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「高校生」。いつの時代もいいな。

20年以上、高校生たちと向き合ってきた。

大学進学を目指す高校生たちに。広報マンとしてだ。

将来やりたいことが見えていて目を輝かせて話す子。

親ばかり話してばかりで本人はもじもじしている子。

何を聞いたらいいか分からないけど、何か聞かなきゃという感じの子。

家計が大変だから新聞奨学生をしてでも進学したいという女の子。

九州の島からはるばる見学にきた子。

はたして何人の高校生と話したのだろう。

18歳。もうすぐ大人として認められる多感なとき。

自由と裏腹に責任が伴ってくるとき。

その微妙な時期の「高校生」が輝いて見える。

がんばれ!まだまだ!できるさ!いっしょにやろう!

応援したくなる。そして彼らがきゃきゃ笑う中に入りたいとも

思う。先生になればよかったかな?そんなことも少し思う。

いま高校生の彼らも、これから高校生になる彼らも。みんなが

思いっきり泣いたり笑ったり、悩んだり、叫んだり、そして最後は

やっぱり笑う・・・。

そんな世の中になるために、少しでもボクが貢献できれば。

この歳を迎えた今、本当に思っている。

広報マンの使命って何なんだろう?

20年以上、ずっと考えてきたことだ。

組織に所属している以上、社会に対し組織にとって有益になるための

役割を担うことはいうまでもない。

僕もそのことは忘れていなかったはずだ。

若かった頃はどうだろうか。

広告代理店の営業出身ということもあってか、一方的に「伝える」

ことだけしてこなかったか?

「うちはこんな資格が目指せるよ」

「うちは留学先だっていっぱいあるよ」

「うちは就職率がこんなに高いよ」

「うちは〇〇」「うちは〇〇」「うちは〇〇」・・・。

2011年、僕の意識が変わり始める。

そう、あの恐ろしい出来事。

社会が、家族が、そして広告や広報が改めて考え始めたとき。

僕の心も変化していく。

これでいいのか?

なんか違くないか?

もっと伝えなければいけないこと。

もっと忘れてはいけないこと。

高校生本人にとってきっと意味あること。

なんだろう。

人はみんな社会の一員であり、必要な存在であること。

そんなとき、あるデザインプロダクションと出会った。

一筋縄ではいかない人たち。

はったりではない。自信家でもない。

世の中にメッセージをとどける。

メッセージ・・・。

僕の心に響く。

そして、このシンプルな言葉の意味を考える。

今でも僕が大切にしている言葉。

そんなことを教えてくれた人たち。

本人たちは教えているなど、少しも思っていないだろう。

僕が探してきた広報が見えてきた気がした。

最後は自分次第。看護の先生の言葉。

走り出した。

でもまだ何かが足りない。

僕たちの何か。

そんな時、看護を専門にする先生に出会った。

その人の言葉、ひとつひとつが心に刺さる。

「看護にできることはまだまだある。それをみんなと
考え追い求める」

取材していてワクワクする。

もっと広報したい。

高校生に届けたい。

看護かどうかはもはや関係なく。

みんなに聞いて欲しい。

僕の知らなかった広報魂が芽生えてきた。

これだ。

こんなことを世の中に伝えたい。

正に、メッセージ。

あとは受け取る人たちがどう感じるか。

それが本当の自立。

それが究極の広報。

ブランディングといえばそれまでだが、

広報、ブランディング・・・。

そんなことはどうでもいいくらい、

伝えたいメッセージ。

みんなの心に響かせたいメッセージ。

そして僕の心も響くメッセージ。

僕が覚醒したとき。

ひっぱる意味を間違えて全てを失う。

とにかく走った。

充実してた。

間違っていない。

世の中のためになるメッセージを届ければ

組織にとって大きなものになる。

僕がひっぱる。

ひとりでも。

そんな気持ちになっていたのかもしれない。

だんだん孤立する。

わかっている人。

僕が勝手にそう思う人とだけ話すようになっていた。

そしてすべてを失う。

僕自身が社会の一員になっていなかった。

自分に酔っていた。かもしれない。

それから数年は自分の存在すら考えなかった。

先行き不透明な社会。みんな悩みながら生きている。

50を迎えたとき、ある本を読む。

コミュニティをいくつか持つよう書いてある。

仕事しかしてこなかった僕。

コミュニティなんてない。

それから何となく色々やってみた。

音楽、オンラインサロン、ソーシャルビジネススクール・・・。

初めは周りの人とうまく話せない。

広報マンだったのにコミュ障?

だんだん自分が何者なのかわからなくなってきた。

そんなとき出会った若い世代。

社会人3年目くらいか?

仕事が慣れてきた世代。

今でいうZ世代。

本で読んだやさしい価値観の世代。

話してみる。

やはり根っこに不安があるように感じる。

僕とは違う不安だけど何か同じような気がする。

みんな多かれ少なかれ悩みながら生きている。

この当たり前のことを改めて気づかされた瞬間だった。

やっぱり僕は広報マン。

考える。

そして行動する。

色々やってみる。

色んな人と話してみる。

そして出てきた答えは

広報マンとして一生を捧げる。

悩んでいる人に元気を。

先が見えない社会に明るい兆しを。

組織の枠を超えて。

一人広報マンとして。

みんなをつなげる。

まちを、人を、組織を。

何をメッセージとして届けるか。

やりながら模索中。

歳はとったけど、ようやく本当の僕と向き合えて
いる気がする。


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