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サークル・オブ・ライフ_2 こどもおとしより園と、くろたきーと

 黒滝には以前より、こども園という村立の幼稚園がある。それから地区毎に憩いの家と呼ばれる集会所があり、区民————高齢者ばかり————が集まれるが人口減少に伴い、どうにも活気がなくなった様に感じられる。そこで、村の未就学児と高齢者用介護施設をドッキングさせた施設、いわゆる幼老施設を造ろうと考えた。場所の確保はこども園を拡張することで可能だ。人生における始まりと終わりに近い層が交流できることで、高齢者に活気を与え、未就学児にとって高齢者との触れ合いは心の成長面で大きな役割を果たす。私としては「これまで複合になっていなかったことの方が不自然」だと思う、全国にたいして。雇用の面でも良い意味でのスパークが起こる。保育士と介護士が連携することで、これまで目が届きにくかったケアにも役立ち、痒い所に手が届く状態となれるのだ。更に、両職がアプリで繋がり、互いの職務上のポジティブなことやネガティブなことを共有できる様になったことで“ケアする立場にある人たちのケア”が行えているのだ。これによる効果は大きく、ストレスや悩みを抱え込むことなくイキイキと仕事ができ、楽しく仕事に励める様になるのである。施設で働く人たちの幸福感が増すと、こどもとおとしよりも良い影響を受ける。それに触発されたり、幼が老を、老が幼を良い意味での監視状態『目配り・気配り・心配り』があることにより、両層内でのいじめが減少する。結果、こどもおとしより園の雰囲気は実に明るく、元気になるといった具合だ。

 もう一つ、こどもおとしより園に付随する形となって開始できるサービスが『くろたきーと』だ。給食を学生以外にも提供。一般家庭や企業・団体へのランチサブスクリプションのことである。こども園は元々給食でランチを摂っており、そこに高齢者も加わった。ただ、村内には一人暮らしの高齢者で食事を疎かにしがちな人も多い。それではということで、給食を希望者宅に配送する仕組みを作るのである。村民と軽いコミニュケーションをとることもでき、見回りの役目もこなせるとあって、くろたきーとはあっという間に定着する。メンバーからの評価は「最近の給食は美味しい。その昔は不味かったのに!」と上々だろう。また、メンバーになっているI・Uターンの人たちからの評価も高い。なぜなら給食のメニューが“完全地産地消”だからである。素材は全て、黒滝で採れた野菜を、米を、豆を、茶を、肉を使って作られる。いわゆる給食のおばちゃん(おじちゃんも)方が腕によりをかけて主に郷土料理の献立が組まれるのだ。高齢者には馴染みの味となり、子供には食育となり、新居住者には真新しさとヘルシーさで好評というわけだ。因みに肉類は猪と鹿、鮎やアマゴだが、一昔前の様な良く言えば野性味、悪く言えば獣臭さ・生臭さはほとんど無く、食べやすく処理されている。ただ、時代の波と言うべきか、街中のスーパー・レストランでは今時、屠殺(食肉とするために殺すこと)された肉はあまり出回っておらず、多くが擬似肉(例えば大豆タンパクで形成された肉の様な食感や形の食材)か培養肉(牛や豚、魚の細胞を増殖させて作った肉、つまり“本物の肉”。当初は研究所で莫大な資金を投入していたため値段も恐ろしい額だったが、食肉先進国では大規模工場で量産され安価となっている)だ。まあ、それが潮流であり、これまであまりにも多くの業者があまりにも多くの家畜や養殖で、過酷かつ悲惨な方法(何事にも例外はあるが)によって命を奪ってきた行為に終止符を打てるのだから願ってもないことだ。だがこれが、どこの地域でも、世界中で肉を育てる、加工する、売る、そして何より買う人々からの大反発を浴びていて、黒滝も例外ではないだろう。いわば名物の一つをみすみす捨てる様な感覚だし、なるべく動物や魚にストレスを与えないように放牧・養殖をしているという言い分もある。

 ここでふと思考想像してみてほしい。生まれたからには鮨詰めの様な場所、しかも不潔で個の尊厳などあったものではない状況下で、ただ殺されるために生きるのは嫌だ。では実に快適で満たされた環境下で何不自由なく、ただ殺されるためだけに生きるのはどうだろう?これもやはり嫌な気がしてならない。では実に快適で満たされた環境下で何不自由なく暮らし、おまけに恋や遊びを楽しみつつ最終的には殺されるのはどうだろう?もちろん寿命までではなく最も“食べ頃”でだ。中には受け入れる人もいるだろうけれど、多くの人は嫌がると思われる。それではどうして多くの人が、されたら嫌なことを畜産動物や養殖魚には行えるのか?それは“美味しい”からである。この美味しさを擬似肉や培養肉で実現し、おまけに好きな栄養素も付加できて寄生虫もいないので安全、値段も手頃であればどうだろう。そちらに乗り換える消費者は増えるだろう。環境や動物愛護に関心が高い層から始まって、遂には一般消費者の大半も他の動物・魚類の尊厳を護る意味で、やっとこさ進歩できるというわけだ。しかし、どこの世界にも牙城というのは存在する。どうしても生きていた肉を食べたい層だ。彼・彼女らを納得はおろか説得させることはまず不可能なので、放っておくしかない。だが、消費者が減少すれば生産者も減少するというのが良きにつけ悪しきにつけ世の常というもの。生きていた肉のエコシステムは確実に痩せ細り、その内に消滅するのは容易に想像がつきそうだ。黒滝名物の猪やアマゴも、今後は黒滝産猪細胞培養肉並びにアマゴ培養肉とシフトチェンジして行かなければならない(呼び方も美味しそうにチェンジする必要がありそうだが)。これに関しては長い交渉が要るだろう。

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