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【古都奈良への旅/のんびり記事②】~世界もココロもグラデーションでできている~474

こんにちは
八彩理絵子(やいろりえこ)です。

さて、今回は奈良旅についての記事になります。前の日の夕方に東京から奈良まで移動したので、駅ビルの居酒屋さんで食事をとり、お疲れ生🍺。よく食べ良く寝ての朝~予約していたこちらのコース

この日は『奈良定期観光バス』の1番人気

<c>法隆寺・薬師寺・唐招提寺(1日コース)


9:55          JR奈良駅発のバスに乗り込みました。
10:00   近鉄奈良駅からの方が乗車

さすが、人気のコース。満席でした。

まずはこちら

日本最初の世界文化遺産

<法隆寺>

法隆寺は飛鳥時代の姿を現在に伝える世界最古の木造建築として広く知られています。

南大門(室町時代 国宝)

南大門(なんだいもん)


法隆寺の玄関にあたる総門です。永享10年(1438)に再建されたものです。


中門(飛鳥時代 国宝)
廻廊(飛鳥時代 国宝)

中門(ちゅうもん)廻廊(かいろう)

西院伽藍の本来の入口となる中門は幹が深く覆いかぶさり、正面が四間二戸と入口が二つある形が特徴です。エンタシスの柱や上層には金堂と同じ卍崩しと人字型の割束を配した高欄を備え、壮麗な飛鳥時代の様式を今に伝えています。飛鳥建築の粋を集めたものです。重厚な扉と左右に立つ塑像の金剛力士像(奈良時代)は、東西にのびた廻廊の連子窓と対照的な組み合わせで、並列して建つ塔と金銅を壮麗に包み込んでいます。

エンタシスの柱とは、古代ギリシアや古代ローマの石造建築などに見られる、柱の下部から上部にかけて少しずつ細くなった形か、柱の中央までは同じ太さで上部にかけて細くなった形で知られていますが、法隆寺の中門や廻廊の柱は、中央より下部が少し太くなっており、エンタシスでも西洋のものとは違った特徴を示しています


金堂(飛鳥時代 国宝)
修学旅行の学生さんたちも
真剣に説明聞いてますね

金堂(こんどう)

金堂(飛鳥時代)金堂は西院伽藍最古の建築で、軒の出の深い安定した姿が美しいです。

法隆寺のご本尊を安置する聖なる殿堂です。聖徳太子のために造られた金銅釈迦三尊像(飛鳥時代)、太子の父君用明天皇のために造られた金剛薬師如来座像(飛鳥時代)母君穴穂部間人皇后のために造られた金剛阿弥陀如来座像(鎌倉時代)、それを守護するように、樟で造られたわが国最古の四天王像(白鳳時代)が、邪鬼の背に静かに立っています。


五重塔(飛鳥時代 国宝)

五重塔(ごじゅうのとう)

日本最古の塔である五重塔。五重目の軸部が初層の半分の大きさになっており、これに深い幹の出が相まって安定感を与えています。

塔はストゥーパともいわれ、釈尊の遺骨を奉安するためのものであり、仏教寺院においても最も重要な建物とされています。

高さは32.5メートル(基壇上より)です。

大講堂(平安時代 国宝)

大講堂(だいこうどう)

金堂と五重塔の北側に立つ間口九間の大講堂。このお堂は仏教の学問を研鑽したり、法要を行う施設として建立されました。



鐘楼(平安時代 国宝)

鐘楼(しょうろう)

この鐘楼の中に吊されている白鳳時代の梵鐘は、今なお当時の音色を響かせています。


大宝蔵院と百済観音堂

大宝蔵院と百済観音堂(だいほうぞういん くだらかんのんどう)

平成10年に落成した百済観音堂を中心とする大宝蔵院です。
内部には有名な悪夢を吉夢に替えてくださると伝える夢違観音像(ゆめちがいかんのんぞう)・推古天皇御所持の仏殿と伝える玉虫厨子(たまむしのずし)・蓮池の上に座す金銅阿弥陀三尊像を本尊とする橘夫人逗子(たちばなぶにんのずし)をはじめ、中国から伝えられた白檀作りの九面観音像・天人の描かれた金堂小壁画・百万塔など多数安置しています。

百済観音像はわが国の仏教美術を代表する仏像として世界的に有名であり、日本の仏像には珍しい八頭身のすらりとした姿と、優美で慈悲深いその表情は多くの人びとを魅了しています。


夢殿(奈良時代 国宝)

夢殿(ゆめどの)

高い基壇の上に立つ八角円堂の夢殿。西暦601年に造営された斑鳩宮跡(いかるがのみやあと)に行信僧都(ぎょうしんそうず)という高僧が聖徳太子の遺徳を偲んで天平11年(739)に建てた伽藍を上宮王院(じょうぐうおういん)といい、その中心となる建物がこの夢殿です。


舎利殿・絵殿(鎌倉時代 重要文化財)

舎利殿・絵殿(しゃりでん・えでん)

舎利殿は聖徳太子が2才の春に、合掌された掌中から出現したという舎利を安置する建物で、絵殿には聖徳太子一代の事跡を描いた障子絵が納められています。


東院鐘楼(鎌倉時代)

東院鐘楼(とういんしょうろう)


この鐘楼は袴腰(はかまごし)と呼ばれる形式の建物で、内部には「中宮寺」と陰刻された奈良時代の梵鐘が吊されています。


さて、次は中宮寺に参りましょう。

<中宮寺>

~斑鳩にたずむ ほほえみの御寺~

当時は聖徳太子の御母穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后の御願によって、太子の宮居 斑鳩宮(いかるがのみや)を中央にして、西の法隆寺と対照的な位置に創建された寺です。

その旧地は、現在の東方五百メートル程の所に中宮寺跡として残っています。 中世には火災にみまわれ、16世紀末頃には皇族の女性が尼門跡としてご入寺されるにあたり、夢殿の東隣りの現在の場所に移っています。

宗派は、鎌倉時代頃は法相宗、その後真言宗涌寺派に属し、戦後は法隆寺を総本山とする聖徳宗に合流することになりました。しかし、依然大和三門跡尼寺の随一としてその伝統を伝えております。我国の尼寺の数は少なくありませんが、創建の飛鳥時代このかた1400余年の永きに亘り、尼寺の法燈を続けているのは中宮寺だけであります。

東洋美術における「考える像」として有名な『国宝 菩薩半跏像(如意輪観世音菩薩)』国際美術史学者間では、この像のお顔の優しさを数少ない「古典的微笑(アルカイックスマイル)」の典型として高く評価し、エジプトのスフィンクス、レオナルド・ダ・ヴィンチ作のモナリザと並んで「世界三大微笑像」とも呼ばれています。

斑鳩の里に1400余年の法燈を継ぐ中宮寺のこの像は、御本尊として永遠に私たちを見守ってくださることでしょう。


遥か遠い時代に想いを馳せる時間はゆっくり流れているようでもあり、空気感も違いタイムスリップしているような感覚でもあり不思議な感じです。


ふと。現実に・・・お腹がすきました🤣指定のお店までいきましょう。
お店までの裏道でガイドさんがこちらを教えてくださいました。


マンホールの蓋
カラーバージョン👍


お昼はお弁当でしたが、奈良の特産品の試食やあったかいおうどんも付いていたので、ほっこり・・・美味しくいただきました。ご馳走様でした。


今日はここまでになります。

ここまで自分でパシャパシャした画像と合わせて記事を書いてみました。
内容については観覧の際にいただきましたリーフレットやホームページなどを参考に簡単にまとめてみました。尊い数々の国宝や重要文化財については撮影禁止となっておりましたので、どうぞご興味がある方は実際にご自分の目で・・・とはいえすぐに!というわけにはいかないと思われます。いろいろなサイトがありますので検索してみるのも良いかと思います。

次回もこんな風に進んでいきます。
1日コースの午後の部を描きたいと思います。

ここまで読んでいただき
ありがとうございました。

最後までお付き合いくださり
ありがとうございます。

大切なお時間をありがとうございました。

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