず、自分に失望した時の情景は、今でも鮮明に覚えてます。日本人がぶち当たるR発音できない問題。でもこういう場面から少しずつ学んでいくんだよなあ。あの時バカにしてたアメリカ人のいやらしい笑みはガッツリトラウマ。笑

ヨーロッパは、Couchsurfingというサービスを利用して現地の人の家に泊まっていました。
宿泊体験させてもらうお礼は決まってお寿司作り。Sushi万歳。

10代だったこともあり、旅で出会う人はほぼ全員年上。日本人に関しては同級生すら一人も会わなかったです。でも、旅での出会いは不思議と対等。これまでのバックグラウンドや学歴を取っ払った、ウパニシャッド哲学でいうアートマン的な向き合い方ができ、人からの学びは言葉では表現できないほど。旅に出る理由に違いはあれど、ご縁の前には理由や過去なんてちっぽけなものです。

言葉のいらない絶景。ボリビア、ウユニ塩湖。

刺激的な1年を過ごし、日本に帰国。大学に復学です。

3年目-世界青年の船

大学に復学し、2年生をやっていたのですが、刺激的すぎる日々を送っていた前年と違い、カリキュラムに沿って受動的に学ぶ大学の講義はどうしても身が入りませんでした。この年が一番単位も落としたな…

夏休みは、モルディブ・スリランカ・メキシコへ。

地に足ついてないというか、ふわふわしているというか。現実と向き合うことができていませんでした。つまりは、現実逃避期間。

まあ、でもこんな時期があるのも長い目でみたら悪くない事なのかもしれない。そんなふうに思っていました。よくいえば、世界一周の咀嚼期間。

そんな中でひょんなきっかけで参加することになった「世界青年の船(以下SWY。Ship for World Youthの略)」。SWYはLife Changing Experienceだったなあ。春休みの2ヶ月間を船の上で過ごしました。

360度水平線が広がる景色を見ることができるのは船旅ならでは。

内閣府主催の国際交流事業で、11ヶ国から240人の青年が集まり、船旅をしながら異文化理解やリーダーシップ、多様性受容力などを育むプログラムです。

甲板に出るたびに変わる景色。海も、太陽も、星も常に変化し続けていた。

船の中は、インターネットもWi-Fiもないので、強制的にデジタルデトックス。人と向き合い続け、それに疲れたら水平線見ながらボーッと日向ぼっこするような生活を送っていました。あとお酒もたくさん飲みました。

船酔いしたり、二日酔いになったり、マジカルなこの環境に酔ったり。
酔いがちな船旅は、ぐうたらな大学生活を送っていた当時の僕を少しだけ浄化してくれたような気がします。

ルーフトップで大運動会。このシチュエーションで綱引きやるのえぐい。

SWY同期のみんなとは、今でも定期的に連絡とるし、偶然の再会もめちゃくちゃ多い。面白そうと思ったプログラムに参加したら「え!なんでいるの!?」となることが多々ありました。それくらい、みんなアクティブに活動していて、行動範囲も似てるのかもしれないですね。

4年目-TABIPPO

旅やSWYを通して、自分の視野は大いに広がりました。
自然に身を委ねることの心地よさ、他者を知り受け入れることの大切さ。そんなことを学ぶ中で、同世代に旅の魅力をもっと知ってもらいたいという感情が生まれてきました。

夏休みは、中央アジアへ行きました。

世界一周中に出会った親友からTABIPPOを紹介され、インターンとして入社を決意。

業務は、動画の撮影や編集をすることでした。

全社合宿でいったLAMP。当時はまだサウナは1棟しかなかった。

動画編集に関しては、経験ゼロ。社内にも専門家がいるわけではなかったので、完全に一からネットの情報を頼りに勉強しました。

チームメンバー。みんなめちゃいい笑顔!

旅をしていると交通手段やら観光地やらを自分で調べることが多かったので、その経験が動画編集を学ぶ上でも活きたのかもしれない。旅の経験がある人って、情報収集するの得意ですよね。

インターンをして半年くらい経過した時に開催された、BackpackFESTAというイベントでは、仲間たちが作り上げる世界観に心打たれました。イベントの様子をイベント終了と同時にまとめる即出し動画を作った時は、半年間の成長を実感できたなあ。
この時の経験は、デンマークで留学した時にも活き、動画編集という一つの武器を手にすることができたのは、とても貴重だと思います。

インターン同期のメンバーたちと。男くさい!

大学に対しての向き合い方もだんだんとわかってきて、履修の選択基準も、「楽に単位が取れるかどうか」という視点から、「自分が興味あるかどうか」という視点に変化していきました。もっと早く気づけよっ。ゼミにも入り、珍しく大学での友達もできました。

5年目-デンマーク留学

日本が緊急事態宣言の時に、フォルケホイスコーレという教育機関に留学しました。2回目の休学。
"フォルケホイスコーレ"って言いにくい!と思うかもしれないですが、これは「Folk High School」をデンマーク語に訳したものです。「Fork High School」じゃなくてよかった。危うくあのアメリカ人にまた笑われるところだった。

デンマークでの話はこちらに詳しく書いたので、読んでみてください。書くのが面倒くさくなったわけじゃないよ。

世界一周の時とは打って変わり、ここでは僕が年上の方だったけど、それでも彼らから学ぶことは死ぬほどありました。

この前大学卒業したことをインスタのストーリーで日本語で報告したら、彼らからたくさんおめでとうメッセージが届きました。すぐに会いにいける距離ではないけど、こうやってSNSを通してすぐコミュニケーションが取れるのが嬉しい。一方、会いに行きたいな〜という想いはつのる。

学校の敷地内でブランコぶらぶら。

「日本語だから、なんて言ってるかは理解できないけど、とにかくおめでとう!」
出会いって瞬間の煌めきが魅力的だけど、それ以上に、その後の繋がりを実感できたときに自分の財産として大切なものになっていると思う。

You deserve the world. 素敵なセンテンスだから今度つかおーっと。


6年目-POOLO

デンマークから帰国し、長野県信濃町でサウナヘルパーとして、住み込みで働いていました。デンマークは、自然と人と社会が共生していて、その心地良さの虜になった僕は、日本でもそういった土地を探していました。

信濃町から車を少し走らせたところにあるキャンプ場にて。
標高が高いので、9月にもかかわらず冬の香りがぷんぷんです。

TABIPPOでのインターンにも復帰し、POOLOというプログラムの運営に携わります。

SWYやデンマーク留学と、POOLOの相性はとてもよく、価値観や考え方もよく似ていました。自分の経験したことをこういったプログラムに落とし込み、アウトプットできる環境をいただけたことに心の底から感謝。

チームメンバーで奄美大島に合宿に行きました。
所属するコミュニティチームでは3ヶ月に1度、合宿をします。

チームのメンバーには本当に恵まれていて、みんな大尊敬。それぞれタイプは少しずつ違うけど、お互いの弱みをお互いの強みで補完で切ってる関係。「豊かさってこうだよね〜」なんてことをフランクに何時間でも話し続けています。チームの包容力に何度助けられたことか。

「共に学び、共に遊び、共に創る」が行動指針のPOOLO。今年の1月から3期の活動が始まったのですが、参加者のみんなと活動する日々は刺激的でインスピレーショナル。

チームメンバーで高知へ合宿に行きました。

まだ2ヶ月しか経過していないですが、数え切れないほどの活動が多岐に渡って行われています。

4期の募集は、夏くらいから始まる予定なので、興味のある方はLINE登録してみてね。講義はオンラインなので、全国、全世界から参加できます。この前4人くらいでZoomで話した時は、ジャカルタ・ドバイ・神戸・東京と、いろんな場所から集まっていて最高だった。

4年の前期終了時点で、卒業まで残り5単位必要だったのですが、後期に6単位しか履修しないというパワープレイ。リスク管理能力0.5くらい。だけど、無事卒業できました。ヒヤヒヤ感を自ら作り出しました。(なんで)

株式会社TABIPPOに入社します

自分なりに歩んできた道を振り返った時に、唯一無二で自分らしい6年間がありました。さまざまな挑戦をしながらも、地を踏みしめながら一歩いっぽ進んだ学生生活。

よく、「あの時に戻れるなら何をしたい?」という問いがあるけど、やることは変わるかもしれないけど、メンタリティや心持ちは変わらずにいたいなあ。大学生活120点。悔いはほんとになく、やり切った感があります。
だから、卒業が確定した3月5日10:30は、「卒業できた!」という安堵感とともに「楽しかったな学生生活!」という達成感と幸福感に包まれました。

そして次の人生のマイルストーン。
就職。

4月から、インターンとして2年間お世話になっている、TABIPPOに新卒として入社させていただくことになりました。

採用を受ける際に、このような問いをもらいました。

  • TABIPPOが世の中に与えている価値について、事実とあなたの解釈を交えて教えてください。

  • TABIPPOの課題や強みを踏まえながら、2030年のTABIPPOのあるべき姿について教えて下さい。

  • 2030年のあるべきTABIPPOの姿に向けてあなたの強みをどう活かせますか?

  • 2030年以降の長期的な視点で、将来の夢やこういう人になりたい!こういう人でありたいということを教えてください

僕にとってはなかなかハードな問いだったので、答えを出すのに時間はかかりましたが、そのおかげで、TABIPPOで働くことに対して真摯に向き合い、納得もできるようになりました。

TABIPPOの皆さん、これからも引き続きお世話になります!

長野移住します

5月から長野に移住します。
東京の会社に就職するのにも関わらず、リモートで働くことを許可してくれたTABIPPOには本当に感謝しています。

長野県信濃町の良さや移住したいわけは以前書いたので、こちら覗いてみてください。書くの面倒くさくなったわけじゃなよ。(2回目)

ギリギリZ世代のに入っているけど、Z世代の中では年齢は上の方。時代は常に変化していて、これまでの雇用のスタイルも変革を求められているけど、「新卒でも地方移住して自分のライフスタイルを追求できる時代なんだ」ということを先陣きって証明していきたいと思います。

信濃町の皆さん、これからお世話になります!

野尻湖畔。

最後に自分自身に対してひとこと。
「お誕生日&卒業&就職おめでとう!お祝いに叙々苑奢るよ!」

#卒業のことば

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