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シン・エヴァはなぜムカつくのか

ネタバレを含みます。

アマプラに完結編が来ていたので見た。まあ家で見て正解な面白さだったが映画館で見ても後悔するほどでもないと思った。そこそこ面白いのである。だってエヴァだし庵野秀明だし。

シリーズを重ねるごとにキャラクターと演出が派手になっていくというヒット映画の続編の法則通り、テンプレのような進化を遂げた本作。感想としてはタイトルの「ムカつく」である。

話がつまらない、幼稚とかはどうでもいい。元々旧エヴァで完成していたものを現代チックに作り替えただけなのは分かっていた。庵野自身の成長を反映しているのか、シンジだけではなく周囲も世慣れていて大人っぽいセリフを吐くキャラばかり。まあそれはいい。現代はバカでは生きていけない時代だから。

私はシン・エヴァのシンジに全くシンクロできなかった。旧エヴァ劇場版の救いのない終わり方に納得がいかないファンがいた現象と似ているが、ベクトルは逆だ。旧エヴァが幼稚な主人公が世界を受け入れられず閉じこもり絶望していくのに対して、シン・エヴァは成長したシンジが世界を救う話だ。

私は現代向けの「ポジティブで大人」になったシンジは好きだ。当時の視聴者も成長しているし、現代は「リア充で明るくて普通に良い人」が求められている。マニアックな話だが、ゲームのペルソナシリーズの変遷を見れば明らかだ。「暗くて憂鬱な話が持て囃された時代と、仲間を最優先に考える明るくて優しい主人公」という対比が見て取れるだろう。

シン・エヴァでは旧エヴァの「根暗で非生産的なシンジ」の立ち位置を父のゲンドウが演じているわけだが、おっさんになった自分から見ると、ゲンドウが吐露した内面の苦悩や世界を拒絶した幼稚な理由を聞いているうちに、「なんだこのバカな話は」と苦笑してしまうのだ。子供が言うからまだ聞いていられる台詞も、大人では聞くに堪えない。そんなアホな理由で世界を滅ぼそうとしたなんて誰が共感するのか。ツイッターにいそうな一部の恋愛脳男女しか理解できまい。

庵野秀明は旧エヴァ時代からインタビューでそれらしい事を言っていたのだが、つまりはこう言いたいのだ。「観念的で自分勝手な虚構の世界に生きている俺だが、君たちオタクもそうだろう?」。多くのオタクは当てはまるのかもしれない。シン・エヴァが面白いと言っている人たちは、おそらく健康的で割と幸せな普通の人なのだ。元々リア充だった人と、オタクだが彼女ができたり仕事を頑張ったりしてそれなりにリア充化したオタク。こういった人たちは違和感なく、「シンジ=成長したオタク」と「ゲンドウ=いつまでも夢から醒めないオタク」の両者にシンクロできたわけだ。

私がなぜシン・エヴァにムカつくのか。タイトルの本題だが、一言で言えば人よりも不幸だからだろう。私の場合はこいつらのような観念的な苦悩ではなく、心身ともにいくつもある病気や障害のために青春を失い、人生も敗北した。観念的な苦悩にもがき苦しむ「旧エヴァのシンジ」や「シン・エヴァのゲンドウ」に対して、バカじゃねえの?と嘲笑と嫉妬が入り交じる感情でしか見れないのだ。

庵野秀明の「オタクもいい加減変われよ。成長しろよ」というメッセージに対して当時から違和感があったが、具体的に言語化して批判する能力は当時はなかった。今考えてみると、私はそもそもエヴァという話にも、シンジにもゲンドウにもシンクロしていなかった。観念的な思考に悩んだり、他者への恐怖で身動きが取れなくなることなどない。というか、そういう内向性や臆病さはむしろ人よりあるのかもしれないが、そんな悩みを持つ余裕すらなかったから自分で克服してきた。

庵野秀明は昔からモテモテだったらしい。旧エヴァのヒットでさらにモテるようになり年齢もあって結婚に至ったのだろう。性格にも色々難がありそうだが圧倒的な才能を考えればイージーモードの勝ち組の人だろう。シン・エヴァの最後では、旧エヴァのテレビシリーズ最終回のように「自分次第で世界を変えていける」というようなリア充的なメッセージとともに、理想のパラレルワールドを構築して終わる。庵野秀明もシンジも、くだらない観念的な苦悩を捨て、心を開いただけでリアルの世界で彼女ができて幸せになった。果たして俺たちオタクにはそんな世界があるだろうか。ないだろう。

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