このひなのちゃんの文章を読んだら、深い気づきに運ばれた。
そぅか....ママは、この切なさが、子供を失う恐れになって、私が行こうとする全ての道へその恐れのエネルギーを送った。
初めて心から同情した。
ママの恐れのエネルギーは、いつのまにか私には重たい足枷のような、そして、ある程度より先には進めないような重たい鎖も繋がれてしまった気がする。
そして、自己肯定感は全く育たなかった。
生まれながらに持っていたその感覚は、簡単に枯れてしまうもの。
親は自分の身体から産み出した、大切で可愛い存在と、自分の一部だったものと、
別離を経験することになる。
その切なさは、簡単に恐怖に変わってしまいやすい。
死別ではないからこそ、怖いんだと思う。
全く違う未知の世界へ送り出せることは、なかなか出来ることではないのかもしれない。
それができるのは、自分が親からの恐れのエネルギーで支配されて、罪悪感を抱きながらも、自分の世界へ進み、生き抜いてきた者
もしくは、ラッキーなことに親が親子の切なさをそのままに、恐れに変えずに、1人の人間として所有物にせず接してくれた場合
足枷は表面的にめちゃくちゃ仲良しの親子の間にもしっかり存在してることが多い。
でも、その場合は、平和で、お互いそれで幸せな場合も多いので、親の想定内の世界に子供は留まってくれるし、いつまでも親と同じような価値観を信じる。
選ぶのではなく、自動的にね。
私にも愛する物が離れていってしまう恐怖はわかる。
でも、同時にどんなに愛おしくても、どんなにSEXを重ねても、同化することは不可能なことを、腹の底から知っている。
でも、そのどうしようもない切なさを、支配に変えないために私はたくさん失敗を繰り返して、その度に学んで来た。
本物の愛に生きたかったから。
ひなのちゃんの素敵さ、素晴らしさが根本に気づかせてくれた。
ママも、パパも、子を愛し、
愛から生まれる自然、その切なさに、
その自然の脅威の大きさにおおののいたのだ。
赦せる
受け入れられる
初めてそこに繋がる理解へ運ばれた。
ひなのちゃんありがとう。
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