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米津玄師、愛されたがり過ぎ問題:「diorama」データから「POP SONG」まで

 米津玄師の話をしよう。
 もう今では『げんし』と読む人も減ってきていると思うが、「Lemon」というモンスター・メガヒット曲に代表されるソングライティングの才能のみならず、ディープで考察しがいのある歌詞、これまで稀にしか露出していない右眼、実は身長189cmの『でかレモン兄ちゃん』(※盟友・菅田将暉のラジオ内でのあだ名)であること、そしてそもそもはボカロPであったこと等々、ネタは多い。多すぎる。

 というか「結ンデ開イテ羅刹ト骸」というボカロ曲からファンになった俺にとって、「米津玄師について語る」、これだけで軽く三万字は書けるぞってくらいアレだ、なんだ、愛してるんだっ!!!!

——というわけで本日のテーマは「米津玄師、愛されたがり過ぎ問題」である。

01:限りなく目標に近い存在

 新曲が公開されればYouTubeの再生回数はとんでもない速度で回転し始め、場合によってはワイドショーのニュースになり、曲の音楽的解釈や歌詞の考察などでYouTube、Twitterのみならずあらゆるメディアがざわめき、CDセールス、ストリーミング、ダウンロードといったランキングで数十冠奪取、という、

 「米津玄師」というひとつのコンテンツ

 と言っても過言ではないほどに巨大な存在となった米津玄師。
 そんな彼は、邦楽誌Rockin' On JAPANの最初のロングインタビューで「野望」を聞かれた際、「ジブリみたいになりたい」と答えていた。
 老若男女誰もが知っているキャラであったりシチュエーションであったり台詞であったり、換言すれば誰もが一度は通過するエンターテイメントということだ。
 それに対し、インタビュアーの山崎洋一郎氏は「なれるよ」と即答していたが、いやはや、もう「限りなくジブリに近い米津」くらいにはなってんじゃね?

02:最初からずっと 〜「diorama」に見る『愛されたい』連呼〜

 米津玄師のSSWとしてのデビューはタイアップも大型プロモーションもない、更には作詞作曲歌唱ミキシングまで全て自らで行った「diorama」というアルバムだ。
 いくらボカロPとして絶大なファンダムを既に築いていたとはいえ、オリコン6位にまで食い込んだと聞いた私は喫驚した。「いきなりそこまでか!」と。
 しかし後に知ったことだが、米津玄師自身はこの異例のヒットをして失望しているのである。おい米津、大丈夫か。多くのメジャーバンドがトップ10に食い込めずに何十年も活動してたりするんだぞ。

 そして本記事で私が取り上げたいのは、このデビューアルバムを狂ったように聞き込んでいた私が、別の意味で「おい米津、大丈夫か」と思ったこと、ずばり、歌詞における

 『愛されたい』に代表されるいびつな愛の異常なまでの頻発

 である。

◆数えちゃったよ

というわけで、「diorama」の『愛』、数えた。結果は以下だ。

  1. 街:None

  2. ゴーゴー幽霊船:「君に愛されたいと願っていたい」

  3. 駄菓子屋商売:None

  4. Caribou:None

  5. あめふり婦人:「私に愛をくださいな」
           「愛されたいのはあなただけ」×3

  6. ディスコバルーン:None

  7. vivi:「愛してるよ、ビビ」×5
       「さよならだけが僕らの愛だ」

  8. トイパトリオット:None

  9. 恋と病熱:「愛していたいこと 愛されたいこと」×3

  10. Black Sheep:None

  11. 乾涸らびたバスひとつ:None

  12. 首無し閑古鳥:「愛されたいのは」×2
           「愛されてるのは」

  13. 心像放映:None

  14. 抄本:「愛されたい」×2
       「愛してたい」×2

——とまあ、野暮なことをしてしまったが、これは歌詞カードを見つつも歌唱の繰り返しをも換算して数えた結果である。
 一点、「あめふり婦人」における『愛されたいのはあなただけ』というフレーズの文意が掴みかねるが(愛されたいと思っているのはあなただけ、なのか、自分が愛されたいのはあなたからだけ、なのか)、デビューアルバムの半分近くに、これだけ『愛』という言葉を詰め込む、こと最後を飾る「抄本」における『愛されたい、愛されたい』という声は、マジで「この人ホントに大丈夫か」と無駄に心配になった。

 特筆すべき点はまだあって、この作品はコンセプチュアル・アルバムであること、そして『愛されたい』だけではなく、『遠い昔のおまじない』、『あんまりな嘘』、『魚』といったフレーズが何度か登場することも、ご留意いただきたい。

……にしても多いように思ってしまうのは自分だけであろうか。
 そしてその後の作品でも、米津玄師は『愛』について様々な形で歌う。

03:連綿と続く『愛』探しとその変化

 アルバム「YANKEE」の前にリリースされた「MAD  HEAD LOVE / ポッピン・アパシー」という両A面シングルがあるのだが、私はこの「MAD HEAD LOVE」こそ米津玄師の「裏ベスト・ラブソング」だと思っている。
 何しろ歌詞が『ベイビーベイビビアイラービュー』だ、『アイ・ラヴ・ユー』と表記しないところに米津玄師のセンスを感じるし、『愛とも言うその暴力』や『疲れ果て果て果てど愛している』なんか最高に冷笑的で現実的で、下手に甘っちょろい言葉を並べ立てられるより身に沁みる。
(ちなみにアルバムに収録されなかった「ポッピン・アパシー」も名曲である)

◆『どこにも行けない』より深刻なんじゃね?

 米津玄師の歌詞と言えば『どこにも行けない』が頻出するため、ネット上では、

「米津玄師、どこにも行けない」ネタ

 が色々な形で愛されており、シングル「TEENAGE RIOT」ではついに米津自身が、

『何度だって歌ってしまうよ どこにも行けないんだと』

 と犯行を認めている(違う)。
 居場所・行き場がないのは由々しき問題だし、事実私自身逃げ場がない生活をしているので『どこにも行けやしない』連呼は確かに闇を感じるが、しかし個人的にはやはり「diorama」の『愛されたい』インパクトが強かった。
「愛されたい」のに「どこにも行けやしない」って、おい米津、大丈夫か(三度目)。 

 一方で、続くアルバム「YANKEE」、「Bremen」辺りから、米津玄師は『愛されたい』から『愛したい』サイドに移りつつあり、個人的に「俺の三十代のアンセム」と化している名曲「LOSER」ではついに、ようやく、

『愛されたいならそう言おうぜ 思ってるだけじゃ伝わらないね』

 と発信したのである。
 何だろう、なんか「ここまで長かった」感が、少なくとも私にはあった。
 

04:「POP SONG」で遂に! と思いきや、「愛されよねぴ」は歌い続ける

 私は普段、米津玄師を「米津さん」と呼んでいるのだが、「死神」のMVを見た時ばかりは、常田大希だったか綾野剛だったか、どっちか忘れたが、彼らの影響で思わず、

「よねぴ!!!!!! よねぴがいっぱい!!!!!」

 とか何とか口走ってしまった(引かないでください)。
 諸事情でライブにはまだ行けていない、というかコロナ前のライブはチケットをおさえていたのだが、コロナでキャンセルとなった。
 その代わり、シングル特典に付いてくるDVDやBlu-rayはディスクが焼けるんじゃないかってくらい見た。

 特に「LOSER」のサビ『僕らの声』に対する大歓声、熱狂は画面越しでも身が痺れるほどエモい。

 そう、米津玄師はもう充分愛されているはずだ。

 そうこうしている内に魔曲「POP SONG」がドロップされた。
 初っ端から『ちゃらけた愛』、『誰だって愛されたい』とかまた、もーうよねぴってばまだ……と思いながら聞いていくと、最後に、

『愛を歌っておくれ』

 と、いよいよこちらに愛を要求してきた!!!
 よっしゃ、他ならぬ米津玄師のためならいくらだって歌って——

『それもまた全部くだらねえ』

 歌う気満々だったのに食い気味にディスるの?!


 長々と書いたが、以上が2022年6月29日現在における自分の、米津玄師の歌詞における『愛』考察(には及ばんか)である。
 
 願わくば、米津玄師がまた『愛されたい』と悲痛に歌わないことを祈りつつ失礼したい。だって愛されてるからね、「愛されよねぴ」だからね。

【了】


 

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